見出し画像

日々読み #16


2/13 雨

最近、自分から責任を持ちにいくことが大事だったりするのかもしれないと思うようになった。
与えられた仕事だけで働いているだけではおそらく、三流なのだろう。
自分が持っているものを使って、何をしていくか。
社会福祉協議会への参加も自分たちの存在を知ってもらう機会になるかもしれない。それは自分から責任を負うという行為を通して得られるものだ。
与えられてばかりじゃ居心地が悪いから、とりあえずやってみようかな。


2/14 晴れ

今日は受診の同行に行ってきた。
その人は持病の影響もあり、なかなか血圧が安定しない、幻覚の強まって生活にも影響が出てきた。
お薬調整のために受診したいが、なかなか自分で医師に状況「伝えるのは難しいとのことでの依頼だった。
認知機能には全く異常なところはないが、持病と年齢も相まって動作や思考も他の人と比べるとゆっくりとしている。
それでも日常生活は、本人のペースでできることはして、暮らしている。

その方と一緒にタクシーに乗った。
運転手は大きく、少し急いだ声で「どこまでです?」
と聞く。
アクリルボード越しに本人も行先を伝えようとするが、声が小さくて届かない。
「えぇ?なんですか、〇〇町?どこ?」
たたみかけるような質問と答えられない本人に少しイラつく声。
たまらず代わりに僕が答えた。

ーーー
診察室に呼ばれた。
一緒に診察室へ入る。

本人は医師に最近起きていること、お薬の調整でそれらの不具合が良くならないかを相談した。
僕も補足できる情報は伝え、医師と相談したかった。

「んー、なんかどうしようもないよね。持病の影響もあるだろうし。僕は今日代打で来てるだけだし、あんまりお薬は変えたくないなあ。
前のお薬に変えてみる?どうする?どうしたい?」

その医師はそもそも本人と話をしようとか、状況を知ろうとする気持ちはなかった。

患者から発せられた情報とカルテの情報だけで答えを出そうとしたのだろう。

その医師の対応に本人も薬剤の変更を委ねる気持ちにはならなかったようで、「もういいです」と俯いていた。

その人の横顔は苦しさを誰にも言えない悲しみで苦しそうだった。

ーーー
今日僕が経験したのは本人が感じる悲しみの一部に過ぎない。
僕らは日頃そこまで苦痛なく、この社会で生活できる。

だけど僕らが訪問している人たちは、僕らが思っているより、生きづらい生活を送っている。

この社会はマジョリティに合わせられない人たちには冷たく、苦しい社会なのだ。
せめて僕らだけは常に暖かい存在でいたいと思った。

2/15 晴れ

あの人はなんでそこまでしてやるのだろうというくらいお人好しの人がいる。僕とその人はあまり気が合わないし、話も噛み合わない時がままあって、正直やりとりはめんどくさい。それでも僕よりも数倍お人好しなあの人はとっても優しくて、人としてなんだか「かっこいい」のだと思う。

目の前の人以外には鈍感で、気の利かない人だから素直にすごいと認めたくないけれど、純粋で「かっこいい」のだ。
自分がこれまで培ってきた働き方のフレームワークが揺らぎそうになる。
なんだかその人みたいになりたいと思ったら、負けた感じがするので、癪だ。
でも負けるのが嫌だからと言って、これまでのフレームワークを握りしめて意固地になる方がよほどかっこわるいので少しだけ、あの人っぽさを取り入れてみようと思う。少しだけお人好しになるのも悪くないのかもしれない。


2/16 晴れ
家族はよく見ている。
看護師のケアを。看護師の言葉、ふるまい、その他を。
たとえ同じ内容をしていたとしても、受け取り方は変わってしまうことがある。
一度の些細な出来事がボタンのかけ違いを産み、疑念を誘い、そのあとの関係にも歪みを生じる。
僕らにとっては毎日の訪問でも、利用者にとっては大切な一回の訪問なのだ。
なによりも日々の訪問を大切に積み重ねていくことが訪問看護では大事なのだろう。
利用者のためにじっくりと向き合える環境だからこそ、難しい。このことは忘れないようにしておこう。


2/17 晴れ

今日はがん末期の人の訪問があった。
その方は奥さんとカメラを持っていろんなところに出かけて、写真を撮ったり、8ミリフィルムで映像を撮っていたという。

体調が悪くなってからはカメラを持って出かけることはできなくなってしまったという。だから今日は自分が持っているカメラを持って近くを散歩した。
ずっしりと重たいフィルムカメラを持って本人は嬉しそうだった。今日は2月ということもあり、外は春めいていた。近くの道には梅が咲き、暖かい初春の風が優しく吹き抜ける。
穏やかな空気を感じながら、シャッターを切る。
ぱしゃり、ぱしゃり。
15分ほどの散歩ではあったけれど、本人は大満足だったようだ。病院では患者と外を歩くということは基本的にはできない。散歩中には気づかなかったが、訪問看護ならではの時間だったのだと日々読みを書いている途中で気付いた。


2/18 くもり

今日は朝からぬるい空気が流れていて、まるで春のような1日だった。
着信が鳴る。息が止まったとの連絡。
急いで準備をして車に乗り、車を出す。

朝から数回訪問しており、清潔の保持であったり状態の確認を行なっていた。状態としてはターミナルで医師の見立てでも、余命数日でもう終わりの時が近いだろうとのことであった。
意識レベルが落ち、顔の力が抜けている、呼吸に変化が生じ、肺には空気を取り込むことができないがなんとか呼吸を吸おうとしていた。
本人の生きようとする姿を見て何もできないことが家族としては辛いし、苦しい。
僕らは少しでも彼らの気持ちが楽になるような関わりができるよう心がけ、本人のためになるケアを家族とともに行って不安な時間を共有した。

お宅に到着すると家族が僕を迎え入れる。
「息が止まっちゃった」「昨日からずっと頑張ってたけど、もう疲れちゃったみたい」と。

顔は青ざめ、正気を失っているのが触れずともわかった。
それでも、家族に見守られいたからか本人の顔はとても穏やかな表情を湛えていて、最後まで生き切ったような表情であった。
「最後の時はどんなことがあっても病院ではなく、この家で終わりたい」という本人の強い思いと家族の献身的な支えがあって、できた終わり方だったのだろうと思う。
悲しみはあったけれど、どこか達成感みたいなものもあたりには漂っていた。気付くと病院での看取りでは一度も涙が出るということがなかった僕の目には涙が溜まっていた。
僕の心にも終わってしまったという喪失的な気持ちがありながらも、本人との関わりの記憶や伴走者として走り終えた達成感みたいなものが入り混じっていた。


2/19 晴れ

日々読みだったり、文章を書くということをやってみると、自分がいかに文章が書けないかを痛感させられる。
仕事柄カルテの記載はかなり多くやってきたから連絡用の文章は書けるが、何か味気のない、面白みにかけた文章になってしまうのだ。

それでも少しずつ書き進めるにつれて思うのは、
文章も、絵や音楽、写真と同じように、もう少しだけ自分のために自由な形で書いてみてもいいのかもしれないということ。
ある程度の他者を意識しつつも、自分の楽しい感覚も意識する。なんだかどっちつかずで難しいけれど、やってみよう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?