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年の瀬に松本清張の短編に魅了される

手仕事をしながら松本清張の短編読み聞かせに耳を傾けるのが今のマイブームとなっている。

有名な「ゼロの焦点」や「砂の器」は読んで感銘を受けたもののそれ以上ハマることはなかった。氏の作品を読むにはまだまだこちらの力が追いついていなかったのだ。

歴史物や短編に耳を傾ける。非常に緻密でリアリティがある。かといって退屈ではない。この先どうなるのかと読者を誘う仕掛けがちゃんとある。起承転結のようなものがきちんとあって、それはやはり物語の基礎中の基礎なのだなぁと思ったりする。最後の一文がまた憎らしいほど見事で、聞き終えた後は密かに拍手をしてしまう。

何より感心したのは、女性がちゃんと小説の中で「生きている」ことだ。書き手は男性なのにこれは凄いと思う。いかにも巷で息をしているような気がする。時々、男性が書く女性像は「こんな女はいない」と白けてしまうのだけれども、松本清張の描く女性は確かにいそうなのだ。リアリティがある。

戦後間もない昭和の話や西南戦争の話など、自分にはよくわからない時代の話がわかるのもいい。その頃の空気感というものを氏の作品から窺い知るのも楽しい。

日本史は明治あたりから急速につまらなくなる。教師も江戸時代ごろまでは熱心に教えていたのに、明治あたりから経済政策ばかりを駆け足で説明し昭和期はほとんど大きな出来事ばかりかいつまんで教示するだけで、いかにも面白くなかった。

小説の醍醐味は、出来事ばかりでなくその中に血の通った人間が存在し今とさして変わらない感情を抱き生きていたことを活写してみせる点にあるかもしれない。フィクションでありつつ実在するかのような。

主人公がこの先どうするのか考えながら話を聞く。そして、自分の思考が短絡的な結末に陥りがちなことを恥ずかしく思う。人の持つ複雑さを松本清張は書いている。複雑さに耐えることが人たる所以なのだろうし大人である証明であると思っているが、ここまできっちり書いてみせる作家が現代にいるだろうか、と思う。そんな複雑さに拘泥することは時間の無駄とばかりに加速度的に展開する昨今の話は飽きさせず面白いけれども何か物足りない。嘘くさい。

まだ数作品聞いたばかりだが、ようやく氏の作品を面白いと思えるだけの歳になったのかと思う。正月明けに図書館から氏の著書を借りて来るのが楽しみである。

年末で皆様お忙しいことと思います。何らかの形で交流してくださった方々、記事を目にしてくださった方々に深く感謝申し上げます。

来年も良い年をお迎えください😊

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