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逃走線

罪を犯して、うだるような暑さの中を、僕は赤い自転車に乗って、「逃げ」ていた。罪の声はどこへ逃げても追いかけてくる。
ただひたすらに道を東北に向かって死に場所を探していた。
確か埼玉県のどこかだと思う。自転車がパンクした。僕は自転車を路肩に置き去り、歩いてまたも「逃げる」
畑の近くの民家に「助けてください」と逃げ込んだ。
男が困ったような顔をして出てきた。
「警察をよんでください!追われているんです!」
「なにに?」
「声に」
男は電話をして警察を呼ぶ。僕は民家の庭でへたり込んでいた。しばらくすると警察が来て、僕をパトカーに乗せ、警察署まで運ぶ。実家に電話がされ、父親が迎えに来る。
翌日僕は父親と母親に付き添われて病院に行く。診断名:統合失調症。どこまでも真っ白な診察室で幼い虹が死んだ。
病院の外のベンチで親がタクシーを待っていた。向かいの生垣に立葵が真っ赤に咲いていた。僕はタクシーには乗らず、一人歩いて帰った「大丈夫だから」と言って。

茹だるような夏になると僕はその時のことを思い出す。逃走線を描きそれに失敗したこと。どこまで逃げても逃げきることはできない。ならば別の仕方で「逃げる」ことは可能だったのだろうか。別の仕方。死に向かわない逃走線を描くことは可能か。私にとっての逃走線はおそらく音楽を作ることだろう。私の音楽が逃走線を社会に走らせる。それが生ける逃走線である。それぞれがそれぞれに逃走する。デッドラインを超えて生きるということ。
あれから何度目の夏を超えただろう。僕はこれからも別のしかたでの逃走線を描き続けるだろう。あの暑い夏の日に死んだ幼い虹に敬意を表して。


 始まりはなんであったか、もう定かではない。僕はいつからか社会から逃げるようになっていた。高校をドロップアウトしてから僕は定職にもつかず飲食店でアルバイトをしていた。今思えば、社会に対するフラストレーションを溜めた何者かになろうとする若者の一人であった。そんな僕はあるときロックンローラーに出会うことになる。
それはニューヨークに向かうノースウエスト航空の機内であった。となりの席に濃いめのレイバンのサングラスをかけ、擦り切れたジーンズにスマイルマークのTシャツを着たアジア人と思しき人が座っていた。飛行機が離陸しシートベルトのサインが解かれた直後、その男は僕に話しかけてきた。
「日本人か?」
「そうです。あなたも日本人みたいですね。」と僕は返した。
「俺は確かに日本人だが、日本では俺の才能は活かされない。だからアメリカに行くことにた。」と不敵に笑いながらその男は答えた。
「アメリカに何しに行かれるのですか?」と僕は不信に思いながら男に聞いた。
「ロックンロールさ。俺はロックで逃走線を描く。」と男は言った。
「逃走線?」と僕は少し興味を惹かれ聞いた。
「ドゥルーズという人の哲学の概念さ。社会や国家の規範から逃れて自由を得る。つまりコードをぶち破るのさ。わくわくしないか?」と男は興奮気味に答えた。
「そうなんですか。哲学のことはよくわからないけど、うまくいくといいですね。」と僕は言った。
「君は何しにアメリカへ行くんだ?」と男が聞いてきた。
「僕は…わかりません。アメリカに行ってみたいから行くだけです。」僕は首をかしげて答えた。
「ふーん…自分探し、みたいなものか?」と男が尋ねた。
「まあ、そうかもしれません。アメリカに行けば何かが変わるかもしれないと、どこかで思っているのかもしれません。」と僕。
「まあ、何であれ旅をするのはいいことだ。異国の雰囲気を吹いてくる風を肌で感じると自分の組成が変わってしまうような気がするからな。」と男は得意げに言った。
「自分の組成が変わるなんてことがあるんですか?」と僕は聞いてみた。
「あるさ。良い本や人、環境によって人は無限に変容する。自分の内側と外側が同的に呼応する時、人は成長するものだ。」と男は言った。
「なるほど。僕もアメリカの風を感じて変われたらいいな。」と僕は感慨深い気持ちで答えた。
「きっと、変われるさ。名乗り忘れたが俺の名前は流川走だ。流れる川が走ると書いて流川走だ。よろしくな。」と流川は名乗った。
「僕は鈴木光と言います。普通の鈴木に光と書いて鈴木光です。よろしくおねがいします。」と僕も名乗った。
「NYにいくんだろ?良いライブハウスがあるんだ?一緒に行かないか?」と流川は聞いてきた。
「そうですね。音楽は詳しくないですけど、行ってみたいです。」と僕は答えた。
それからお互いの連絡先と滞在先を交換して僕たちは取り留めもない話をしばらくしてやがて眠りについた。夜の闇を飛行機が切り裂くように飛んで窓の外には星が輝いていた。

NYについた僕たちはバスに乗り空港を後にした。マンハッタンで流川と別れ僕は路地にある宿泊地リバーサイドホテルに向かった。マンハッタンの街は巨大で多様な人々が行きかいまさに人種の坩堝のように僕には思えた。街はショウアップされネオンは煌めきまるでブロードウェイの舞台に立っているような気持にさせられた。それから数日、僕はセントラルパークをぶらぶらしたり、ブルックリンブリッジを渡ったり、街を歩き回った。到着から5日立ったある日の夜扉をたたく音がした。恐る恐る扉を開けるとそこには流川がいた。
「いくぞ。今日は良いバンドが出るんだ。」と流川は言った。
「ああ、あのライブハウスに行くんですか?」と僕は聞いた。
「そうだ。音楽の時間だ。」と言って流川は僕を部屋から引っ張り出した。
マンハッタンの中心からやや外れたところにそのライブハウスはあった。ニルバーナが演奏したこともあるそのライブハウスはペールファイヤという名前だった。
「急ごう、もう始まっている。」と言って流川はライブハウスの扉を開けた。
ライブハウスに一歩足を踏み入れると僕を爆音が包んだ。エッジの効いたギターの音、内臓に響くベースの音、天と地を繋ぐドラムの音、そしてしゃがれた声でシャウトするボーカルの声、僕はその全てに圧倒された。
あまりの衝撃にぼんやりとしていた帰り道に流川がぽつりと言った。
「まあまあだったな。」
「あれで、まあまあ、なんですか?僕には凄すぎて、なんだか今も意識が飛んでいます。」と僕は言った。
「まあもっとすごいバンドはいるな。」と流川は言った。
「なんだか僕の組成が変わってしまったみたいです。日本に帰ったらロックいっぱい聴いてみます。」と僕は言った。
「今日から君もロックンローラーだ。俺がバンド組んだら聴きに来てくれよ!」と言って流川は帰っていった。僕はぼんやりとホテルに戻った。いつまでもその日聴いた音楽が頭から離れなかった。

東京に戻って僕は引きこもった。ただひたすらロックを聴き一日を過ごした。ロックンロールが身体に染み込んだ頃友人の亮が僕を仕事に誘った。派遣社員でデータ入力がメインの仕事だった。
その職場で働いてみると、僕はすぐに嫌気がさした。陰口や嫉妬、妬み、嫉みがそのオフィスには渦巻いていた。それはどこまでも愚鈍でどこまでも醜い人々の群れだった。僕は休み時間も人々には近寄らず一人ランチを食べていた。いつもイヤホンをして一人ロックを聴いていた。そんなある日、僕は直子に声をかけられた。
「何を聴いているの?」
僕は少し驚いて答える。
「paint it black」
「ああ、ストーンズ聴くんだ。」と直子が言った。
「君もロックを聴くの?」と僕は少しうれしくなって聞いた。
「そんなに詳しくはないけどね。なんでまた黒く塗れ、なんて聴いているの?」と直子聞いてきた。
「なんとなく、そんな気分だから。」と僕は答える。
「ふーん、少しわかるな、そんな気持ち。」と直子は微笑みながら言った。
「君はいつも一人でご飯食べているの?」と直子が聞く。
「まあね。あまり人と関わりたくないんだ。」と僕が答える。
「たまにあたしも一緒に食べていい?邪魔でなければ。」と直子が聞いてきた。
「別にいいよ。ロックの話できる人あまりいないから。」と僕は答えた。
「ありがと。私、直子。田中直子。よろしくね」と直子が名乗った。
「僕は、鈴木光。よろしく。」
それから一週間に一回ぐらい僕と直子は一緒にランチを食べるようになった。
「私は洋楽というより日本のロックが好きなの。」とある日のランチで言った。
「日本のロックは僕はまだ聴いたことないな。なんていうバンドを聴いているの?」と僕はサンドイッチをむしゃむしゃ食べながら聞いた。
「うーん。バックホーンとかsyrup16gとか。暗いやつ。」と直子は言った。
「ふーん、今度聴いてみよう。」と僕は言った。
「ニルバーナは好き?」と直子が聞いた。
「大好きだよ。カート・コバーンは僕のヒーローさ。」と僕は言った。
「じゃあ、バックホーンもsyrup16gも気に入ると思うな。」と直子は言った。
翌日CDショップで僕はバックホーンの人間プログラムというアルバムとsyrup16gのCoup d’étatというアルバムを買って聴いてみた。バックホーンのエモーショナルなサウンドと叫びにも似た歌声は僕を揺さぶりsyrupの静かで退廃的な歌詞に宇宙を彷徨っているようなサウンドに僕は胸を撃たれた。それから僕はエンドレスにその二つのバンドの音楽を聴いた。魂があちら側に持っていかれてしまったように、僕は音楽を聴き続けた。
そんなある日流川から短いメールが届いた。

元気にしているか光?俺は無事アメリカでバンドを組んで方々のライブハウスで演奏旅行をしていた。今度メジャーのレーベルからアルバムを出すことになったよ。完成したら送るから聴いてくれ。俺たちのバンド名はThe Catcherだ。

僕はそのメールをみてわくわくしたが、とんとん拍子に進んでいく走の人生がうらやましくも思えた。
「なんだっけ。走がいっていた哲学者の名前は…確かドゥルーズだったけ。僕も読んでみようかな。」と僕は一人呟いていた。
「何難しそうな本読んでるの?」と直子が話しかけてきた。
「ドゥルーズのアンチ・オイディプスだよ。」と僕は答えた。
「ドゥルーズ?いったいそれが何の役に立つわけ?」と直子は聞いた。
「さあ…友達が面白いと言っていたから読んでみようと思ったんだけど、機械がどうとか肛門がどうとかでちんぷんかんぷんさ。」と僕は答えた。
「ふーん。友達がいたんだ。」と直子が聞いた。
「うーん。ニューヨークに行く飛行機で会った人なんだけど、アメリカでバンドしているんだ。その人に僕はロックを教えてもらった。実際、本当の友達と呼べるのは彼だけなんだ。」
と僕は答えた。
「アメリカでバンド、すごいねえ!」と直子は驚いて行った。
「うん。こんどアルバムを出すから送るって。」と僕は少し惨めに答えた。
「ふーん。なんていうバンドなの?」と直子は聞いた。
「The Catcher。」と僕は答えた。
「ふーん。キャッチャーか。それはキャッチャーインザライから来てるのかな?」と直子が聞いた。
「キャッチャーインザライ?何それ?」と僕は答えた。
「サリンジャーの小説よ。ジョン・レノンを殺した男が愛読していたという本。」と直子が言った。
「へー。君は文学も読むのか。」と僕は感心して答えた。
「ロックを聴いていると本が読みたくなるの。砂漠にいる人が水を欲しがるように。」と直子は答えた。
「でもキャッチャーインザライってどういう意味だい?」と僕は聞いた。
「ライ麦畑でつかまえる人よ。ライ麦畑で遊ぶ子供たちがクレイジーな崖から落ちないように。」と直子は言った。
「ふむ。それは大事な役目だ。」と僕は言った。
「つまり走は子供たちが崖に落ちないようにつかまえる人という名前を自分たちのバンドにつけたのか。」と僕は感慨深げにつぶやいた。
「わからないけど、聞いてみれば?」と直子は言った。
その夜僕は走にメールをだした。

ひさしぶり、走。僕は元気にやっている。走のアルバム早く聴きたいよ。
一つ走に聞きたいことがあるんだけど、The Catcherというのはキャッチャーインザライからとったのかい?

すぐに返信がきた。

そうだ。よくわかったな!俺たちはみんなホールデン・コールフィールドなんだ。このくそみたいな社会でやっていかなきゃいかない。いたるところに崖があるんだ。俺たちは子供たちがその崖から落ちないように音楽をやる。子供たちが損なわれないようにな。

僕は翌日キャッチャーインザライを大型の書店で買った。一ページ一ページゆっくり読んだ。なぜだか分からないが涙が出てきて僕は蹲った。世界が音を立てて崩れていった。
次の日、会社に行くと僕はいつものように陰口を言っている人々に毅然として言った。
「あなたたちは恥ずかしくないんですか。そんなことばかりしていて。あなたたちはくそだ。腐ったゴミ屑だ。」と言って僕はオフィスを後にした。オフィスは凍りついたように静まり返った。僕は滅びゆくバベルを後にする人々みたいに振り返らず歩いた。直子が後を追ってついてきて僕を呼び止めた。
「まって。これ、あたしの連絡先。落ち着いたら連絡して。」と言って紙片を僕に渡し直子は去っていた。
僕はそのままお茶の水の楽器店に行き中古のフェンダーのストラトキャスターを買った。
それからしばらく僕は自分の部屋でギターをひたすら弾いていた。指が痛くなっても只ひたすら、亡霊に取りつかれたみたいにギターを弾いた。
気づいたら半年がたっていた。僕は直子と話したくなって直子に連絡をとった。土曜日に渋谷のカフェで会うことになった。

「それで、今までなにしていたの?」と直子は聞いた。
「ギターを弾いてた。」と僕は答えた。
「半年間ずっとギターを弾いていただけだっていうの?わたしに連絡もよこさずに。」と直子は少し怒ったように言った。
「まあ、いいわ。それでこれからどうするつもり?」と直子は聞いた。
「バンドをやる。崖に落ちる子供たちを救うために。」と僕は言った。
「そう、バンドやるあてはあるの?」と直子が聞いた。
「ない。」僕は肩をすくめて言った。
「私の知り合いのバンドがギタリストを探しているから聞いてみようか?」と直子は優しく聞いた。
「うん。ありがとう。でもどうして僕にこんなに優しくしてくれるの?」と僕は申し訳なさそうに聞いた。
「あなた、馬鹿なの?そんなの好きだからに決まっているじゃない。」と直子はまっすぐ僕の目を見ていった。
「そうか。不思議だな。」と僕は呟いた。
「なにが不思議なのよ。」と直子は聞く。
「僕のことを好きな人がいるということが、とても不思議なんだ。」と僕は弱弱しく答えた。
「はあー。なんでこんな人を好きになっちゃったのかな。」と直子はため息をついた。
「まあ、いいわ。明日、知り合いのバンドがリハーサルやっているスタジオに行くけどくる?」と直子は聞いた。
「もちろん、行くよ。這いつくばってでも行くよ。」と僕は言った。
「じゃあ、ギターを持って15時に南口に集合ね。」と直子は言った。
それから僕たちは取り留めのない話をして夕方に別れた。

翌日、僕が駅に着くと楽器を抱えた集団と直子が待っていた。
「俺は要、要義之。ウィロウズのベース兼リーダーだ。」と要が挨拶した。
「でこっちがドラムの高梨隆。」と要が紹介すると高梨は
「うっす。」とだけ答えた。
僕たちは挨拶をして、ぎこちなくスタジオまで歩いた。スタジオに入って楽器をセットすると要が、「適当に何か弾いてくれ。」と言われたので僕はニルバーナのsmells like teen spritsを弾いた。
「半年にしちゃうまいな。相当練習したんだな。」と要は言った。
「歌は歌えるか。」と要が聞いてきた。
「歌えますけど、うまいかは分かりません。」と僕は言った。
「試しに何か歌ってみてくれ。バックホーンとか。」と要は言った。
僕はギターを弾きながらバックホーンの刃を歌う。ギターをかき鳴らしながら爆音で歌を歌うのは気持ちがよかった。途中から要と高梨が演奏に加わった。そこにはそれぞれの個性の調和があった。演奏を終えた要が言った。
「ウェルカムトウザウィロウズ」
その日から僕はウィロウズの一員になった。
帰り道に直子が言った。
「君いい声してたんだね。少し感動したよ。」

その日に僕は走にメールを送った。

走元気にしているかい?僕は今日ウィロウズというバンドに入ったんだ。初めてスタジオで爆音でギターを鳴らしたら気持ちよくて感動したよ。僕も子供たちが崖に落ちないように音楽をかき鳴らしていくよ。

しばらく走からの返事は来なかったが一か月して返事がきた。

光、元気そうで何よりだ。返事が遅れてすまない。ついにお前もバンドに入ったか。俺の見る目は間違ってなかったな。俺はここ半年レコーディングで忙しかったがついにマスターアップしたよ。アルバムのタイトルはヒプノシスだ。お前の家にも送ったから数日中には届くだろう。いつか同じステージに立てることを期待しているよ。

それから僕はバイトをはじめ、音楽にのめりこんでいった。ヒプノシスは名盤だった。ラジオ局でかかったことから反響を呼び全米のトップチャートに食い込んでいた。何百万枚もCDが売れた。彼らの静かで、でも内なる激しさを秘めたサウンドと哲学的な詩は若者たちを虜にした。僕はそのCDをiPodにいれ深夜の街を回遊魚みたいに徘徊した。バンドの練習は回を追うごとにケミストリーが高まっていった。僕たちは歌詞をもちよりメロディーを持ち寄りオリジナルの楽曲を増やしていった。そして初めてのライブの日がやってきた。
客の入りはいまいちだったが、僕は緊張で心臓がバクバク言った。吐きそうだった。
そして出番がやってきて僕たちはステージに立つ。ステージを照らすライトに目がくらみ光の先に見える人々がどこか不気味だった。僕たちは虚無をかき消すように音楽をかき鳴らした。天と地が繋がりバンドとオーディエンスが一体になり会場がカオスモーズのようになった。僕たちは叫んだ。そこには永遠が存在していた。
ライブが終わった後、ライブハウスの外で直子が興奮気味に言った。
「すごかったよ!みんな熱狂していた。こんなすごいバンド他にはないよ。次はもっとお客さんくるんじゃないかな。」
「うん。何かが決壊したきがする。僕たちはもしかしたらとんでもない場所まで行けるような、そんな気がしたよ。」と僕も興奮して言った。
それから僕たちはライブを精力的に行っていった。回を追うごとにオーディエンスは増えていった。そしてある日、レコード会社の人が僕たちのライブを見に来ることになった。
僕たちはレコード会社と契約し、アルバムを出すことになった。

「アルバムのタイトルはどうする?」と要がコーヒーを飲みながらメンバーに聞いた。
「うーん。なんかいい案ないか?光。」と高梨がドラムのスティックをくるくる回しながら僕に聞いた。
「自由への逃走、なんてどうですかね。」と僕は二人に言った。
「自由への逃走か、なかなかいいな。」と要が言った。
「なんで自由への逃走なんだ?」と高梨が聞いた。
「フロムの自由からの逃走をもじっているんですが、僕は自由へ逃走することによって既存の価値観に亀裂を走らせたいと思うんです。ドゥルーズの言う遊牧民の線を描いて逃走することが僕たちの音楽そのもののような気がします。」と僕はギターをもてあそびながら言った。
「なるほどな。哲学のことはよく分からないが言わんとすることは分かる。」と高梨がハイハットを叩いて言った。
「自由への逃走という曲も作るか。詩は光が書け。」と要が飲み終わったコーヒーのカップを捨てながら言った。
「まかせなさーい。」と僕はおどけて言った。
それから僕たちはアルバム制作に打ち込んだプロデューサーの要求は高く僕たちは試行錯誤しながらアルバム制作を続けた。ナチスドイツ軍に包囲されたレニングラードさながらの耐久戦が続いた。そして僕たちのアルバム「自由への逃走」は完成した。その日はみんなレコーディングルームで泥のように眠った。僕は完成したサンプルを走に送った。数日後走からメールが来た。

光、久しぶり。アルバム聴いたよ。良く作ったな!最高のアルバムだ。それで、今度ジャパンツアーがあるんだが、そのオープニングアクトにお前たちのバンドを推薦しておいた。詳しくはレコード会社の人から連絡があるだろう。お前に会えるのを楽しみにしているよ!

すぐに僕は仲間にそのことを告げた。みんな興奮していた。そしてその日はやってきた。
武道館の舞台に僕たちは立ったのだ。その日のことは、あまり覚えていない。記憶がすっぽりと抜け落ち僕たちは白昼夢を見ていたような気分に襲われた。その日から僕たちのアルバムは売れ出しチャートを急上昇した。

ライブの後、深夜の公園で僕は走と話した。
「良かったよ。いいライブだった。」と走はベンチに座り言った。
「なにがなんだか分からなかったよ。ただ夢中でギターを弾いて歌っていた。」と僕は缶ビールの蓋を開けながら言った。
「なんだか随分と遠いところまで来てしまった気がするよ。」と僕は感慨にふけって言った。
「ようこそ、スターダムへ!俺たちは見事逃走線を描いたんだ。」と走は立ち上がり手を広げながら言った。
「そうだな。これからどうなるのかな。なんだか少し怖い気がする。」と僕はビールを飲みながら言った。
「また、会おう。子供たちをクレイジーな崖から守らなくては。」と走は僕を見て言った。その目に何か闇のようなものをその時僕は感じた。その闇は夜の公園に溶けだし僕の胸にそっと染み込んでくるような気がした。

ひどい二日酔いで僕は目覚めた。ここはどこだろう?ああホテルで仲間と乱痴気騒ぎを昨日したんだっけ。それにしても頭が痛かった。隣に見知らぬ女が裸で寝ていた。
僕はタバコに火をつけてぼうっと辺りを見回していた。いたるところに酒の瓶が散らばりLSDの錠剤がテーブルに置かれたままになっていた。僕はベッドから立ち上がり窓辺に立ちカーテンを開けた。太陽はもう高くあがっていた。僕たちはアメリカにツアーに来ていたのだ。そして昨日ライブを終えていつもの乱痴気騒ぎが始まった。直子とはもうずいぶんあっていなかった。ホテルをでると光が眩しかった。なんだか後ろめたい気持ちのするそんな午後だった。いつからか僕は渇きを覚えていた。なにをやっても満たされなくなっていた。そんな空虚さを満たすために酒や麻薬に溺れる毎日が続いた。LAの街を歩いているとふと教会を見つけた。面白半分に僕はその教会に足を踏み入れた。説教をしていた神父と目が合うと神父は手のひらを椅子のほうに向け座るよう促した。

「ダビデの詩にこんな詩があります。

主よ、わたしを苦しめる者は
どこまで増えるのでしょうか。
多くの者がわたしに立ち向かい
多くの者がわたしに言います。
「彼に神の救いなどあるものか」と。

主よ、それでも
あなたはわたしの盾、わたしの栄え

わたしの頭を高くあげてくださる方。
主に向かって声をあげれば
聖なる山から答えてくださいます。

身を横たえて眠り
わたしはまた、目覚めます。
主が支えてくださいます。
いかに多くの民に包囲されても
決して恐れません。

主よ立ち上がってください。
わたしの神よ、お救いください。
すべての敵の顎を打ち
神に逆らう者の歯を砕いてください。

救いは主のもとにあります。
あなたの祝福が
あなたの民の上にありますように。

どんな困難の内にあろうとも神はわれわれとともにあります。人々があなた方に石を投げるときも神はそれによって流される血をぬぐってくださいます。神とともにあることによってわたしたちは平安になれるのです。みなさんに神の祝福がありますように。」と言って神父は十字を切った。
説教が終わったあと神父は僕のもとにやってきてこう言った。
「あなたは苦しみの内にあるお方のように私には見えます。懺悔なさって神の赦しを得ることをお勧めします。それがあなたの為です。」
「懺悔?冗談じゃない。僕はキリスト教徒でもなんでもない。神なんて信じない。神の名のもとにどれだけの血が流されたのか。信じているのは僕の生み出す音楽だけだ。」と僕は言い放った。
「その音楽ですら。神の吐く息から生み出されるのです。偉大な旋律というのは神のものです。あなたの傲岸さがいずれ大切なものを失うことになるでしょう。でもあなたはそれにすら気づけないかもしれない。それは悲しいことです。」と神父は憐れんで言った。
「神父に音楽のなにがわかるのか。僕は神を信じない。」そう吐き捨てると僕は教会をあとにした。後ろから神父が「教会の門はいつでも開かれています。またおいでください。」と声を張り上げて言った。

ホテルに戻ると僕はなぜかイライラして、グルーピーを部屋から追い出した。そしてLSDの錠剤を飲んで一人トリップした。無数の光の渦が僕を飲み込んだ。そこには過去も現在も未来もあった。赤ん坊のなく声や無機質な音の連続が聴こえ、死者たちの暗い影が見えた。薄青い光やオレンジの光が幾筋も幾筋も僕を貫いていった。

日本に帰ると僕たちを沢山の観衆が出迎えた。僕たちは不機嫌そうにそれを通り過ぎ、次のアルバムの制作に取り掛かった。
そんなある日、要が血相を抱えて僕に言った。
「直子が自殺した。」と
僕は言葉を失った。電球の球が急に切れてしまったように僕を暗闇が包んだ。
直子の葬儀に僕たちは駆け付けた。すすり泣く人々の声が辺りに響いていた。
焼香をあげると直子の母親が僕を呼び止めた。
「これ。直子があなたに書いた手紙。だそうとしてだせなかったみたい。」と言って泣きながら僕に封筒を渡した。
僕はなんといっていいか分からずただ黙って手紙を受け取った。
「あの子のこと、忘れないでね。」と直子の母親は言って戻っていった。

手紙にはこう書いてあった。

拝啓、鈴木光君

今、わたしは病院のベットでこれを書いています。光君と別れてから、何でだろうぽっかりと心に穴が開いたみたいで、悲しくて、寂しくて、ずっと泣いてばかりいます。会社にいたころのわたしたちは何だか似通っていて、まるで生き別れた双子の片割れに出会えたようなそんな気がしていました。あの武道館のライブの日から、なんだか君が遠くにいってしまったようで、いつか別れる日がくるんだろうなと想像していました。でも実際その日がくると思っていたよりずっとショックでわたしは弱いなあと思いました。いつかまた君と出会いなおせる日がくると思ってもいいですか?わたしはずっと待っています。
病院の窓からは桜の木が見えて、いつか二人で歩いた桜並木のことを思い出します。思い出の中の君の笑顔が私の心を温めてくれます。退院したらまた会えるよね。そう信じることは勝手だよね。


僕は手紙を読みながら、涙した。直子からの連絡を悉く無視していた自分を恥じた。
直子の純真さを忘れ、酒やドラックや女にまみれていた自分を深く恥じた。深い喪失感が僕を襲い僕はあてもなく夜の街を彷徨った、魂の抜け殻が二足歩行で歩いていた。どれだけ歩いただろう気づくと僕の目の前には何かの印のように十字状のネオンが輝いていた。僕はその教会の戸を叩いた。朧げな少しひょろっとした神父が眠そうに扉を開いた。
「こんな夜更けに、どのようなご用件ですか?」と神父は訝しんで言った。
「懺悔させてください。僕は罪を犯しました。」と僕は言った。
「大丈夫ですか?顔が青い。中へお入りください。とりあえず温かいスープでも飲んで落ち着いてから、話を聞きましょう。」神父は僕に言い教会の中に招き入れた。
教会の隅の部屋に通された僕は焦燥しきっていた。
「ポトフです。昨日の残り物ですけど。」と言って神父は僕にスープを差し出した。
僕はゆっくりとポトフを口に運んだ。温かさが凍え切った僕の身体の隅々までいきわたって僕は人心地がついた。
「それで、どうされたのです?」と神父が向かいの椅子に座りながら聞いた。
「とても大切な人を亡くしました。でも僕は失ってしまうまで彼女の大切さに気づかなかった。彼女がいなければ今の僕は存在していないのに、彼女に冷たくして、酒やドラッグや女にまみれていました。こんなはずではなかった。僕はクレイジーな崖から子供たちを守るはずだった。でも彼女はその崖から落ちてしまった。僕はそれをつかまえることができなかった。それが僕の罪です。」と僕は静かに言った。
神父はしばらく考えていた。そしてこう言った。
「人間というのはそういう生き物なのかもしれません。誰しもが罪人で、日々大切なものを失っていきます。そうやって人々は損なわれていきます。私も大切な人を失いました。父です。父は無口な職人でした。昔気質で人の言うことを聞かない。それが私は嫌だった。でも父が亡くなって、しばらくすると父の本質が、魂が私に語りかけてきました。お前の好きなようにすればいい、と父は僕を認めてくれていたのだと、今では思います。大切な人が亡くなることの意味を見出せるのは他でもないないあなた自身です。彼女の魂はあなたになんと語りかけていますか?それを忘れずにいることが、あなたが罪を贖うことだと私は思います。神は乗り越えられる人にしか試練を下さない。あなたもきっと罪を贖い乗り越えることができます。教会で懺悔すれば罪が許されるというわけではないのです。あなたの罪はあなたが乗り越えなければならない。それを神様が望まれているからあなたは罪を負ったのです。」と神父は言った。
「彼女の魂が何を語りかけてくるか…それを忘れないこと。」僕は自分の胸に刻むようにそう呟いた。
「話を聞いてくださって、ありがとうございます。何だか光が見えたきがします。」と僕は神父にお礼を言った。
「また、いらしてください。今度は昼間に。」そう言って神父は微笑んだ。
教会から外に出ると外は白みはじめていた。薄明るい街を歩きながら僕は魂について考えた。直子の魂の宿った手紙を大事にしよう、そう僕は想った。

僕に残されたのは音楽だけだった。僕はひたすら楽曲作りに没頭した。酒も薬も女も僕はもう必要としなかった。ただ美しい音楽だけを僕は追い求めた。ほの暗い闇の底から生きて戻った人間によくあるように、僕は創造性に満ちていた。
そんな時再び走からメールが来た。

元気か?光。
俺たちはウッドストックでロックフェスを開くことにした。それにお前たちのバンドも参加してほしい。世界中のすごいバンドばかりが集まるフェスだ。考えてみてくれ。

僕たちはすぐにフェスに参加する旨を走に伝えた。その晩、僕は血を吐いて倒れた。
急性白血病と医師には診断された。
「フェスにはでれないな。」と要が心配そうに言った。
「でるさ。這ってでも出る。僕たちはまだ子供たちに伝えたいことがある。初めてライブしたあの時みたいに夢中にやるさ。あそこには直子の魂が永遠があった。」と僕は言った。
「そうか…お前がそう言うなら、やってみよう。」と要は僕の肩に手をポンと乗せて言った。

それから僕はつらい治療に耐えた。身体が快方に向かっていき医者からもフェスに出演することの許可をもらえた。そしてウッドストックへ僕たちは旅立った。

フェスティバルの前日、ホテルでパーティが開かれた。走は僕を誘ったが僕は「そういうのはもういいんだ。」と言ってホテルの部屋で一人直子の手紙を読んでいた。僕が気づけなかった直子の寂しさや悲しさが降ってきて僕は泣いた。泣きながら笑った。僕の感情が二つに分裂してしまったかのように思えた。そしてフェスティバルの当日がやってきた。うだるような暑い夏の日だった。僕たちは初日のフロントライナーだった。僕たちがステージにあがると大観衆が歓声と共に迎えた。僕たちは静かに楽器の調整をしながら高鳴る鼓動を落ち着けた。演奏が始まる前に僕は観衆に向けてこう言った。
「もうこの世にはいなくなってしまった人にこの歌を捧げます。」そう言って僕はスリーピング・ロータスの演奏に入った。観衆が打ち寄せる波のように音楽に共鳴し一つの宇宙を作っていた。そこには初めてのライブのように永遠があった。僕は歌いながら、観客一人ひとりの顔を見ていた。最前列左側のあたりに直子がいた。僕の心臓が止まりそうになった。僕はなんとかスリーピング・ロータスを歌い終えてその場所を見ると、もう直子はいなくなっていた。最後の歌が終わりかけた時僕はまた観衆に呼びかけた。
「みんな生きてください。辛いことや悲しいことがあっても笑顔でいよう。生きている限り希望はあります。覚せい剤をやっても、大麻を吸ってもいいから、生き延びてください。あなたが生きていることには意味がある。あなたはあなたのままで僕は僕のままで生きましょう。ではまた会える日まで、ウィロウズでした。」そう言って僕たちは演奏を終えた。僕は会場に降りて直子の幻影を探した。でも直子の影はどこにも見つからなかった。ホテルに戻り僕はシャワーを浴びて缶ビールを一缶開けた。
「いいライブだったよ。」と後ろから誰かが声をかけた。
振り向くと赤いソファに直子が座っていた。
「やっぱり見ていてくれたのか。」と僕は言った。
「うん。初めてのライブの時みたいにすごくよかった。」と直子は遠くから聞こえてくるような声で言った。
「すまなかった。僕が君を無視したのが間違いだった。僕はとても大切なものを失ってしまった。」と僕は泣きながら言った。
「うんうん、それはいいよ、もう。向こう側で待っているから、あなたは生きて。」と言って直子は霧が晴れるように消えた。それから僕はいつもどこかで直子が僕のことを見てくれているような気がして、うれしくなった。その姿が見たくて声が聞きたくて誰もいない虚空に話しかけたりした。僕は子供たちがクレイジーな崖から落ちないように音楽を作り続けるはずだった。いつしか僕は直子の幻を見たり聞いたりするようになった。その幻と僕は一緒に過ごす時間が多くなった。僕の理性は擦り切れ僕は正気を失った。死んだ者と長く一緒に住んではいけない、そんなインディアンの諺があった。そしてそれはある夏の暑い日だった。

罪を犯して、うだるような暑さの中を、僕は赤い自転車に乗って、「逃げ」ていた。罪の声はどこへ逃げても追いかけてくる。
ただひたすらに道を東北に向かって死に場所を探していた。
確か埼玉県のどこかだと思う。自転車がパンクした。僕は自転車を路肩に置き去り、歩いてまたも「逃げる」
畑の近くの民家に「助けてください」と逃げ込んだ。
男が困ったような顔をして出てきた。
「警察をよんでください!追われているんです!」
「なにに?」
「声に」
男は電話をして警察を呼ぶ。僕は民家の庭でへたり込んでいた。しばらくすると警察が来て、僕をパトカーに乗せ、警察署まで運ぶ。実家に電話がされ、父親が迎えに来る。
翌日僕は父親と母親に付き添われて病院に行く。診断名:統合失調症。どこまでも真っ白な診察室で幼い虹が死んだ。
病院の外のベンチで親がタクシーを待っていた。向かいの生垣に立葵が真っ赤に咲いていた。僕はタクシーには乗らず、一人歩いて帰った「大丈夫だから」と言って。

茹だるような夏になると僕はその時のことを思い出す。逃走線を描きそれに失敗したこと。どこまで逃げても逃げきることはできない。ならば別の仕方で「逃げる」ことは可能だったのだろうか。別の仕方。死に向かわない逃走線を描くことは可能か。私にとっての逃走線はおそらく音楽を作ることだろう。私の音楽が逃走線を社会に走らせる。それが生ける逃走線である。それぞれがそれぞれに逃走する。デッドラインを超えて生きるということ。
あれから何度目の夏を超えただろう。僕はこれからも別のしかたでの逃走線を描き続けるだろう。あの暑い夏の日に死んだ幼い虹に敬意を表して

それから、僕は音楽の道に戻っていった、もう直子の幻は見ない。僕は音楽を作り年を取りやがて死を迎える。美しい魂だけが僕の音楽を理解した。病室のベッドで沢山の管につながれ僕はあと少しで来る死を待っていた。ある時窓辺に一羽の鳩がやってきた。僕はそれを見て「大洪水は引いたのかい?」と鳩に話しかけた。すると空から光がにわかに射してきた。僕はその光に抱かれて天に昇って行った。光のそばには直子の姿があった。鳩がどこまでも青い空に飛び立っていった。

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