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「悲しみ」について思うこと

人は沢山の感情を有してるわけですが、一番共感しやすいのは「悲しみ」ではないかと思うのです。

理不尽な事故で命を落とした方を悼み、その地にたくさんの花束が捧げられる姿を報道で見かけます。亡くなられた方に近しい人々が多いのでしょうが、それを痛ましく悲しく思う人によるものも多いような気がします。

他人事ながら何故こんな理不尽なことが?と悲しみと怒りにとらわれるようなことがあるのですが、何故だろうと思う。何故、縁もゆかりもない人の死を我が事のように感じ怒り悲しく思うのか。

多分、自分の中に理不尽さに対する怒り、悲しみを感じるような体験があったのでしょう。それがいつ覚えたものなのかはもうわからない。何が原因だったのかもわからない。

人の脳は喜びや楽しさよりも嫌なことをよく覚えるようにできているそうです。自分守る防衛反応なのかどうかはわかりません。けれどもこう考えると、多くの人が肉親を失う悲しみや愛する人との別れなどを経験しているのでしょう。いや、それこそが人が生きていくうえに避けて通れない事柄なのでしょう。 

何かの記事でコロナにより人は傷つき悲しみの中にいる、という記事を読みました。人との(直接的な)繋がりが断ち切られた、という意味ではそうかも知れません。無論、大切な人を失った人も多いでしょう。

生きていれば、愛する何かを失うことは必ずあります。その感情を共有し祈ることで人は生きてきたのかなと思います。

はるか昔、ネアンデルタール人が仲間の遺体と共に花を供えたという話に素直に感動します。遠い昔から、共に悼み祈り悲しみを乗り越えてきたのだろうと思うから。彼らが今の人類とたとえ繋がっていなくても、遠い遠い昔から人はあまり変わっていないのだと思います。




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