見出し画像

過去11年間で最高の授業とは①

出産、育児休暇を取っていた1年を除き、この4月から教員生活12年目。今まで軽く見積もっても授業をしたのは7000回以上。その中で「今日の授業は最高だった!」と思えたのはたったのたったの2回です。どちらもしっかり準備をした授業ではなく、生徒の自発性に支えれ、ポテンシャルに驚かされ、クラス全体が楽しめた、そういう授業でした。

そのうちの一つが「私を褒める授業」です。

3年生を担任していた私は、調査書、推薦書の作成に生徒の志望動機作文指導、入試問題の指導に多忙を極めていました。また、よりによってそんな時に喫煙が見つかり生徒が辞めさせられようとするピンチに見舞われ、まさに火の車状態。しかし、そんな時でも子どもの保育園の迎えがあるので定時には必ず帰宅しないといけないというジレンマ。勤務時間内で業務を完了するのは通常でも大変なこと。フル回転で仕事をしても、あっという間に全く手が回らない状態になりました。こんな時、一番にしわ寄せがくるのが授業です。つまり「手ぶら」で授業に向かうような状態が続き出したのです。教師の職分は教科指導であるにも関わらず授業準備ができない現状に、教師の仕事は何であるのか、私の役割は何であるのかと自問し、業務量の多さ、非効率さ、そして生徒指導で学校をやめさせようとする学校の理不尽さに対して絶望した時期でした。

廊下や授業で会う生徒、会う生徒に「先生、顔死んでるで。大丈夫?」と毎日心配され、咳が何ヶ月も止まりませんでした。今、考えてみると完全な病みでしかない。そしてついに、自分の担任クラスに授業へ行った時に、授業をする気力もなくなり「今日は授業できひん。もう元気ない・・・。疲れた・・。」と過労で倒れる人の一歩手前みたいな発言を教壇で生徒に向かってし、そこでハッと思ったのです。


「私を褒めて」と。

毎日毎日、仕事に子育てに全力投球しているのに、仕事は終わらない、生徒はやめさせられそうだし、子育てだってうまくいかない。こんなに頑張ってる私を誰か褒めて、と。

そう、「私を褒める授業」とは教師を褒める授業なのです。英語教諭の私は、職権乱用とも言える態度で「ひとり3つ、なんでもいいから私のこと英語で褒めて。ひとりずつ前に出てスピーチな。もう元気ないから私を元気にして」と言い放ち、とりあえず休憩。

しかし、そこは私が担任したクラス。1年生から教えている愛あるクラス。出るわ出るわ前向きな言葉。生徒も面と向かうと恥ずかしそうだし、私は言われると嬉しいし、聞いている生徒も大うけで笑いが止まらず。発表が続く間中、クラスはドッカンドッカン笑いの嵐。極めつけは生徒からのI love you. 発言でクラスは笑いの渦へ。そして隣のクラスで社会を教えていた先生から「少し静かにしてください」とお叱りを受ける始末。笑いの効果、ポジティブ言葉の効果。私は自分のエネルギーが満たされるのをひしひしと感じ、生徒のみんなも不思議なほど笑顔であふれていました。授業で一緒に笑った後の充実感、お互いに前向きなコミュニケーションを取り合った後の高揚感は後にも先にもこの授業だけです。

一緒に笑える授業。最高でした。

40人の異なるレベルの学習者に「何かを教えよう」とすると、教師が期待したものを学んでくれる生徒もいますが、当然そう出ない生徒もある一定層は必ず生まれます。つまり、通常の一斉授業などの方法ではクラス全体の達成度をあげるのには限界があるのです。生徒たちに自発的に考えさえ、発想させ、学ばせることで生徒個人個人が自分のレベルにあった学びや気づきをできるのではないかという事に気づかせてくれた、そして、愛あるコミュニケーションの暖かさと大切さを心から教えてくれた経験でした。

こんな横暴な教師のリクエストにもちゃんと答えてくれ、多くを教えてくれた生徒に感謝しかありません。生徒はすごいなぁ。

「過去11年間で最高の授業②」は次に続きます。


Teachers of Japanではティーチャーアイデンティティ (教師観)の発見を通じて日本の先生方がもっと自分らしく教育活動に専念し本来は多様である「教師」の姿を日本国内外へ発進しています。日本の先生の声をもっと世界へ!サポートいただけたら嬉しいです。