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三島由紀夫の最期は謎なんかじゃない

グーテンターク! 皆さまこんにちは。フランクフルトのYokoです。

今日は11月25日。50年前の1970年のこの日は三島由紀夫が自決した日です。今回は三島由紀夫にまつわる評伝で私の気に入っている本をご紹介します。

三島が自決したとき、私は生まれておらずマイナス5歳。リアルタイムの衝撃はありませんでした。

当時の世の中は「事件」ととらえていたのですよね、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を促し、失敗し、自分は割腹自殺。平和を謳歌し、経済成長まっしぐらの世の中でそのような最期を遂げるのは一般人にとっては時代錯誤というか唐突にとらえた人が多かったのではと想像します。ただ作品は文壇が無視したとしても輝き続けます。

私が三島作品に触れ始めたのは中学校くらいからです。美しい日本語、研ぎ澄まされた表現の三島作品には魅せられながらも、作者自身のことが掴めずにいました。主に初期から中期の作品を読んでいました。
後期作品を読まなかったのは、今にして思えば三島の不可解な最期に近づいていくようでなんとなく薄気味悪く怖くなったからかもしれません。

写真でみる精悍な三島由紀夫は何かを見透しているかのような目をしているのですが何も語ってはくれません。

段々と作品より、三島由紀夫本人を知りたいと思うようなり伝記や評伝を探すようになりましたが、あまりピンとくるものはなくむしろ退屈な出来事の羅列か想像の本ばかり。

そんなとき退屈を吹き飛ばす本に出会ったのが猪瀬 直樹著 『ペルソナ 三島由紀夫伝』です。

何が衝撃だったかというと、三島作品や三島の人生だけを掘り下げるだけではなくて、平岡家3代官僚の物語という軸を中心にすえて日本の近代史とより合わせながら作家三島由紀夫の運命を描き出したからです。

その手法も描き出された内容両方強いインパクトを与えられ、初めて三島由紀夫のあの幕引きは本人にとっては当然のことだったのだと腑に落ちた気がしたのです。演説がヤジにかき消されたなど当日の想定外はあったけれど、決して自決は謎じゃなく、彼にとっては当然の帰結だった(自殺を肯定したいわけではありません)ことをようやく理解したと同時にだからこそ、その生き様を全く世間に理解されないまま亡くなったことへの悲しみが込み上げてきました。自衛隊員が三島の演説にヤジを飛ばしたとき、幹部とのやりとりが噛み合わなかったとき、三島は本当に何も世に未練はなくなり、思い描いた自らの最期を全うする気持ちがいよいよ固まったのではと想像します。

猪瀬さんは2019年3月30日Newspicksのイノベーターズ・ライフでこのように述べておられました。

三島由紀夫の自決を考える      三島由紀夫の評伝『ペルソナ』(文春文庫)を執筆したのは1995年(平成7年)、三島由紀夫が1970年(昭和45年)に自決してから25年後のことである。僕は40代最後の年だった。          作家という職業を選んだ僕が、どうしても片づけておかなければならない宿題のひとつが三島由紀夫の運命の帰結を近現代史の中に位置づけることだった。そうでないと作家としてそこから先へ進めないと思っていた。

ご自身の作家としてのアイデンティティをかけて三島由紀夫の評伝を書き上げたことを後になって知るのですが、猪瀬さんが心血を注いだ作品に出会えた喜びを感じています。2003年に買った本はいまも本棚にいつでも取り出せるように置いてあります。

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フランス文学者の鹿島茂さんが本格レビューをしていらっしゃるのでこちらもぜひお読みくださいね。

最後にこちらもご紹介。

作家三島の才能を見出した国文学者とその子で産婦人科医の蓮田太二さんのエピソードです。

三島由紀夫が長い間、いかにいつ死ぬべきかを意識しながら生きてきたことがわかります。

今の世の中、死ぬことを礼賛すべきではありません。与えられた命をしっかりと全うし生きることが大事だと思います。

しかし、三島が病死でなく事故でなく割腹による死を選んだのは、日本が彼の見たい日本になりそうもないと見限ったところから加速していきます。彼の死から今50年、彼の見たくなかった日本をアイデンティティとする私は三島由紀夫の作品だけではなく、生き様も決して忘れてはいけないと思うのでした。

皆さまの印象に残っている三島関連の本はありますか?あればコメント欄で教えてくださいね。

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました!

Bis dann! Tschüss! ビスダン、チュース!(ではまた〜)😊

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