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【読書感想】カズオイシグロ著 『遠い山なみの光』

グーテンターク!皆さまこんにちは。フランクフルトのYokoです。

最近この本を読みました。

きっかけは、カズオイシグロの『日の名残り』が読書会の課題図書になったからです。日の名残りは私が97年に1年間ロンドンで留学していたときに読んだ本で、映画も名作で非常に感銘をうけた本として印象に残っています。その本を今また再読するにあたり、カズオイシグロさんの最初の長編小説から日の名残りまで順番に読んでいけばカズオイシグロが表現したい世界が見えてくるのでは?と思い読み始めました。最初の作品には作家の全てが現れるといいますし。

まずはAmazonに書いてある説明を引用します。

故国を去り英国に住む悦子は、娘の自殺に直面し、喪失感の中で自らの来し方に想いを馳せる。戦後まもない長崎で、悦子はある母娘に出会った。あてにならぬ男に未来を託そうとする母親と、不気味な幻影に怯える娘は、悦子の不安をかきたてた。だが、あの頃は誰もが傷つき、何とか立ち上がろうと懸命だったのだ。淡く微かな光を求めて生きる人々の姿を端正に描くデビュー作。王立文学協会賞受賞作。

日の名残りもそうなのですが、主人公の回想スタイルで、会話や独白のみでそこに詳しい説明はありません。しかも会話や独白は必ずしも本人の本音とリンクしていないようです。婉曲な言葉の言い回しと、行動に終始しています。

その行間を読者に読み取らせるスタイルです。また回想シーンでは戦後すぐに戦中とは価値観がかわり時代の荒波の中で必死に生きている登場人物の戸惑い、そして回想ではなく夫と長女を亡くし現在イギリスに住む悦子と次女ニキとの微妙な関係性と回想時代が唐突に行き来するのではなく小説内でうまくシンクロしていました。

前半は読みながら大阪風にイチイチ悦子と佐知子にツッコミをいれたく感じることもあります。それも作者の狙いであり、一人の人間の内面及び人生の複雑さが描かれます。

読んでみて非常に繊細で味わい深い作品だと思いました。人間の複雑な内面を描いている。仄暗く、悲劇的要素もその中にほんのりとですが精一杯に自分の威厳dignity を保ち、静かに生きぬく前向きさが描かれるこの作品には人間に対するの作者の優しい眼差しを感じます。

ページをめくるたびにワクワクドキドキの劇的で刺激的なストーリーが好きな人はイライラするかもしれませんが、静かな語り口にこそ宿る人の力強さを感じたい方にはお勧めです。

会話を説明せずに主人公の記憶による回想で進むスタイルなので発することばや行動と内面が一致しなかったり、また意識的あるいは無意識のうちの語り手の本音が徐々に透けて見えてきます。語られる記憶そのものが歪んでいたり、真実か虚構かわからない部分、佐知子の強がりや保険をたくさんかけた言葉の数々や、悦子の婉曲な言い回しや、稲佐山で出会う「上級国民風」嫌味なマウントマダムの発言にイライラすることなくじっくり味わってくださいね。

女性同士の会話も興味深いのですが、悦子の最初の夫、二郎と父親(悦子の義父で悦子はかなりシンパシーを抱く) の将棋をめぐる会話のやりとりも味わい深いです。お互い本質の話題に触れない、向きあおうとせず避けて衝突を避けるのです。話しあっても超えられない価値観の相違が横たわる現実を、違いを説明することなく父親と息子の当たり障りのないやりとりの中に浮かび上がるのが巧い技法だなと。日の名残りにも通じる作者の力量を感じます。

読書後に読んだイシグロ研究の学者平井法(杏子)さんの解説によれば、この作品に描かれる日本は全くのファンタジーではなく作者の5歳までの長崎の生活、そして小津作品が渾然一体となった日本が反映されているそうで、そういう研究者の解説はありがたいです。

私個人も長崎市は駆け足ながら2017年に訪れたことがあります。稲佐山のロープウェイと上からの景色、平和公園の様子、長崎の地形や風景を思い出しながら本作を読めたのもよかったのでした。

今年3月、最新作『クララとお日さま』のインタビュー記事でイシグロさんはこのようにおっしゃっていますが、この姿勢は初期から貫かれたものではないかなと。

 「私が小説でやろうとしているのは感情に訴えること。これは論文や記事ではなかなかできない。読者にキャラクターの立場で感情を実感してもらう。その後どうするかは読者に委ねられるのです」

カズオイシグロは異なる価値観の転換点の狭間で懸命に生きる人の姿を浮かび上がらせる作風が得意なようですね。

猪瀬直樹さんがカズオイシグロさんについてこのような鋭い指摘をされていますのでこちらも合わせてお読みくださいね!

猪瀬さんはこの記事で、『日の名残り』をこう的確に論評されています。

『日の名残り』には「公の時間」のなかに「私の営み」が叙情的に描き込まれている。

プロの人たちでも、日の名残りの良さを登場人物の個人個人の感情を微に入り細に入り分析する書評が殆ど。しかし猪瀬さんはそれだけではなく、日の名残に織り込まれたバックボーン、歴史と公の時間を人生のところどころに書き込んでいることがこの作品の強みであることを言い当てておられます。

これは私が20年前にはうまく読み込めなかった視点です。なぜ英国に留学中の私の心にあれほどまでに深くインパクトを与えたのか答え合わせしていただいた気がします。

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!

Bis dann! Tschüss! ビスダン、チュース!(ではまた〜)😊



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