見出し画像

【創作大賞2024】第9章_「父の誕生日がくるころに」_ミステリー小説部門

『セックスしたらコロナになりました。』


第9章 父の誕生日がくるころに


 四月に感染してから二ヶ月が経ち、父親の誕生日が近づいてきました。からっとした五月が終わる頃、じっとりと湿り気を帯びた空気と共に、父は生まれました。空は青色から灰色へと変化しながら、雨を落とし、地面を湿らせます。それはまるで父そのものでした。女だらけのバチバチとした家族の中で、決して出しゃばらずそっと潤いを散らす父――、それは梅雨に降り続く雨のごとく、静かに私たちを濡らしました。

 私はその頃、なかなか体調が戻らず、外出ができなくなっていました。電車に乗ることができなくて、外へ出られませんでした。ずっと家の中で、パソコンを使って仕事をしていました。子供以外の人とはほとんど会いませんでした。失業保険がもうすぐ切れるということもわかっていたので、どうにかしてリモートワークで生計を立てようと必死だったのです。
 
【母のこと】
 母からの連絡はほとんど無視していましたが、無視されていることに感づいた母は、なにか少しずつ私に気を遣うようになりました。

「もうすぐお父さんの誕生日で誕生日会をするから、二人で来ませんか?」
 このメールを見たとき、私は絶対に行かないと心の中で即答しました。

「子供だけ行かせます、私は仕事もあるし、体調も良くないのでやめておきます。よろしくお願いします」

「わかりました」

 母は何が「わかりました」だったのでしょうか。その後も、「もう隔離期間も終わったわけだし、少しでも来ないか?」と何度か誘われました。誘われる度に断る私の気持ちを、母は考えたことがあるのでしょうか。

 面倒くさいので無視をしていると「やっぱり家には来たくないのだね」といじけました。こちらは何も言っていないのに、勝手にネガティブに解釈しては「そんなことないよ」を待っている母にドン引きしました。

 娘のことを思いやり、仲間に入れてあげようとする母と、わがままな娘というような構図を描きたがる母が、心の底から気持ち悪かったです。

 コロナに感染した娘の罪を許す母というようなポジションを取ろうとしているところも、薄気味悪かったですし、せっかく許してやっているのにそれを受け取らない娘に対して逆ギレしている姿を見ては、本当にこの人は大丈夫なのだろうか、と心配になりました。

「このメンヘラが」

 私は声に出してつぶやきました。声に出してつぶやかないと、本気でイヤになってしまいそうだったのです。あのときはただ、彼女の奇怪な行動を少しでもユーモラスにする必要がありました。
 

【姉のこと】
 
姉からは連投されていることにも気がついていました。スマホのポップアップを見ていればなんとなくわかってしまうものでしょう。だけど、かつての自分自身を顧みても、こういう時の女の連投は大体がクレームなので、一切無視することにしていたのです。

 父の誕生日会に行かないものの、私の子供は参加するので姉にも一言、挨拶をしようと連絡をすることにしました。そのときに初めてこれまで姉が私にしてきたメールの内容を目の当たりすることになったのです。

「ぜんぜん返信ないけど、両親を殺されかけて、これだけ放置されて、連絡しなくてごめんって謝られたところで、はいそうですかとは言えない」

 そこには予想通り怒りの感情が乗っていました。

「メンヘラって痛いっすね……」
 私は全国の男性に共感したくなっていました。そうやって論点をずらさないと、一人では到底、受け止めきれないほど、姉の痛みが重かったのです。

 私が最後に彼女に返したメッセージが「バタバタしていて連絡できなくてごめんなさい」だったので、恐らくそれに対して、「連絡しなくてごめんって謝られたところで、はいそうですかとは言えない」と返してきたのでしょう。
 つまり、彼女の訴えたいことは、私の怒りを理解して受け止めろということかと解釈しました。

 ただ実のところ、そんなことより、私はこのメッセージを見て先ほどからひどい動悸がしていたのです。

 「両親を殺されかけて」というコトバを読んでギクッとしました。胸骨の辺りがグググっと締められたように苦しくなって、その奥がドクドクと鳴りました。心臓の動きが加速して、このままどこかへ行ってしまいそうになって、意識が遠のきました。

 そうか、姉は私に両親を殺しかけられたのだと、そのとき初めて自覚しました。

 私は自分の両親を濃厚接触者にしたのだから、確かに姉からすれば両親を殺されかけられたというわけです。

 「なるほど、うまいこと言うな」と感心しました。いえ正確には、感心でもして冷静さを取り戻そうとしただけなのですが……、実の姉から直接向けられた殺人者というコトバはそうでもしない限り、卒倒してしまうほどの攻撃力と破壊力がありました。
 彼女はとにかく、人が一番言われて傷つくことを、的確に伝えるのが上手い人だったのです。

「この殺人者が――。殺人者のくせに無視するんじゃねーよ」
 彼女が言いたいことはこういうことでしょう。
 
 また、溜まっていたいくつかのメッセージの中に、「送信を取り消しました」という文言が、三回くらい混ざっていました。

 彼女はよく、送信を取り消す人でした。私は姉が送信を取り消すたびに、なにかすごく情緒不安定な印象を受けて、距離を取りたくなったものです。一度ならまだしも、これを何回も繰り返すことを思うと、なぜ、もう少し考えてからメッセージを送らないのだろうかと、不思議でなりませんでした。

 自分という人間は送信した後に、取り消したくなる人間なのだと自覚さえすれば、そんなに衝動的に送信ボタンを押さずに、冷静に熟慮してから送ればよいのではないか、と。さらに、「両親を殺されかけた」というメッセージだけは取り消さなかった姉の選択を思うと、そのメッセージは後悔しないというところに、彼女の私に対する怒りの深さを想像しては恐怖を抱きました。
 
「メンヘラ彼女か」
 私はそっと姉に突っ込みを入れました。

「そうだ、これはきっと恋愛感情のもつれだ、根底にあるのは怒りや憎しみではなくて、彼女からの私に対する深い愛情だ、それがこじれてしまっただけだ、そうだ、きっとそうだ、彼女は愛しているだけなのだ、そうだ、きっとそうだ……いや、そうに違いない、彼女は不器用なだけのかわいい女……、そうだそうだ、間違いない……」
 そう思いました。いえ、そういう確信に導かなければ、怖くてやっていられなかったわけなのですが……。

 ただ、いずれにせよ、彼女が自分の性質に気が付いていない限り、何をしてくるかはわからないとも思いました。エモーショナルな女は何をするかわからない……そんなことを思ってはゾッとして、わが身の安全を一番に考えては、彼女に連絡しようとした自分の指を制しました。喜んで無視をするわけではないけれど、下手に刺激するのはよくないと判断したわけです。

 私はそれから秋口まで姉には何も連絡をせず、姉からのメールも一切開かないことになりました。
 

【夫のこと】
 夫は何も変わりませんでした。これまで通り、週末になると息子を泊めてくれましたし、私が感染した経緯についても知ろうとしなかったし、だからといって、頼んでもいないのに現金を振込んでくれることもありませんでした。
 夫とは離婚以来ドライな関係でしたので、必要な事柄を淡々とやり取りする状況でした。夫はいつもポーカーフェイスでしたが、根底に優しさをにじませる人でした。感染してからは時々、ご飯を分けてくれるようになりました。洗ったタッパーを返すと、また少しして、そのタッパーにご飯を分けてくれました。

 これは離婚してから気がついたことですが、夫の本音はいつも行動の中にありました。
 コトバや表情は冷たくても、行為に優しさが滲んでしまうような湿気を持つ人だったのです。もしも結婚している間にそのことに気がつけたなら、彼の暴言にいちいち傷つくことはなかったと思います。彼のモラハラのような発言も単なる照れ隠しとして受け取ることができたのではないでしょうか。

 夫婦というものは皮肉なものです。一緒にいるときにはわからなかったのに、こうして距離を置くことで、たくさんの愛情を拾い上げることができるのですから――。

 
#創作大賞2024 #ミステリー小説部門 #セックスしたらコロナになりました #セックス #毒親

 

『最初から読みたい!』って思って下さった方はこちらから


面白いと思って下さった方、応援したいと思って下さった方がいらっしゃいましたが、ぜひぜひサポートをお願いします♡ あなたのサポートで私の活動が継続できますっ♡♡