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ソウルメイト、魂の片割れ。

 私たちは再び出会った、チェコのリベレツで行われるアニメーション映画祭にて。ドイツ、ポーランド、チェコが接する位置に近い、プラハよりも北にある小さな町だ。多くのチェコの映画祭は都市ではなくリべレツやイフラバのような都市からバスで2時間くらいの離れた場所で開催される。そのため約1週間の映画祭期間は街全体がそれ一色になる。映画館の代わりに美術館、城、中央広場での屋外スクリーンが上映場所として起用され、参加者たちは街を探検しながら映画を鑑賞することになる。2020年には岩井澤健治監『音楽』がfeature film for grown-ups部門で受賞していた。チェコはアニメーションが強いというイメージが留学前からあったので、アニメのことはよくわからないが行ってみたかった。そして、映画祭なら彼を誘ってみたかった。
 私と友人ふたりは朝5時に起き、とりあえずコンタクトとヘアアイロンだけしてメイク道具はバックに突っ込み出発。B市から直通バスはないのでまずプラハへ行き乗り換えた。リベレツで彼と合流して、1970年代の日本短編アニメーション、山村浩二監督『幾多の北』、1980-90s の実験的アニメーションなどを鑑賞した。やはりアニメのことはよく分からなかったが、チェコ・日本合作の『Briar-Rose or the Sleeping Beauty / いばら姫または眠り姫』はめちゃくちゃ面白かった。何がとはあえて言わない方がいいのでふれないが、中盤からカオス。チェコ料理は信用できないから夕食は勿論中華料理屋に行った。値段、量、美味しさがどのお店でも保証できるのがヨーロッパにあるアジア料理屋の特徴だ。夜9時から今年の受賞作品(これは典型的なフェミニズム作品すぎる)を鑑賞し、少し早いがアフターパーティへ行った。
 甘いと言われるチェコビールは好みではないのでいつも通りカクテルとサイダーを飲んで踊る。友人が体調を崩していたので座れる場所で度々休みながら楽しんだ。三人で恋の話をし、彼にYou’re too romantic!と言った。ルームメイトにも同じことを言われているらしく、映画の見過ぎだと自分でも思う、と笑いながらしかし彼はそれを否定しなかった。また私の恋愛観を話すと君の方がパラダイスじゃないかと彼は言った。私は他者との関係を築く前に自分のことで精一杯な時期が長かったから、恋愛に真剣になれるという点において私たちは対極だと感じた。アフターパーティにはクリエーターばかりで皆年上だったからか、音楽はとても遅いテンポだった。誰かの犬が器用に踊る人間らの足元をくぐり抜けてゆく。時々発せられるスモークには子供のように手を伸ばした。
 白人社会のチェコではどこへ行ってもアジア人は私たちだけで、この映画祭のアフターパーティでさえ変な人につっかかれた。特に東アジアの人間は奇妙らしく、酔っ払った人々に動画などを撮られ私たちは気分を害した。まあそんなことも水に流してやって、友人はあの爆音の中再び眠りについた。ベンチに座り、眠る友人の頭を肩に感じながら私と彼は語り始めた。私が映画を観るきっかけとなったベルナルド・ベルトルッチからゴダールへ。映画は私たちの背骨である。一緒に来た友人が私と彼について、映画の好みがすごく似ていると表現したが、実はそうではない。ただその微妙な差異が話すのにはすごく心地いい。初めてThe Dreamersを観た時期を話している間に、彼の弟が私と、私の兄が彼と同い年であることを知った。不思議なことに彼の口から兄弟のことが語られることに違和感を持った。このひとは私自身であると意識するあまり、彼には彼の兄弟がいることをただの情報として受け入れることが難しかった。と同時に、糸が通るように何もかもがすっと納得という形で私の内に入ってきた。彼は私のようでありながら、私の兄のような雰囲気も持っていた。私にとってこの世で最も不可解な人間の兄を彼に重ねることで、私は私自身と兄を知りたかった、それが私が彼に対する異様な興味への原因だった。
 家族の話をし、友人のこと、恋人のこと、自分のことを、パーティの気持ち良い煩さの中、膝と肩を寄り添いながら互いの耳元で叫びあった。私が彼に3秒間恋した、最初に出会ったクラブと同じ状況だった。私は正直に、あなたは私ととても似ている、あなたは自分の真実が自分の弱みであることを知っているのにも関わらず、それを一見なんでもないように無造作に相手にわたし、そうしてさも傷ついていないように振りまうと伝えた。君は僕のことをもう既に理解しているのに、僕にとって君は未だに十分ミステリアスだと彼は言った。私たちは遂に過去について語り始めた。これは私が初めて自分のある過去と対峙した瞬間だった。以前プラハで話した時、私は彼の過去を直視することが辛かったが、しかし今回は素直に彼の過去を聞くことができたと思う。それは私が彼は彼で、私ではないのだとようやく理解したことを表している。この当たり前のことが、ずっと認識できなかった。認めることが怖かったようにも思う。彼は自身の秘密を言葉にした。私も自分の秘密を伝えた。自己を構成するには、真実のすべてを誰かに委ねるより、その一部を少しづつ大切な人達に託せばいいと私は言った。けれどこの時は、私は彼に真実そのものを委ねたかった、知って欲しかった。失った友人のことを私以外の誰かに知っておいて欲しかった。そうすることで友人の中で私が存在していたこと、私たちの関係、もうふれられないあの人と私がきちんと関わられていたことを証明できるような気がした。彼は静かに聞いていた。時折、彼の流暢な英語では表現できないといい、中国語を日本語に訳して丁寧に気持ちを伝えてくれた。
 友人が起きてきた。私たちは何もなかったかのように再び踊る。向かい合って踊る。しかし目を合わせることはしなかった。彼に向き合い、目を瞑り、失った友人のことを想った。ようやく、私はあのひとを失ったのだと、そう諦められる気がした。そして私は魂の片割れと共に、歩くことを再開する。

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