見出し画像

日々読み #45

9/4 雨

今日は霧雨でひんやりしていて気持ちがいい。
植物たちもミストを浴びて気持ちよさそうだ。
植物が気持ち良さそうな環境ならば、人間も生き物だから同じ気持ちよさを共有できるのかもしれない。

看護ケアとして良い悪いも大切だけれど、生き物として気持ちいいか気持ち悪いかというのも同じぐらい大切な気がする。全てが当てはまるわけではないのだろうけど、その視点は大切にしておきたい。

その人の感覚にじぶんをチューニングして、じぶんを重ねていく。その先に生まれる何かを大切にしていきたい。


9/5 晴れ

仕事に行くことがどうしても嫌だという日が少なくなった。
前の職場なら考えられないことだ。どうしてもいきたくない日があった。
多分周りの環境や生活、いろんなことが過不足なく満ち足りているからなのかもしれない。
いい時は自分で気づきにくいから、今が最高だ!とはならないけれど多分いい感じなんだと思う。
いい人に、いい環境に囲まれて生きられていることを自覚していたい。


9/6  雨
台風が近づいているようで、雨風がすごい。
朝、職場に行くだけでずぶ濡れになった。
傘をさしているのに、横から吹く風に乗って雨粒が直撃する。
傘ではどうにもならない。
そういえば傘って、何年前から姿が変わっていないんだろう。
いろんなモノたちがどんどん新しくなっていくのに、傘はずっと変わっていないのではないだろうか。
誰かこんな日にも濡れないカッパ以外の雨具を開発してほしい。


9/7 曇り

今日で20週を迎えた。もう半分なのか、まだ半分なのか。
無事にここまでこれてひとまず嬉しい。日に日に大きくなっていくお腹に手を当てて、胎動を感じるとなんともいえない嬉しさがあって明日も生きれるなあと思える。
生まれたら生まれたで大変なんだろうけど、生きる希望の塊みたいに思える。
自分の中の大切なやりかけだからしっかりと、守っていってあげたい。

今日はターミナルの人のケアをした。最後は自宅で過ごしたいという気持ちがあって、病院から退院してきた。その人は無類のお風呂好きで、これまで1日たりともお風呂を欠かしたことがない方だったという。病院では体調を鑑みて体拭きしかしていなかったようだった。
だからできる限りさっぱりできるように体のケアと髪を暖かい湯を使って洗った。
最初は身の置き所のなさから、辛そうな表情だったけれど暖かい湯で流していくと辛そうな表情はどこかに溶けていった。目も虚だったのが次第に目に光が灯り、目でありがとうと伝えようとしているのがわかった。心地よさはどんな状況の人にも自分を取り戻すきっかけを与えるものなのかもしれない。
ケアが終わった後、本人は疲れたのかぐっすり眠っていた。


9/8 雨

午後にその人を尋ねると、先ほどから呼吸が変わったと家族から情報があった。
呼吸が臨死期呼吸へと変わっていて、旅立つ準備を始めているようだった。
あまりにもタイミングがよくて僕が来るのを待ってくれていたのかもしれないと思った。

最後まで本人、家族に意識を集中して関わった。あまりにも駆け足すぎるその人の人生の終末に家族がついていけるように、なるべく家族が後悔の念を持つことがないようにしたかった。
この場にいる人、全員の背中を支えたいと思った。
最後その人は家族に見守られながら息を引き取った。
病院では今も面会制限があるから、家族の面会は厳しい。ご自宅でなくなる決断をしたから家族が見守る中で生き切ることができた。本人の感覚に自分を重ねる。多分最後の瞬間まで本人は寂しくなかったと思う。
家族さんと一緒に体を拭き、お着替えをした。まだあたたかい体がさっきまで、そこに命が燃えていたことを伝えてくる。体温が僕にいろんなものを託してくれる。
気づくと時間はあっという間に時間は流れた。
帰路の途中、疲れは残っていたけれどそれよりも全身が満ち足りた感覚があって、不思議な疲れだった。


9/9 晴れ

引越し業者にきてもらって、見積もりをしてもらった。
案外安く引越しができそうで、嬉しい。

インスタを見ていたらひとつの動画に目が止まった。東南アジア系の人達なんだろうが、2人じゃ運べないような大きなソファを運ぶのに電動キックボード2台を使って器用に運んでいた。なんだか自分たちが使える手段をフル活用して生きている感じがした。
僕はすぐプロにお願いする頭で動いちゃうけど、彼らはまず自分たちでやってみるということが第一選択なんだろう。人として生きていく力の差みたいなものを感じて、反省した。置かれている状況もそれぞれだから今の自分に合うかは別として、その姿勢は見習わなきゃならない気がした。

ご近所さんから手もぎの野菜をもらった。
普段スーパーで見かけるものより傷もあるし、歪さが目立った。けれど野菜一つひとつがずっしりと重くて、エネルギーに満ち溢れているような気がした。自然のめぐみをダイレクトに受け取った気がして嬉しかった。


9/10 晴れ

"LIGHTHOUSE"を見た。いい作品だった。
忘れたくない言葉がたくさん出てきて、時折巻き戻したり、繰り返したりしながら味わうようにして見た。

"LIGHTHOUSE"を見てより一層2人が好きになった。
これまでも2人の作品が好きだったけれど、やっぱりこの2人の作る作品が好きなのは間違いじゃなかったと思えた。

妻にこの作品のことを話したら、分度器みたいだねと言った。内側の目盛りでは少しの変化も、外側の目盛りで見たら全然違う角度に流れ着く。
今の自分がもがいた先に、この先10年、20年後の自分があるのだ。
今、もがいているのは案外悪いことじゃない。
どうせならもがくなら、もがききれば良いのかもしれない。少し安心した。

自分も漕ぎ続けよう。どうせ人生はめんどくさいんだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?