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日々読み #23

4/3 晴れ

昨日は会が終わった後ということもあって夕飯を終えたら強烈な眠気が襲ってきて、気を失うようにして眠った。
今日は久しぶりに実家に帰る。帰ると言っても立ち寄る程度だけれど。
妻と僕は両親の車に乗って、実家に帰った。
ホテルから実家までのルートを車窓から眺めていると、友達と一緒に自転車でも走った道、果てしなく大きな田んぼ、友達と万能竿で魚釣りをしていた川が次々と目に入って、嬉しくなる。

久しぶりの実家はところどころ手直しされていて少し綺麗になっていた。畳も総入れ替えされていたから家の匂いも少し変わった気がする。
定年退職後の両親はセカンドライフを送っていて、仕事や用事がない日にはDIYで家を改良しているという。
外壁だけでなく、玄関も綺麗に塗装材が塗られ、庭はコンクリートが敷き直され整っていた。それでも家のあちこちに落書きがあったり、以前飼っていた猫が爪とぎをして、削れた柱は残っていた。

まだまだ寒い日があるからか、茶の間にはこたつが置かれていた。父は仕事を辞めてから暇になったのだろう。手のかかる動植物たちが所狭しと並べられていて、父も4年前とは変わってきているのだと思った。

父は昔、工場勤務で家族以外の人間関係を積極的に持つことが少なかった。そういうところは僕と似ている。
現役時代は1人でもできる趣味が多かった。1人遊びのような趣味のまま、年を重ねていく父を見て退職した後孤独な生活になってしまうのではないかと僕は心配していた。
そんな心配をよそに父は最近、人と関わる仕事がしてみたいのだと言っているそうだ。
手順を踏めば製品となるような仕事ではなく、自分が待ったり、ペースに合わせたり、思い通りにならないような人との関わりの中に身を置きたいと考えているようだ。
正直驚いた。父もこの4年間に変化を遂げていたのだ。
定年を迎えた父も何か新しいことを始めようとしていて、そこから何かを学ぼうとしている。自分も負けないように今やっていることを積み重ねよう。


4/4晴れ

週末ずっと帰省していたから久々に自宅で食べるごはんだった。いわゆるご馳走が続いていた。おうちごはんを食べて、思うことは豪華なご飯はたしかに美味しい。けれども毎日となると違うなあということ。

口は美味しいのだけれど、腹が落ち着かないというような感覚があって、ハレの日に食べるご飯と家で食べるケのご飯ではお腹の馴染み具合が違うのだとおもった。

これまで27年生きてきて、年齢相応には美味しいものを食べてきたと思う。だが世界にはまだまだ高級レストランや料亭で食べる豪華で美味しいご飯はあるのだと思う。
世界を見渡せば限りなくあってその全てを食べるにはこの人生をかけなければ食べ尽くせないほどあるのだろうけど、考えてみたら生涯をかけてまでは別に欲しくないなあと、思ってしまった。
それらの食事は自分の経験を深めたり、価値観を広げたりするのにはいいのかもしれないけれど、毎日だったら辛くなる。
それよりも日常のご飯である、ケの日ごはんを美味しく食べる方がいい気がする。


4/5晴れ

いつものように訪問すると、表情がかたい。
バイタルを測ると39℃台の発熱。息はいつもより荒く、脈も早い。体のどこかで炎症が起きているのがわかった。 
椅子に座っていることも辛いようだったので、ベッドに寝てもらった。すこし息は楽になったようだったけれど、苦しそうな様子は変わらない。
既往やこれまでの経過を考えると、その人があらかたどういう状況なのかはつかめた。

訪問看護にできることは少ない。本人へ症状緩和の治療をするのであれば、病院に行かなくてはならないことを伝えた。

本人は「病院には入院したくないが、苦しいのはなんとかしたい。苦しいのを緩和するために病院に入院するくらいならこのまま家にいたい。」と僕に伝えた。
治療をすれば苦しさは緩和できるが、このままであれば次第に苦しさは増していくことは避けられない。そのことを繰り返し伝えるが、意思は固いようだった。
「生きたいけれど、入院はしたくない」
一見相反しているような要求にも思えるけれど、それは本人の心からの思いだったのだろうとおもう。


4/6晴れ

生きることって苦しくて、辛くて、地獄みたいだなと思う時がある。
マジョリティから逸脱してしまった人に対して僕らは何ができるのだろう。マジョリティの暮らしになるべく近づけることがその人にとっての幸福なのだろうか。自分以外の人たちに管理された世界で生きることがその人にとっての幸福なのだろうか。

もしこれが弱肉強食、食物連鎖の自然界ならばすぐに淘汰されていたのかもしれない。生物は産み落とされた段階で自分で生きることを選択し続けなければ生きていけないからだ。
そんな厳しい自然界にも死という救いはある。ある種死ぬことが救いにもなりうる現実が自然界にはにあると思った。

その人は糖尿病を患っていたが、甘いものが大好物だった。けれども他者に管理された閉塞的な環境では自分が好きな糖分を好きなだけ摂ることは許されない。
周りの人たちは本人の健康的な生活のために本人の自宅内の砂糖を持ち去り、お金も置いていかなかった。
その人はあの手この手を使って砂糖を摂取することに執着する。 

僕も医療者としてその人の体調管理を任された。だがその人が糖分を摂取している時の嬉しそうな顔は普段の暗い顔からは想像できないほど幸福に満ち溢れていた。
僕にはその人にとっての「糖分の摂取」は生きている喜びのようにおもえた。
だから僕がこれからしようとしている糖分の制限はその人の幸福を奪い去ってしまうような気がして迷いが生じた。これからどう接していこうか、僕はまだわからないでいる。


4/7 雨

怒ってばかりいる寝たきりのおばあちゃんに優しくマッサージをした。僕への警戒心からか全身の力みで固まった筋肉。最初は触ってくれるなという気持ちでいっぱいなのがその人からだから僕の指先に伝わってきた。それでも優しくマッサージを続けると、少しずつ筋肉に入った力みがほどけていき、溶けるように強張りが抜けていく。
人には情報的なコミュニケーションだけじゃなくて、フィジカルなコミュニケーションもあることを思い出した。触れ合うことでしか伝えられないこともある。


4/8晴れ

最近は人から朗らかとか、いつも穏やかですねといわれるようになった。
病院で勤めていた頃は言われたことがなかったから、自分でも驚いてしまう。
去年から訪問看護に移行して、一年が経った。結婚をしてもうすぐで1年。自分ではあまり変わっていないと思っていたけれど、自分が自覚しているよりも内と外両方でおおきな変化が起きているようだ。
忙しすぎず、ゆとりを持って仕事ができて、妻がいて、一緒に生活してくれる。そんな環境が僕にはあっていたのだろう。だからこそ僕は穏やかになったのだと思っている。
誰かが言っていたけれど人間は環境の影響を如実に受ける生き物だといっていた。
キツイ場所にいれば、他人のミスにすぐにイラついてキツイ性格になる。人間は順応する生き物だからこそ環境が大切だ。

今、なんとなく苦しいとか、しんどい、寂しい、イライラするという人は環境が合っていなかったりするのかもしれない。そのままの環境でずっといようとすると、合わないから無理が生じて体が持たなくなる。場合によっては心がもたなくなってしまう。
だから少しだけ目線を上げて自分に合う環境を見つける努力をしてみるのも案外いいのかもしれない。


4/9 晴れ

今日はご近所に住む素敵な2人と食事会をした。僕らよりも一回り大人なふたりはおうちも大人で、自分たちのこだわりや好きなものに満ちた空間を作り上げていて、とても素敵だった。
僕も妻も初めて訪れたはずなのに、なぜか居心地が良くてすぐに落ち着いた。
照明も家具もテキスタイルも、これまで2人が積み上げてきたものが無理なく部屋に投影されているような気がした。
しかも、居心地のいい空間を自分たちだけで楽しむこではなく、みんなにもおすそわけするような気持ちがあったようにも感じた。そのさりげないおもてなしがあったからこそ初めて訪れた僕らも自然とすぐに馴染めたのだろう。

まだまだ遊べるところはあるものだ。また妻とあれこれ相談して、自分たちの住まいの完成度を高めていきたい。

一回り大人な友人は聴く力もさることながら、自分の感じたものや考えていることを言葉にする力がとても高くて、自分が日頃感じていることや考えていることを引き出してくれた。未熟な僕の話をゆっくりきいてくれて、いろんなお話をしてくれた。その話は世界の捉え方についての話が中心で、これからの僕の世界の見方に大きな影響を及ぼすものだった。

他にも写真のこと、仕事のこと、お酒のこと、音楽のこと、話は尽きなかった。その人は写真を生業としていたけれど、何かを見たり、人と接する中で考えることは不思議と僕がケアの中で学んだことととリンクしていて、「ああ、今までやってきたことは間違っていなかったんだなあ」と思った。生業としているものが違えど、大切なことはきっと似通っていてそれらをちゃんと捕まえておかなきゃ、いい仕事はできないのかもしれない。今目の前にある仕事に真正面から向き合って考え続けることの大切さをまた教えてもらった気がした。
会話の中で、僕がまだ名付けきれていなかったものに名前をつけられていく感覚があった。
こうやって人と話すことで自分が更新されていく感覚がすごく楽しかった。
僕はずっとこんな話がしてみたいと思っていたのかもしれない。


普通の食事会だと思っていたら、妻がサプライズで誕生日ケーキと花束を用意してくれていてすごく嬉しかった。友達は数えるほどしかいない僕はサプライズで誕生日を祝ってもらったのは初めてだった。
本当に予想していなかったから、純粋にサプライズが嬉しかった。人に祝ってもらうっていいことだなあと思った。明日から28歳だ。

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今日採集した言葉
整った中のノイズを探す
物事は重層的に積み重なっている
レイヤーで捉え直していく
全ての行動、振る舞いの前にはその裏の感情がある

4/10晴れ

28歳になった。
昨日の睡眠時間は短めだったけれど、体調はよい。
27歳の年は素敵な友達が増えたし、続けたいこともできた。積み重ねることの難しさと大切さも知った。今年も健やかに一つずつ積み上げていこう。コスパとかタイパとか安くさいことは考えないで、目の前のことを考えてやってみよう。目の前のことにちゃんと向き合って考え続ければ無駄なことはない。
目の前のことを栄養にして積み上げていこう。
暑苦しい日記になったけれど、気にしていない。

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