「無理心中論者」をあぶり出して退散させる運動を起こそう!自力で誇りある日本社会を取り戻そう!

日本社会では、良い意味でも悪い意味でも「家父長制」が根付いている。
男が家族や組織の長となって、責任をもって引っ張っていってくれるのならば良いのだが、多くの現代の男性は社会の老害となって、「責任は取らないくせに偉そうな口だけ叩いて年下男性や全世代の女性たちに余計なお世話を焼き、マウンティングを取る。ひとたび、プライドを傷つけられたりすると、地の果てまで追いかけて来て、自尊心を保つために永遠と仕返しをしてくる」のである。
この傾向は家庭内、企業内、政治の世界、そして保守言論界で特に横行している。
特に、企業や政治、言論界において、そういうタイプこそ、薬になることはない毒でしかない存在であり、組織の不正や腐敗に大いに貢献しているような奴らであることが多い。
家庭内においては、いわゆる毒親という。

いわゆる、このような「マウンティング」おじさんたちは、相手が年下あるいは女性と見るや否や、「とにかく自分の方が経験豊富、知識豊富な上に、自分の方が知的で有能」だと決めつける。
このような傾向は早い者だと、20代から既に現れ、50代を超えると顕著に男性に現れる。
この傾向が酷い人になると、初対面にも関わらず、いきなり説教を始めるのである。
心当たりがある人は、みっともないからやめようね。

この「マウンティング」おじさんの究極の姿が、「無理心中論者」だ。
「無理心中」とは、死ぬ意思があるかどうかにかかわらず、「無理心中」という名の道連れ自殺の被害者に対する殺人行為を隠蔽して聞こえが良いものに変えるプロパガンダである。
道連れにされる子供たちの生き続けたいという意思は無視され、「子供の未来は親が決めてやるのが子の幸せである」と思いあがる毒親のエゴが殺人行為を正当化するという、優生学の究極の姿が「無理心中」である。


要するに、究極の「余計なお世話」が「無理心中」なのだ。
国民の誰からも頼まれておらず、誰からも支持されていないような奴らが、「明らかに余計なお世話な政策」をさも必要な政治政策であるかのように遂行しているのが、現在の日本の政治家や官僚たちなのである。
彼らこそ、「無理心中論者」の成れの果てと言えるだろう。


人間は生まれたての赤ん坊でさえ、実は大人顔負けの判断能力を持っているものである。
確かに赤ん坊はたった一人で生き抜くための水や食料、衣食住を自力で得て生きていく力はない。
だが、大人が一般的に思っているほど実は未熟ではない。
赤ん坊を育てたことのある人であれば、赤ん坊と四六時中時間を共に過ごす中で赤ん坊の知性と判断能力を経験したことがあるはずだ。
人間は2歳や3歳まで成長すると、単に表現する力や勇気がないだけで、実な大人顔負けの自律した考えを持った存在となっているのである。
ましてや、10歳を超えたり、成人した者たちは、十分に考え判断する力がある。
「無理心中論者」に指図や説教などしてもらわずとも、十分に自分で考え、判断して、生きていく道を選択する力があるのである。
「余計なお世話は不要」な存在なのである。

日本には、余計なお世話ばかりをしてくれる「無理心中論者」が多すぎる。
「キミたちは、キミたちだけでは何もできない。俺たちがいないと何もできないダメな奴だ。だからこれからも俺たちが世話してやるから、俺の言うとおりに黙っていればいい。」というような恥ずかし事を平気で言う「無理心中論者」達が跋扈している。

われわれ一般人は一人で考えて立派に生きていく力がある。
「無理心中論者」には社会からご退場いただくためにも、われわれ一般人は自分に自信をもち、自分たちで立って歩いて行けることを自覚しよう。
「無理心中論者」には、「今まで余計なお世話になりました。あなたたちの世話は不要なので、どうぞ放っておいてください。」と言ってあげよう。


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