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「走ることが楽しい」と言えなくなったら

「その年齢までよく競技を続けているね」
「よほど走ることが好きなんだね」

最近そんなことを言われる機会が増えた。

僕としては好き嫌いとは関係なく、(登りたいと思う)高みを目指す姿勢が昔から変わっていないだけだ。チャンスがある限り、それは変わらない気がする。

だだその一方で、いつからか走ることを「好きです」「楽しいです」とは素直に言えなくなった。

「走ることは好きか?楽しいか?」

その問いに正直に答えようとすればするほど正確な言葉が出てこないのだ。

その理由は「走る楽しさ」と「目標に向けて高いモチベーションを保つこと」を切り離して考えるようになったからだと思う。目標に向かう原動力は「想い」であって「楽しさ」ではない。

「走ることが楽しい」と素直に言えていた中学生の時に比べて、立場や考え方が大きく変わったせいもあるだろう。度重なるケガや、理想と現実のギャップに苦しんできたせいもあるかもしれない。

そんな自分が今、(そんな機会はないけれど)中学生に「走ることを楽しもう」と伝えるにはどうしても違和感があるし、どうも言葉足らずな気がする。

そもそも「走ることを楽しむ」ってなんだ。

それすら上手く説明できない。

誰かにとっての「走る楽しさ」が誰かにとっての「走る楽しさ」とは違うかもしれないからだ。

だったら、あらゆるランナーにとっての大小様々な種類の「走る楽しさ」を一旦全部洗い出してみよう。どんな価値観であろうと、それは誰かの「楽しさの感受性」を刺激するような紛れもない「楽しさ」なのだ。それを考えることで何かしら納得のいく答えが得られるかもしれない。

そんな風に思った。

そこで今回のnoteでは、改めて「走る楽しさ」について考えてみたいと思う。

まず、自身の経験や多くのランナーの体験談をもとに「走る楽しさを認知する要素」を次の10個に分類した。

①身体を動かす爽快感が楽しい
②非日常感が楽しい
③成長を感じることが楽しい
④一人の時間に没頭することが楽しい
⑤誰かと一緒に走ることが楽しい
⑥他者に勝つことが楽しい
⑦物語の登場人物になることが楽しい
⑧ご褒美を貰えることが楽しい
⑨誰かの為になることが楽しい
⑩夢中になることが楽しい

これらを更に分解して考えてみた。

①身体を動かす爽快感が楽しい

誰にも強制されず自由に身体を動かす感覚。
リズム良く楽に進める感覚。
調子が良いと分かる感覚。
限界まで追い込む感覚。
軽やかに駆け抜ける疾走感。
走った後の心地良い疲労感と解放感。

②非日常が楽しい

普段行かないような場所、
お気に入りのウェア、シューズ、音楽、
移り変わる景色、
それらの非日常の風景に溶け込む感覚。
季節の移り変わりを感じる時。
緊張感のある練習やレース。
その後の安堵感。

③成長を感じることが楽しい

タイムや距離によって成長を感じる時。
身体が引き締まることが目に見える時。
課題を探して一つずつ解決していく時。
思い通りに走れた時。
自分で決めた目標を達成した時。
自己ベストを出せた時。
「これはいける」と思う瞬間。
「変わることが出来る自分」を確認できた時。

④一人の時間に没頭することが楽しい

誰にも邪魔されない自分だけの時間。
自分の身体を使ってランニングを紐解く時間。
自分の身体や精神と向き合う時間。
ネガティブな思考から強制的に解放される時間。

⑤誰かと一緒に走ることが楽しい

憧れの人と走る時。
仲間と走る時。
仲間と切磋琢磨する時。
仲間と目標に向かって苦しみを共有する時。

⑥他者に勝つことが楽しい

「純粋な遊び」として競争に勝つこと。
「真面目な戦い」として競争に勝つこと。

⑦物語の登場人物になることが楽しい

自分が作り出した物語の主人公になり切る時。
相手から与えられた物語(目標)が自分のものになる時。
自分が走る意味を何かに求める時。

⑧ご褒美が貰えることが楽しい

対価として報酬を貰うこと。
走った後の食事、お酒、出会い。
仲間と喜びを共有出来ること。
(メディアやSNSを含む)注目、承認、賞賛。
大会遠征後の観光。

⑨誰かの為になることが楽しい

応援してくれる人のため、
支えてくれる人のため、
目標を共有する仲間のため。
自分の為だけじゃなく、誰かの為になる時。

⑩夢中になることが楽しい

夢中になって「フロー」の状態に入る時。

1.何をしたいか自分で分かっている
2.それが難しくても可能であると信じている
3.直ちにフィードバックがある
4.何をする必要があるか分かっている
5.気を逸らすものが意識から締め出される
6.失敗の不安、自意識、時間感覚がなくなる
7.自分は大きな何かの一部であると感じる

「フローに入る7つの条件」ミハイ・チクセントミハイ

「走ることが楽しい」と思えなくなったら

我々実業団選手の存在意義は「結果を残すこと」だ。決してここに挙げた「楽しさ」の為だけに走っている訳ではない。ただ、そこに「楽しさ」が無ければ走る意味もない気がする。

マルクスは「いずれ労働はそれ自体が愉悦となるような営みになる」と語り、本田静六は「人生の最大幸福は職業の道楽化にある」と語った。

もし仮に「走ることが楽しい」と少しも思えなくなったら、立場がどうあれ、少しだけ走ることを止めてみてもいいかもしれない。無責任だけど個人的にはそう思う。

さいごに

今回は「走る楽しさ」を再考してみた。

僕自身は「楽しさ」とはかけ離れた場所にいたような気がしたけれど、「楽しさ」の形を変え、ずっと楽しみながら走ってきたんだなと再確認できた気がする。

「もっともっと走ることを楽しもう。」

このnoteを書いていて、そんな風にも思えた。またいつか、ふとした時にこのnoteを読み返してみようと思う。

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