民主主義に必要なものは何かを今一度確認しよう

民主主義はこれまで人類が生み出した統治制度の中で最も「ましな」制度だと言われてきた。
つまり、最高ではなく、欠点もたくさんある制度ではあるが、現時点では最善の統治制度ということなのだ。
では、そんな民主主義に必要なものはなんだろうか。

下記の記事にて、民主主義は突き詰めれば国民全員のエゴがぶつかり合う欲望まみれの弱肉強食の社会になりかねないことを指摘した。
民主主義とは何かを今一度確認しよう|KAZU@AQUOIBONISTE|note

民主主義は国民全員の意見や希望をできる限り多く反映させようとする制度であるため、欲望のぶつかり合いとなりかねない。
権利を主張すれば、必ず誰かの何かの権利とぶつかるからだ。
そこで重要なのが、「相手の権利を認めた上で自らの権利を主張すること」だ。

みなが自らの権利主張を全面的に出し、それが主となってしまうと、必ず弱肉強食の権利の奪い合いとなる。
しかし、逆に最初に相手の権利を認めた上で、「でも、私の権利も認めてね」という設計にすると、お互いの権利主張が調和的に達成されるのだ。
正に、この精神を実現させたものが、「基本的人権の尊重」なのだ。

基本的人権の尊重の考え方とは、「個々人が持つ、自分が自分らしくあるために必要な人格的形成の根幹となる精神についてだけは、できる限り自由を認め、尊重する」というものだ。

これは例えば、ある少年がサッカーが好きだったとしよう。
この少年はサッカーが大好きで大好きでたまらないとする。
何よりも大切なものは、サッカーボールだとする。
この少年はサッカーをするのが大好きであり、サッカーをすることでもっとうまくなりたいとか、レギュラー選手に選ばれたいとか、色々目標があるとする。
そういった、「サッカーが好きだ」とか、「サッカーをもっとうまくなりたい」という精神的な思いは何よりも尊重されることになる。
この少年は、サッカーをするよりも、勉強をする時間を増やさないといけなくなるかもしれない。
しかし、そんなときであっても、「サッカーが好き」という気持ちは何よりも尊重されるため、勉強に集中するために「サッカーが好きだという気持ちを捨てろ!」ということは絶対に許されないということだ。
なによりも大切なサッカーボールを捨てて、サッカーをできなくさせるなどということは、絶対に許されないことと言える。

民主主義的な争点としては、「もっとサッカーがしたい」という思いと、「できる限りサッカーをする時間を減らして勉強をさせたい」という思いがぶつかり、その折り合いをどうするかという問題が出てくる。
このとき、民主主義における「基本的人権の尊重」の精神からすれば、この少年の「サッカーが好きだ」という気持ちと「サッカーがしたい」という気持ちだけは何よりも大切にされるということなのだ。
その後の調整は様々あるが、たとえ結果的にサッカーをする時間が全く無くなったとしても、この少年の気持ちを大切にするということを一番に考えるというのが「基本的人権の尊重」なのだ。

民主主義においては、この「基本的人権の尊重」が絶対的に必要な要素となる。
人には様々な信条や信念がある。
人はそれぞれ、何を大切にして生きるかというのは異なる。
しかし、人それぞれに違う大切な価値観を絶対的に守るようにしようという理念が「基本的人権の尊重」にはある。
だからこそ、「打ちたくもないのにワクチンを打つことを強制されること」というのは、「基本的人権の尊重」の原則からは、あってはならないことなのだ。

いつの時代も、民主主義において絶対に必要な「基本的人権の尊重」は、ないがしろにされがちだ。
現在の日本の憲法改正案において、「基本的人権を尊重する」規定が削除されようとしている。
これは忌々しきことであり、民主主義の否定であると言っても過言ではないということを指摘しておきたい。

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