本当の意味での民主主義の精神を理解しているか
民主主義において、「基本的人権を尊重するとは、どういうことか」について深堀りしてみよう。
民主主義とは何か、そして、民主主義に必要不可欠なものは「基本的人権の尊重」だという話を下記で述べているので、併せてご覧いただきたい。
日本で生活していると、日頃、基本的人権を尊重するようなシーンを意識することはあまりない。
筆者は外国に行き、外国で日々を送ることで初めて基本的人権を尊重することの大切さを実感した。
アメリカなどでは人種差別が甚だしく、日常生活の中でも常に人種差別の現実を感じるのだ。
アメリカなどに比べれば、日本ではそれほど露骨な人種差別が日常的に行われることはないのだ。
そんなアメリカで、日頃から「ユダヤ人の野郎を皆殺しにしてやる!」と叫ぶ男がいた。
その男は侮辱罪で逮捕されてしまったのだが、それを弁護して救ったのがなんと、ユダヤ人の弁護士だった。
その男は、そのユダヤ人弁護士に向かっても、「ユダヤ人を皆殺しにしてやる!」というのだが、ユダヤ人弁護士は「ユダヤ人として、ユダヤ人は皆殺しにされるべきでないと私は主張する。だが、私は弁護士として、あなたの主張の自由を絶対に守る。あなたの言論の自由は弁護士生命をかけて守る。」と言ったのだ。
凄いと思わないか?
男の主張は、このユダヤ人弁護士の生命を脅かしかねない内容なのだ。
にもかかわらず、このユダヤ人弁護士は命を懸けて、この男の主張を守ったのだ。
どんな主張であれ、命を懸けて守られなければ、アメリカの自由、アメリカの民主主義は無意味なものになってしまうというのだ。
筆者はこのユダヤ人弁護士の生き様を見て、「基本的人権を尊重するとは、これか!」と実感した。
民主主義では、様々な主義・主張は「基本的人権として尊重される」のだが、それはこのように、自分たちの声明を脅かしかねないような主張でさえ尊重するということなのだ。
日本を含め、世界中では近年、ワクチンをめぐってワクチンの利点についてだけ、言論の自由が認められ、ワクチンの欠点については言論弾圧が徹底的に行われた。
そして、ワクチン接種の強制がなされ、ワクチンを接種しない自由は許されなくなった。
本来の民主主義においては、ワクチンにおいてもどんな議論が保障されるべきであり、接種するか否かの自由は絶対的に保障されるはずなのである。
しかし、世界中でこの保障と自由が失われた。
それゆえ、「民主主義は死んだ」と言われたのだ。
民主主義が大切だというならば、たとえ自分がどんなに許せないというような内容を誰かが主張したとして、その主張を最大限に尊重した上で、自らの主張をするというのが大原則なのだ。
民主主義の精神とは、「どんな内容の主張も絶対的に認める」という精神であり、それが「基本的人権の尊重」の精神なのだ。
この精神がなければ、民主主義は死んでしまう。
われわれは今こそ、この精神がなければ民主主義は死に、独裁国家が誕生してしまうことに気づかなければならないのだ。
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