【創作大賞2024】第10章_「ある女優の死」_ミステリー小説部門
『セックスしたらコロナになりました。』
第10章 ある女優の死
失業保険が終わり、どうにかリモートワークで食いつないでいる状況でした。春と夏が過ぎ、秋がきても私には依然としてお金がありませんでした。
【夫のこと】
あれはたしか二学期が始まって間もなくのころだったと思います。まだ長袖を着るには熱すぎるような、夏の粘り強い暑さの中にも爽やかな空気が流れる九月のある日のことでした。
子供が学校から習字道具を買うということで、4千円の集金袋を持ってきたのです。
そんな大金があったら私が使いたいわ、という思いが溢れ、悔しくて、とても悔しくて、気が遠くなっていく感じがしました。
なぜ子供に4千円の習字道具が必要なのか、ただの素人じゃないかと憤りを感じつつも、私はどうにか気持ちを切り替えて、夫に頼むことにしたのです。
「習字道具が買えないので4千円下さい」と夫にメッセージを送りました。
「いいよ、いつでも取りに来て」ということだったので、私はその足で夫の家へ行きました。彼は特に嫌がりもせず、無表情のままポケットから千円札を4枚差し出して私に手渡しました。
私は自分の手に入ったそのお札に目を落としたとき、ギクリとしました。野口英世が泣いているようにも、笑っているようにも見えたのです。
私に同情してくれているのかと思いましたが、あざ笑っていたのかも知れません。なにかものすごく、貧乏をおちょくられているようで、惨めな気持になりました。
それから手の中にあるグシャグシャなお札を握りしめると、なぜだか無性に死にたくなりました。
昔、漱石にも追い詰められた過去を思い出してしまったからかも知れません。
「やったね、サンキュー」
私は明るい声で言いました。にっこりと笑い、夫にお礼を言ってすぐにその場を立ち去りました。
だって、そうするしかなかったのです。明るく笑うしかなかったのです。ここで深刻になったり、夫の前で涙を流したりすれば、惨めすぎて私は自分を救えなくなると、そう直感しました。
父の「がっかりした」というコトバが耳の奥で響きました。もうこんな人生はイヤだと、あの時ハッキリ思いました。
あれ以来、私は一度も夫にお金をもらっていません。だからでしょうか、英世におちょくられることもなくなりました。
パソコンを使ったリモートワークはどうにか軌道に乗りました。毎月の収入はなんとか生計を立てられるところまで来ました。だけど、私は何かとても疲れていました。
ある日、女優さんが自殺したという報道が耳に入りました。
「私も、もういいかな」と思いました。
子供が夫の家に泊まりに行っていて、その夜は誰もいませんでした。私は涙が止まらなくなりました。「もう十分、がんばったのではないか」となんだかひどく穏やかな気持ちになったのです。今ならフワッといけるかも知れないと、そんな可能性が脳裏をよぎりました。
だけど、そのときの私はなぜか冷静になって、ふと想像してしまったのです。
明日の朝の光景を――。
今私が死んだら、第一発見者は明日返ってくる息子だ、ということを――。
それは良くないと思いました。
私がいなくても、息子はきっと生きていくでしょう。私がいなくなったら夫が育ててくれるだろうし、私の生命保険も下りることだろうし、今よりもいろいろなことがスムーズになるかも知れません。
私がいないとこの子はダメだというプレッシャーが、実は親のエゴだということを私は知っています。どんなに親がひどくても、子供はちゃんと生きていけるものです。親のいない人生を歩みながらも立派に成長した人を私はたくさん知っているし、現に私の親はひどいけれど、私はまぁまぁまともに生きていますから――、だから親の存在や人格と子供の将来が関係ないことはわかっていました。
つまり、子供のことは全く心配していなかったのです。
ただ、子供を第一発見者にする死に方を、私はしたくないと思いました。
そういう女はカッコ良くないので、取り急ぎその晩は死なないことにしたのでした。
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