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【創作大賞2024】第17章_「息子の誕生日を」_ミステリー小説部門

『セックスしたらコロナになりました。』


第17章 息子の誕生日を


 母の誕生日が終わって十日後には息子の誕生日が来ます。
 息子は山羊座の巳年のB型。その3点セットは母とまったくおそろいでした。

 でも、本当は二月だったのです。
 あの子は二月六日に生まれる予定だったけど、早産になってしまったのでした。
 

【息子と母のこと】
 
私は妊娠七ヶ月ころに、切迫早産と言われて実家へ戻りました。家で安静にするようにと言われたので、実家で甘えることにしたのです。そのまま里帰り出産をする予定だったのでちょうどよかったのもあります。

 私はいつも実家で、母の作った料理を吐いていました。切迫早産だから、お腹に力を入れてはいけないとお医者さんからずっと言われていたけれど、私は毎日お腹に力を入れて、腹筋を使って、母の作った料理を吐きました。
 
 そのころにはもう指を口の中に入れなくても吐き出せるようになっていたのです。二〇年以上吐いていると、その行為が実に自然になってしまうのかも知れません。

 妊娠後期は胎児が胃を圧迫するので、摂食障害でなくとも、胃がもたれて嘔吐する人は少なくありません。後期悪阻こうきづわりと呼ばれるそれのせいにして、私は毎日吐いて過ごしました。本来、山羊座はなかったはずの息子が山羊座になったのは、嘔吐の影響かも知れません……。

 今年一番の雪の日でした。雪のせいでタクシーがつかまらず、破水した私を病院へ連れて行くのに両親は苦労しました。
 雪の中、母が車にチェーンを装着し、父が運転してくれました。助手席から見た空は真っ暗で、白い雪がふわふわと舞っていました。まるでオセロをしているようでした。

 これで数日は実家を離れられる、そんな気がしました。出産の間、病院で過ごせることが嬉しくて安心しました。

 息子はあれから八回も誕生日を迎えたことになります。
 毎年、実家に集まって息子の誕生日をしてもらっていました。姉の家族もみんな集まって、みんなで食事をしてゲームをして、息子はそれがとても楽しいと言っていました。私は特に楽しくなかったし、どちらかというと行きたくなかったけれど、息子が喜ぶので毎年参加しました。

「仕事が忙しくて予定が立たないから、しなくてよいです」
 私は九回目にして初めて断りました。どうしても行きたくなかったのです。

「もういいです、あなたは来なくていいです、こちらで勝手にやります」
 母からの返信はすぐに来ました。母はなぜかキレていました。そのメールには気持ちの悪い感情が乗っていていたので、私はすぐにメールを閉じました。この人とこれ以上、関わりたくないと強く思いました。

 母は私という人間を自分の一部だと思っているのではないでしょうか。私は「しなくてよい」と言っているのに、「来なくていい」と言ってくる母の、嚙み合わなさが気持ち悪くて仕方ありませんでした。
 まるで私の意思は彼女の意思の一部であるかのように、私の出した答えはいつも彼女の中に溶けていてきます。
 私は透明人間なのでしょうか。
 彼女の中に私はいません。彼女の外にも私はいません。

「ありがとうございます、子供が喜びます」
 私はもうこれ以上、彼女とやり取りを重ねたくなくていいように、終わらせようとしました。彼女を怒らせないようにと願いを込めて、できるだけポジティブに、私の意志と彼女の意思とを等しく尊重して、メールを返しました。

「子供のことをなんだと思っているの」
 そんな私の意図とは裏腹に、母はよけいに怒りました。やはり、噛み合いません。
 ひょっとすると、彼女には私が見えていないのではなくて、もっと見てほしい何かがあるだけかも知れないとも思いました。
 彼女の文面には、承認欲求のような切なさがぷかぷかと浮いているからです。それは別の言い方をするならば、お願いだからお母さんの気持ちを受け取りなさい、という懇願のようでもありました。
 そうして、私が彼女からの悲痛な欲求の欠片を感じとったとき、かわいそうで、かわいそうで、抱きしめてあげたくなりました。だけど、それをしてはいけないこともわかっています。それをしたせいで、こうなってしまったのだから――。

 私の背筋は凍り付き、鼓動が早くなりました。ドクドクという動悸が耳に聞こえます。

「お願いだから、死んでくれないかな」
 これはあまりにも自然に、私の内側から出たコトバでした。喉の奥がモワンとなって、涙が出ました。私はこれを一度、心の中でつぶやいたあと、もう一度、声に出してみることにします。これには少し、勇気がいりました。


「お母さん、お願いだから、もう死んでくれないかな……」
 このまま意識を失えたら楽でしたが、私はわりとしっかりと立っていました。自分の冷静さが憎くもありました。私も母や姉のように無邪気に茶色や灰色のおまんじゅうを投げまくることができたなら、どれだけ楽だろうとも思いました。
 受け取る相手の気持ちなんて考えもせず、ただ自分のためだけに、「私をわかって、私を受け入れて」っていうおまんじゅうを、投げつけることができたなら……それはどれだけ楽なことでしょう。


 だけどどうやら思いの外、あるいは想像以上に、私という人間は強いみたいなのです……。
 母のことも自分のことも殺せないと諦めた私は、もうこれ以上やりようがないと心に決めて、母をブロックすることにしました。

「もうお母さんと連絡を取ることはやめるので、何かあったらお父さん伝いに連絡下さい」

 私はそう返すと、ブロックするというボタンを押したのです。
 私はこれ以上、彼女に飲まれるわけにはいかなかったから。
 母はきっとこれを見てショックを受けながら逆ギレするかも知れません。母に対する申し訳なさと、母に対する許しがたい怒りとが、どす黒いおまんじゅうになって、私の心のなかでどんどん膨らんでいくようでした。そのおまんじゅうを、私はただ、抱きしめることしかできませんでした。私だって誰かに受け取ってもらいたいけれど……。

 こうして私は母の中から脱出しました。
 それは、透明人間を演じることをやめて、豊かな色彩を帯びる生々しい人間に生まれ変わる瞬間でもありました。


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