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【創作大賞2024】第13章_「姉の手記」_ミステリー小説部門

『セックスしたらコロナになりました。』


第13章 姉の手記


 妹はとてもワガママだ。あの子は自由奔放で天真爛漫な反面、非常識なところがあり、何をするかわからなくていつもヒヤヒヤさせられる。
 
 2021年4月に、まだ大して流行していないころ、妹は早くもコロナに感染した。まったく以て迷惑だった。
 感染していることにも気がつかず、子供を実家へやるものだから、私の娘たちにまで感染の可能性があったと聞いたときは、身震いがした。本当にあの子はどうかしている。
 
 それに、これだけ迷惑を掛けておいて、あの子は全く私に連絡をよこさない。バカで幼稚で自分勝手が過ぎるのだ。ニュースで、あれだけ危険だと言われているのにどこをほっつき歩いていたのだか……。離婚してからのあの子ときたら、子育てもそっちのけで遊び回っているのではないかしら。
 
 あの子から連絡が来たのはたったの一度きり、しかも、「バタバタしていて、連絡しなくてごめんなさい」の軽い謝罪のみだった。
 これだけ迷惑を掛けておいて、両親や私のかわいい娘にまで感染させかけておいて、こんなうわべだけの謝罪で片付けようとするなんて、なんて非常識な妹だろう。もしも感染していたら今ごろ死んでいたかも知れないのに――。
 私の両親のことも、私の娘のことも、あの子は殺しかけたという自覚があるのかしら……、そうよ、あの子は半分、殺人者なのよ。どこかで拾ってきたウイルスをばらまいて、私の大切な人を巻き込む無差別殺人の容疑者。
 あの子はその自覚がないのよ、自分がどれだけの罪を犯したのか、その意識が全くないの。本当にバカな妹。世間知らずで何もわかっていない。離婚してからテレビがないなんて言っていたけど……、非常識もここまで行くと災害だわ。私にまで被害が及んでいるじゃないの。

 大したキャリアも積まずに、仕事も転々としながら結婚をして出産をして……、大した仕事もしないままにノホホンと主婦をして、そんな状態で離婚するからこういうことになるのよ。女性がキャリアを積むことが、どれだけ大変だと思っているのだか……、私が一体どれだけの犠牲を払って、どれだけの我慢を積み重ねてここまでの地位を築いたと思っているのだか……そんなあなたにテレビが買えないのなんて当たり前じゃない。これまでサボってきたからよ、これまで努力を怠ってきたからよ。今になってそのしわ寄せが自分に来ているだけじゃない、本当にもう。
 
 私が一体これまで、どれだけ頑張ってきたか。新卒の一年目で一人目を産んで、夜泣きに付き合いながら国家資格の勉強をして、二年後には二人目の娘を生んだわ……。周りの友達は趣味に恋愛に20代を謳歌している時、私はひたすら子育てと勉強と仕事に明け暮れていたのだから。

 「バタバタしていて連絡できなくてごめんなさい」ってなによ。そんなの当たり前じゃない。自分のせいなのだから、その中で連絡をするのが大人でしょうが。不祥事を起こしたらまずは説明責任を果たすのが社会人の責任でしょうが。

 私は妹に不甲斐なさを感じるたび、妹に連絡をした。そのうち、既読にすらならなくなったメッセージを見ると私は空しくなった。私は心配していたのだ。妹の体調が大丈夫かどうか、子供の学校はどうするのか、あの子一人でそれを全部対処できるのか……私はあの子の味方なのに……なんで連絡してこないのだろう……。

 まったく、あの子は何を考えているのだかわからなかった。
 
 だからいろいろなメッセージを送った。

 時に厳しく伝えた方がよいと思った。甘えているから既読にもならないのだと思ったからだ。それでも翌朝になって相変わらず既読にならないことがわかると、私はそのメッセージを取り消した。やはりキツイ言い方かも知れないと心が痛くなったからだ。

 どうして私が振り回されないといけないのかしら――。
 
 そう思えばそう思うほど怒りが押し寄せてきた。私は何も悪いことをしていないのに、妹が悪いのに、なぜ私の方がこんなに苦しい思いをしないといけないのか。

 殺人者のくせに――。

「ぜんぜん返信ないけど、両親を殺されかけて、これだけ放置されて、連絡しなくてごめんって謝られたところで、はいそうですかとは言えない」

 私はこのメッセージだけは消さなかった。あの子には、両親を殺しかけたのだということを意地でも自覚させなければいけない、そう思った。

 時々、この子みたいに私に返信をしなくなる人がいる。私はただ質問しているだけなのに、ただ心配して聞いているだけなのに、なぜか答えなくなる人がいる。私は怒っていないし、ただ聞いているだけなのに、未読のまま音信不通になる人がいるのはどうしてだろう……、私は何も間違っていないはずなのに。
 私は正しいことをしているのに。私はいつも、やるべきことを淡々とやっているだけなのに。
 私はいつもきちんと努力しているのに、そうやって連絡を絶つ人は大体、努力もしない。怠慢でヘラヘラしている。そういう人に私はいつも振り回される。いつも被害を受ける。どうしてみんな頑張らないのだろう……。どうして誰も私の気持ちをわかってくれないだろう……。
 
 私はその後も、時々思い出しては妹に説教をした。説教というよりも、叱咤激励かも知れない。とにかく妹に社会の常識を教えたかった。逃げるのではなく責任を取ることの大切さを伝えたかった。

 妹は小さいときから友達を作るのが苦手でいつも私が一緒に連れて行ってあげていた。あの子は人見知りで、ちょっと変わっていて、打ち解けるまでに時間がかかるから、私のような潤滑油が必要だったのだと思う。あの子はいつもウサギのぬいぐるみを抱いていた。あの子はよく、ウサギの耳を自分の唇に当てながら、「これがとっても気持ちいいの」と言っていた。

 私は遊びに行くたびにウサギを抱いた妹を連れて行くことが嬉しかったわけじゃない。なんなら少しは恥ずかしかったし、煩わしさを感じることもあった。だけど、母からは妹を宜しくと頼まれていたし、姉としての責任感というか、とにかくあの子を守ってやれるのは私しかいないから、私はただあの子を連れて行ったのだ。

 高校生にもなると友達を作れるようになったみたいだけれど、相変わらず風変わりだった。アルバイトをしてもなじめずに辞めるし、お局さまを怒らせたり、空気を乱したりしているようだった。就職してからもやはり転々としていた。あの子は気がつけば、摂食障害だのうつだのと言っては、病院に通って薬をもらってくるようになった。
 手を口に入れて吐き出すせいで、右手の人差し指の付け根には大きな傷を作り、左手の手首にはリストカットの痕があった。

 そういえば一度、病院へ行ったことがあったけ――。
 確かあのときは母に頼まれて一緒に行ったのだ。妹が、病院からうつ病の診断書をもらって休職しようとしているから止めてくれって電話があって……。それで慌ててあの子が通っている心療内科に行ったのだっけ。

「この子を甘やかさないで下さい」

 
あのとき、私はたしかにそう言った気がする。だって医者はさ、診断書を一枚書くだけで、4千円とか取るわけでしょ。でもあの子は会社を休むことで1円ももらえないのよ。
 それなのにあの医者ったら、無責任にあの子を休ませて……、その間の生活費はどうするっていうのよ。いくら実家に住んでいるからって、ぜんぶ両親に頼って病気を治すなんて、そんなの甘いに決まっているじゃない。
 あの子は、実家暮らしをしながら会社員として働いているのに貯金がぜんぜんないっていうのよ……、そんなあの子を休職させるなんて、どう考えたってクレイジーとしか言いようがないでしょうが。

 私がプレゼンすると、医師は納得してくれて、診断書は返却したの。あのとき、窓口で4千円を受け取ったあの子が財布にお札をしまったとき、その財布には千円も入っていなかったわ……。
 私もう何も言えなくて……、そのお金だってどうせ親から借りたのだろうってことは想像できたけど、私、何も言えなかったわ……。あの子、なんであんなにお金がないのかしら、一体なにに使っていたのかしら……、変な男に貢いでなければいいけどって、ものすごく心配したのだったわ。

 まぁ、あの日は本当に疲れたけれど、なんとかあの子は会社へ戻れたの。病院に一緒に行ってあげて、あの子はたしか感謝していたはずよ、忙しいところありがとうって。

 あのとき会社を休んでいたら、他の人に仕事のポジションを奪われていたかも知れないわよね。それにうつで休職したなんて言ったら、イメージが悪いし、その後の転職だって難しかったはずよ。私が言ったから、あの子は社会の居場所が確保できたのよね。

 それからはあの子の調子が戻ったように見えていたのだけど……、だけどある日、突然薬を大量に飲んで、自殺を図ったのよね。
 正直、あのときはちょっとかわいそうにもなったのよね。母が開口一番に「救急車代は自分で払ってね」なんて言うから――。
 私もさすがにそれはないだろうって思って、何も言えなくなって……。
 私だってわからなくはない。20代では社会に嫌気が差す気持ちになるときだってある……。
 仕事をすることは大変だし、男女平等なんてファンタジーだし、社会は辛く厳しくて……、評価されるのは男ばっかりで……、だから本当に私だって、絶望する気持ちはわからなくない。
 でも、それでも私は負けずにいるし、逃げずにいるのよ。だから、あの子の弱さがどうしても許せなくて……。

 私はいつもあの子に、ただ現実を見て立ち向かってほしいだけなの。ちゃんと努力して、キャリアを積んで子供を育ててほしいだけ――。
 あの子にも私と同じように、幸せになってもらいたいだけなの――。だって、それはそうでしょう。私みたいに、家を買って、車を買って、夫もいて、温かい家庭を持つことができればきっと心も身体も安定するに違いないじゃない。資格も地位も立場もあって、銀行へ行けば簡単にローンを組むこともできて、社会に信用される大人であれば、何も心配することなんてなくなるはず――。
 そしてそれを私は努力で勝ち取ったから、あの子にも努力をしてもらいたい――。

 あの子は努力しないから……、努力さえすれば、私ほどにはできなくても、こんなに不安定な生活を送るほど貧相にはならなくてもいいはずなのに……。
 あの子はやればできるのに、できるはずなのにやろうとしない、すぐにサボってしまう。逃げてしまうのだ。

 それにあの子は母親で、小学生の子供だっているのに……、そう、あの子に、現実を教えてあげられるのは私しかいない、そんな気がする。両親だって高齢だし、いつまでも親でなんていてくれないのだから、私が教えてあげないと、あの子は自立できない。
 
 私はそう考えては自分を鼓舞して、決して既読にならないメッセージを送りつづけた。
 メッセージは未読のまま、あの子からの返事はなかった。
 
 父の誕生日にもあの子は来なかった。私はそのうち、連絡することをやめた。

 夏休みになると一泊で家族旅行へ出かけることにした。車で移動するのだし、電車には乗らないし、家族としか会話しないし、きっと大丈夫だろうと思った。旅先では迷った挙げ句、妹にもお土産を買った。私の娘たちが、どうしてお土産を買わないのかと聞いてきたからだ。

 ちょうどクッキーが目に入ったとき、あの子は昔からぬいぐるみが好きだったことを思い出した。いつもウサギのぬいぐるみとおしゃべりをしていた姿が目に浮かんできたのだ。そのクッキーにプリントされているウサギを見たとき、買ってあげるしかないなって、そんな気持ちになった。だけど、渡しづらかったので、両親に渡してもらうことにした。あの子には避けられているみたいだから……。

 夏の間に、私は妹のメッセージ画面を開くこともやめた。つまり、未読を確認することをやめてしまった。それはなにかムカツクというような激しい感情を凌駕して、そうすることが自然だったというほうがしっくりとくる。私はわりと穏やかだった。

 そして秋になった。
 
「お誕生日おめでとう! こうしてプレゼントを贈れるということがとても幸せだと思います。お土産ありがとう、嬉しかったです」
 妹からプレゼントが届いた。あまりにものんきな口調に、拍子抜けした。

 あの子はどんなつもりなのだろうか。なぜ私のメッセージに一切返事もせず、こんなプレゼントを渡してきたのだろうか。
 だけどお土産は喜んでくれたのか……、ならば良かった気もする。
 妹が幸せなら、それで良いような気もする。
 
 妹が何を考えているのかさっぱりわからなかった。だけどこのメッセージがあまりにもカラっとしていたから、私は水に流すことにした。ウソはないように見えた。少なくとも、あの子が私に心を開いてくれている気がした。私はそれが悔しいようで、嬉しかった。ムカつくけれどすがすがしくもあった。

 何度も連絡したからといって返ってくるわけじゃない――。
 そんなこと、ずっと前からわかっていたはずじゃないか――。
 私は妹がちゃんと生きてくれればそれでよかったはずじゃないか――。

 ひょっとすると、私はなにか見えていないものがあるのかも知れないと、ほんの一瞬よぎったことを、ここに補足しておこう。

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