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マニュアルフォーカスの楽しさ

前の記事で書いたNikon FEが、私の初めて触った一眼レフカメラだったわけだが、このカメラはマニュアルフォーカスである。オートフォーカスという素晴らしい発明を差し置いて、このマニュアルフォーカスの楽しさについて語ろうと思う。

マニュアルフォーカス用のスクリーンは、スプリットマイクロイメージ式スクリーンになっている。詳しい原理は(よく分からないので)省略するが、検索したらすぐに出てくるので、興味があれば調べて欲しい。

上の画像はNikon FEのファインダーだ。中央部に上下に半月状に分かれた像とその周りにマイクロプリズムがあり、フォーカスが外れると半月像がズレて周囲の像がぼやけてキラキラ光るようになっている。画像は木の幹がずれていて、フォーカスが合ってないことを示す。

中央にフレーミングして、像が綺麗に繋がるようになればピントが合っている。この画像はピントが木の幹に合っている。ただし、横線だとずれを認識できないので、縦線で合わせることになり、それでなければ被写体近くの縦線を探すことになる。

このピント合わせが楽しいのだ。スナイパーが照準を合わせるかごとく、フォーカスリングをくりくりと動かしていく。被写体が動かないならばただの絵合わせだが、これが動くものだと話が変わる。

マニュアルフォーカスで動いてるものを追従して撮るのはほぼ不可能だ。ただ、追っかけて撮るのでなければ方法はある。絞って被写界深度をあげたり、動きものが来るところを予測して置きピンしたりといういにしえ?の技術を駆使する。フィルムの巻き上げも手動でそもそも連写ができないので一発勝負だが、AFが今ほど高性能になる前は当たり前にやられていたことであり、今でもAFの弱い機種では使われるようだ。

置きピンして被写体を待つ様子は、さながら釣りのようである。魚の習性を理解して、先読みして、待ち伏せするように。例えば、子供なら父であるこちらを見て近寄ってくるだろうとか、犬ならボールを持ってこっちへ走ってくるだろうとか、このスポーツなら選手はこちらに動くだろうといった具合である。

実はこの思考自体はカメラの性能に拠らず写真を撮ろうとするならば自然と考えること、というか無意識に考えてるはずのことだと気づくだろう。フォーカスがマニュアルで、被写体との距離、構図やタイミングにより敏感になっているから実感できるにすぎないのだ。私は、Nikon FEを使っていくうちに、どういう瞬間が撮りたいのかということをよく考えるようになった。最終形から逆算して待ち伏せしないと撮れない瞬間があるからだ。自分で写真が上手いとは決して思わないが、自分が見返したくなる写真は増えたような気がする。それは撮った瞬間に意思が込められているからだろう。

反面、撮り逃した瞬間も多いし、撮っておけばもっと良かった写真もあっただろう。そうならないために技術を磨くのだし、高性能なカメラを買うのだと思う。でも、このカメラを経由して考え方が分かってなかったら、ゴミ写真を乱発していたに違いない。不幸なのはデジタルだと、写真を大量に撮ってもせいぜいHDDを圧迫するくらいで、この問題に気づきにくいことだ。

最新のデジカメでもレンズのオートフォーカスモードを切ってマニュアルにすれば、漏れなく同じような体験ができるので、暇があったら是非お勧めしたい。

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