時計じかけのオレンジを読んで

時計じかけのオレンジを読んで。

まず初めに言っておきたいことは本を読んでから見てほしい。本のあらすじを書いているわけではないし、どちらかといえば感想文に近い。感想文ですらないかもしれない。
これを読んでから本を読んでくれてもいいけど、おすすめするような内容ではないので、面白くないと思うし、興味がなければ、そっ閉じしてくれればいいと思う。


原作「時計じかけのオレンジ」を読んで、という題だが、正直言えばそのことだけを話すことはできないと思っている。
というのもそれ以外にも今まで僕は色んな作品を読んできているし、この本を読んでから違う作品を読んだり、映画を見たり、人と話したり、そんなことをしているからだ。純粋にそのことだけを書くことはできない。

それでも読んだ想いを書こうと思う。自分自身の話になってしまうだろうけど。


僕自身は今まで犯罪と言われることをしてきていない、とまでは言わないが、捕まるようなことは極力してきていないつもりだ。
だがしかし、犯罪に憧れていた時期もある。未だにやってみたいという気持ちもある。もちろん、理性やらなんやらがあるからやってみたことはないが…
それは誰しもが思ってもいいことだと思う。
(そんなことを書いたらダメなのかなぁ?)
まあ、とりあえずその話は置いておこう。

まず初めに今回、この本を読んでいる前半、この小説の文は本当に売られている文章なのだろうかと、本気で思った。
あまりにも読みづらいし、これなら「小説家になろう」の文章の方が読みやすいと思った。
(なろう系を軽くみているわけではない。自分自身、小説家になろうに投稿はしていないが、色々な作者のものを読ませて頂いている。中には添削してぇ…みたいな作者もいるが)

翻訳者の問題なのかなぁ、と思っていたのだが、ネットで調べてみたところ、翻訳者自身も文体に関しては苦言を呈している部分があったらしい。
だがしかし、それも主人公が言っているていなのだから、これでいいのだ、的なことが書いてあった。原文自身を忠実に訳するとそうなるらしい。
そう考えると確かに、と思えるところがある。映画版は観ていないのでわからないが、原作小説では主人公は15歳の少年なのだ。そいつが書いているんだから、荒い文章になるのは当たり前である。しかも主人公はクソみたいな人間だ。four retter word連発みたいなやつだ。
(物語の中ではナッドサット言葉と言われるものを使っている。これがあることで余計読みづらい。後半は慣れてきたが…)
主人公がやっていることは本当にクズだ。日本人が読めばより思うと思う。
僕自身、途中で諦めようかなぁ、これ読む意味あるか?
と何度か思った(笑)

すまない、結局最後まで読んだが、あまり自分自身の中の衝撃的な作品にはなりえなかった。

…が、面白くなかったわけではないので、今回書かせていただいている。
映画を観ればまた違った感想になるのであろうが、僕自身まだ観ていない。
(↑観てから言えよ)

構図的に面白かったのは
(↑面白いという言葉があっているかわからないが)
僕自身が気持ち悪い、嫌悪感を抱いていた前半部分(超暴力といった暴行、窃盗、強姦等)を後半になって主人公が薬や状況を整えられてから、気持ち悪いと体が思うようになったことだ。
(まあ、頭では思っていないのだが)

これに対しての是か非かが問題になるのだと思う。
作中にも出てくるが、善悪の判断を自分が選択する、そのことで善は善で悪は悪たり得るのか。それとも他の人間が善と悪を決めてしまってもいいのか。選択が大事なのか、結果が大事なのか。

現代で考えれば、善悪の基準は法律が決めていたりもする。もちろん道徳的な善悪もあるが、そんなことを言っていれば資本主義なんてできない。どこの会社を潰そうが、何人社員を切ろうが、それで会社が存続できるのであれば、正しいとなる。法律に反していなければ。
(もちろん、そんなところばかりではないと思うが。というか思いたいなぁ…)

少し話は脱線したが、僕自身は犯罪者(軽いにしろ、重いにしろ)のニュースを見た時、
「うわっ、なんてやつだ」
「世間も怖くなったなぁ」
「こんな奴は死んだ方がいい」
ってなことはあんまり思わない。
いや、中にはどうしようもないやつもいるんだろうけど。
基本的に思うようにしていることは
「一歩間違えれば自分だなぁ」
ということだ。
それぞれに過去に何があったのか、どういう思想で生きているのか、そんなことは知らないが、本当に自分の歩みが少しでも狂えば、簡単に犯罪なんて起こすと思う。逆にそう思えない、思いたくない方が怖いと思う。本当にその立場になれば、考えもせずにやってしまうと思うから。
日頃から、自分ももしかしたら、っと思うことによって何か感情的なことが起こったとしても、突発的な行動をせずに済むと思う。

脱線に脱線を重ねている(笑)
が、もう少し脱線話を笑笑
物語を読む、映画を観る、色々な作品を知る、他人の意見を聞く、というものも多面的に物事を見る、考えるということだと思う。
自分の主観ではない、他人の意見を見てみることで、感じるのは自分でも、そこには他者の視線が少しでも入るのだと思う。
そうしたことで一つのことを鋭角に見るのではなく、ぼんやりと全体像を見渡せるのではないかと思う。それが良いのか、悪いのかは、まあわからないが(笑)

さてはて脱線話が長引き過ぎて、何の話を書けばいいか、わからなくなってきた(笑)


とりあえず小説の方にだけある最終章の話をして終わろうか。
映画ではネットを見る限り、
(↑僕は観ていないので(いや、観ろよ))
主人公が極悪非道を行う。
後半、それが矯正される。
色々あって元の極悪非道に戻っちゃう。
で終わりらしいが、
(↑陳腐な書き方で申し訳ない。映画は服装やら何やら中々の素晴らしさらしい。←観てないからわからない笑)
原作ではその後がある。
その後、主人公が昔の悪仲間の1人に会い、そいつが結婚しているのを見て、もうそろそろ悪も飽きたし、と家庭を持つことを考え始める。
というエンドになる。
自分の子供もそうした暴力性を帯びた子供時代を過ごすのだろうなぁ、と思いながら。

自分自身がまだ家庭を持ったことがないからあまり実感できないが、これを止める手立てはないのだろうかと思ってしまう。
いじめ問題やら、学校教育に対しての私見やら何やらあるが、もし子供ができたとして、自分自身に何ができるのであろうか。

その問いは今はわからないのだが。


と言った中途半端なところで今回は終わろうと思う(笑)
物語でも基本的にスマートな終わらせ方は好きではないタイプなのだ笑笑


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