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【創作大賞2024】第8章_「父の手記」_ミステリー小説部門

『セックスしたらコロナになりました。』


第8章 父の手記


 2021年4月、下の娘がコロナに感染した。あの子は末っ子で、昔から危なっかしいところがある。警戒心も薄く、リスク管理が甘い。これだけマスコミで騒がれているのに、肌が荒れると言ってはマスクもあまりしていなかった。それに好奇心が強くじっと家にいることがあまりない。

 きっとどこか遊びにでも行ってもらってきたに違いない。

 まったく――。あの子は自分のやりたいことに夢中になると、周りが見えてなくなるからな……、そういうところは本当にお母さんにそっくりだ。

 どうやら私とお母さんと孫が、濃厚接触者ということらしいけれど、これから一体どうなることやら……。おっと、娘からメールが来たぞ。

「お母さんが、お客さんに感染したことを言っているみたいだけど……」

 確かにお母さんも早合点なところがあるし時期尚早だとは思うけれど、だけどあの子が感染したことがきっかけでこうなっているのだから、仕方がないだろう。私は娘にそう返信した。

 PCRの結果、どうやら私は感染していなかった。これにはさすがに安心していた。孫とも散々遊んでいたし、マスクも外していたから、感染していることをどこかで覚悟していたのだ。それに私はもう高齢で七〇も近いし、感染すれば悪化することも想定内だった。いずれにしても結果オーライというべきか、とにかくラッキーだったという外ないだろう。

 さて、今回のことで、あの子も少しは反省してくれるといいけれど……。離婚したって、ぜんぜん仕事がつづかないようだしな。上の娘は、新卒で就職してからずっと同じ場所でキャリアを積んでいるというように……あの子はすぐに仕事を辞めてしまう。ここらでいったん気合いを入れ直してくれないと。

 ところで、あの子は一体どこからウイルスをもらってきたのだろうか……。
 病院の先生には、子供が先に感染してお母さんに移したのではないかと言われたらしいけれど……、そんなことがあるわけないじゃないか。孫が一度だけ発熱したと言っていたけれど、それが母親の発熱よりも後なのだから。

「子供が先に感染するわけがない」

 私は娘にメールをしたけれど、返事はなかった。感染した経緯を明かしたくないのだろうか。隠したいということは何かやましいことがあるのかも知れない。まったく、本当に人騒がせな娘だ。

 その後になって、返事が来ないということに少し嫌な予感がした。ひょっとすると娘の容態が良くないのかも知れないと心配になってメールをした。すると、働けずに金銭的に苦しいということだった。そこで、離婚した夫にお金を工面してもらったらしい。私はそれを聞いて、とてもショックを受けた。

「そうやってすぐにお金を頼ることに、がっかりした」

 できるだけ感情を抑えてメールを送った。なぜあの子は、自分でやりくりができないのだろうか。離婚したくせに、どうして自立できないのか。これまでだって私がどれだけ助けてきたか……、私が助けることがあの子を甘やかすことになっているのだろうか。どうして自分の力で立とうとしないのだろう……。
 私はただ、ショックだった。自分がよかれと思って娘にしていた援助が、返って彼女をダメにしているのかも知れないと思ったからだ。
 
 それからしばらくは、ご飯を分けに毎日、家を訪れた。接触しないように玄関先にご飯を置いて帰るだけだったけれど、玄関先にも孫の楽しそうな声が聞こえてきた。誰か友達とオンラインゲームをしているようだった。明るい声には安心したけれど、ずっと自宅に籠もっているのは気がかりだった。

 そこで、自宅での隔離期間が終わったら、孫と遊んでやろうと決めた。この二週間、外へも出られず、ずっと家でゲームをしたり、YouTubeばかり見ていたりと、それが健康に良いわけはない。きっと退屈しているだろうし、外へ連れ出してあげよう。外出には良い天気だし、さっそく娘に連絡をした。

「私はなかなか体調が戻らず、昨日も熱があったので、とても助かります」

 
な、なんということだ。娘は自分に熱があるのに、私のところに預けようとしたとは……。少し前に濃厚接触者にしてあれだけの迷惑を掛けたのに……あの子はなにもわかっていないのか。自分がどれだけのことをしているのか、自宅にテレビがないからといって、あまりにも無知が過ぎる。世の中のことが何もわかっていない。
 今、世界がどれだけの脅威にさらされているのか。高齢者は感染したら死んでしまうというのに……、あの子は私たちのことを殺す気なのか、いやきっとそうではなくて、誰かを殺すリスクがあるということが見えていないのだ。
 リスク管理が甘過ぎるのだ。だからお金のやりくりもできず、計画性がなく行き詰まってしまう。仕事だってそう、少し嫌なことがあっただけで辞めてしまう。
 そういえば、まだあの子が結婚する前のOL時代に、突然、会社を休職したいと言い出したことがあったな――。聞いたところ、前からうつ病にかかっていて、貯金もないというのに、医者から診断書をもらったから休みたいと言い出したのだ。

「この子を甘やかさないで下さい」
 
たしか、あのときはお姉ちゃんがそう言ってくれたのだ。お姉ちゃんが病院へ駆けつけて、医師にそう訴えて、診断書を取り消してもらったのだ。

 私は心の病気というものがあまり理解できないところがある。そもそも、レントゲンに映らない病気をどうやって信じろというのか、甚だ困難を感じてしまう。あの子は、食べ物を吐いてしまうとか、死にたくなってしまうとも言っていたけど……、私はそういう複雑な気持ちが正直、よくわからない。「食べたければ食べればいい」と思ってしまう。だけど、どんなときも親より先に死んではいけないと思う。

「お父さんは死なないでほしいよ」
 
たしか、自殺未遂を図った時に、私は言った気がする。あの子が死んでしまうのは実際に悲しいし、私はそれをできるだけ率直にあの子に伝えるようにしているのだ。
 あの子は、きちんとこうして伝えればわかってくれる子だった。よく笑うし、気立てがよくて、素直だ。自分では心が病んでいると言っていたけれど、私にはしっかりして見えたし、なによりお姉ちゃんの説得にも応じていたし、あの子ならきっと、まだやれると私は信じたかった。

 だから、私が一番、心配していたのは経済面だった。休職したいというわりに、貯金額を聞けばまったくないと言うじゃないか……、挙げ句に診断書のお金だって足りないと言い出して……。そうそうだから私はあのとき、娘の代わりに窓口で4千円を支払ったのだ。いったい実家に住まわせてもらいながら何に使っていることやら……。そういえば、あのお金は返してもらったのだっけ……、あの後お姉ちゃんが説得しに行って、結局は診断書を返すことになったのだから、返金されたはずだけど……、あのときの4千円……ちゃんと返してもらったかどうか……、まったくこれだから年寄りはダメだな。昔の記憶があやふやで思い出せない。

 私は娘に大きな期待はしていない。ただ社会人として、お給料の中からちゃんと貯金をして生計を立てて自立することを学んでほしかったのだ。

 なんだ、なんだ……、そうやって振り返れば、結局のところ今もあのころと同じじゃないか。あれから十年以上経ったけれど、あの子は未だに仕事もつづけられないし、お金の管理もできないのか……。

 よし、今度こそはもう少し我慢を覚えて、慎重に行動するように教えよう。あの子の体調が戻ったら、ちゃんと言ってやろう。私しかあの子に言ってやれる人はいない。これも親の責任だ。私だって定年したし、いつまで助けてやれるかわからないのだし、あの子が自立して生きていけるように私は娘に伝えよう。


「お父さん、私のことをもう少し信頼してくれませんか」

 
な、な、なんということか……、私は娘に反省を促したが、娘はまったく反省しなかった。それどころか、「仕事がつづかないことと、コロナに感染したことは関係ない」と返ってきた。だけど確かにそうだった。この二つの事柄には関係がない。
 私は一瞬、驚いたけれど、少し嬉しくもあった。私に反発してきた娘に、なにか少し、頼もしさを感じたのだ。
 あの子は末っ子で、いつまでたっても甘えていると思っていたけれど、案外しっかりしているのかも知れない。それもそうか、離婚して一人で子供を育てているのだから。仕事をつづくけることが良いことという価値観も、もう古いのかも知れないし、これがいわゆる老害というやつなのかも知れないなと、私の方が反省した。

 私は「母は強し」というコトバを思い出しながら、娘に「ごめんね」と送った。

「70才近い老人のお節介だと思って、聞き流して下さい」
 
そう付け足した。

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