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100%の正解がないことを知る勉強中

大学院🇺🇸の授業で苦労していることがあります。
それは、論文を読んだりこれから書いたりするにあたって様々なパラダイム(実証主義、ポスト実証主義、構成主義、解釈主義などなど)を学んでいるのですがその違いを理解すること。
今まで普通の教員をしていた私にとってはまさにハテナばかりの超アカデミックな話で、途中で「もうどうてもいやん!」と叫びたくなります(辛い)。

パラダイムとはある時代を反映するような考え方のことで、パラダイムシフトというのは考えや見方をを変えることです。
日本でも学校現場でのICT活用に関する必要性に対してはコロナによってパラダイムシフトが起こった結果、学校現場でもズームを使おうとか、生徒にメールで連絡しようとか、結果的にそういう議論が増えてきたと言えます。

アカデミックライティングでは何を持って「真実」とするかが問われます。個人的な経験や思いだけで語れません。必ずエビデンス(証拠)が必要で、そのために調査研究をするわけですね。

しかし、本当に「真実」なんてあるのか。それが絶対的真実だとどうして言えるのかというのがアカデミズムの戦いなのだろうと思います。

結果から言うと、みんなが真実だと呼べるものは存在しないのです。しないからこそどうやてそれを立証するかということにエネルギーを費やしているのだと思い出します。

100%の真実と呼べるものは「ない」と分かっていても自分の中には自分の真実があるわけですから、葛藤があります。
でも結局それは自分だけの真実であって100%の真実ではありません

ともすると自分の考えを信じ切りがちですが、それすら本当の真実と呼べるものではない可能性があるということを思い出すということの繰り返しをしていて、良い頭の体操になっています。

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以下、忘れないためのメモです。

パラダイムの勉強をしていても歴史的に多くの優れた学者たちが「真実」を巡る戦いを広げています。

実証主義(Positivism )
科学的に(数字で)証明されたことのみが真実である。それ以外は説明できないので真実ではない。実験と観察を持って客観性を重視するので、超自然的、理念的、形のないものは真実ではないという態度。
ポスト実証主義(Post-positivism)
 実証主義の反省に基づいて生まれたもの。バイアスの影響を認識することによって客観的に事実と呼べるものを模索しようとする態度。定量・定性どちらの手法も◎
解釈主義(Interpretivism) - researcher centered
実証主義の対極にあるもの。
知識は発見されるものではなく、人々の解釈次第である。つまり客観的な知識は存在し得ない。知識は社会的に人間が作り出すものであるとする考えでどのように意味づけをしているかを見つける態度のこと。
※実証主義は知識は発見されるものとして存在し、それを発見するのが人間であり、科学的証拠によってのみ客観的に証明されるものとしている。
構成主義(Constructivism) - people centered <教師必見>
知識を作るのは人である!みんなが違う経験や考えを持っていて、それによって知識が作られている。
① 知識は前の知識や経験をもとに作られるもの
② 複数の学びが関連している
③ 受け身では学びはない
④ 学びは他との関わりが不可欠
⑤ 実学しか学べない
⑥ 学びは個人的なもの
⑦ 心の運動が必要
⑧ 学びへの動機が不可欠
(ここは盛りだくさんなので、また別にまとめます)



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