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【え6】ペンギンカボチャとブタマンカボチャ

私が野球小僧だった小学生の頃。
学校が終わって家に帰り、ランドセルを机の上に置く。
プラスチックのバットとカラーボール。グローブだけは一丁前の物。
それに持ち変えて、近所の広場に飛んで行き草野球をするのが日課だった。
30年ちょっと前までは、のび太やカツオは実世界に存在していた。
ほぼ毎日、日没コールドになるまで「ごっこ野球」を楽しんでいた。

雨の日は雨天中止…ではなく。
友達の家でファミコンをするのが定番だった。
遊ぶゲームも野球。ナムコ(現:バンダイナムコ)から発売されたばかりの新作「プロ野球ファミリースタジアム」だった。
今のゲームのようにディテールの凝った代物ではなく、内容は至ってシンプル。ユニフォームが違うだけの3頭身のバッター。遠目に見えるピッチャーも似たような体つき。右利きと左利きの区別はある。各選手には実在する選手の名前が与えられ、それなりの能力差が付いている。
今では考えられない「ちゃっちい野球ゲーム」だが、当時は画期的な野球ゲームだった。ブラウン管に映し出される8ビットのゲームの中に、小学生の私はいた。

友達は必ずGの付くチームを選択していた。投打のバランスが取れているチーム。唯一勝負が出来るのは、投手力がGチームより多少上のCチームだけだった。他にも優れたチームはあったが、当時のパ・リーグは日陰の存在だったので誰も選ばなかった。Lというチームは人気があったが。

私は、CでもLでもRでもFでもNでもないチームを選んでいた。
異常な打撃力のあるT。「おちあい」はいなかったが、それなりに戦力があったD。スーパーカートリオによる走力が光るW。
その中で、私はSというチームを選ぶ日が多かった。
実在するSチームが在京球団であった事と、当時からあった「判官びいき」、そして柔よく剛を制すという爽快感への希望がそうさせていたのかもしれない。戦力的には箸にも棒にもかからない圧倒的な弱さのSに魅力を感じていた。

雨の続く梅雨時には、毎日ファミコンの中で勝負していた。
実世界でも戦力的に貧弱極まりない私は、ゲームの中でも弱かった。
スポーツ万能であり、対コンピューターで力を付けていた友達に負けっぱなしだった。柔よく剛を制す術など皆無だった。たまに自分がGチームを、友達がCチームを選んで試合をしても勝てなかった。負けた理由は概ね「こうの」のせいにした。

ちょっとだけ思い出したことがある。
友達は、いつものようにGチーム。自分は相変わらずSチームを選んでゲームが始まった。
試合の展開は、野球好きの方ならば想像できるだろう。
「まつもと」がセーフティーバントで出塁し、すかさず盗塁。「しのすか」が犠牲バントで3塁にランナーを送り、クリーンナップの誰かがホームランないしヒットを打ってまつもとが生還。「くろまて」「たつのり」「よしむら」の誰かが打つ。打てなくても後続には「なかはた」がいる。初回で最低でも4点のビハインドはあった。
投手陣も盤石だ。「えがわ」のカーブは恐ろしい曲がりっぷりだった。もはや意図的なデッドボールでしか出塁できなかった。実世界であれば「くりやま」は再起不能で日本ハムの監督になっていないだろう。くりやまを犠牲にしないとランナーは出せなかった。ただ、後続がサッパリだった。唯一の光明の「れおん」も、えがわの投げるカーブの前に凡退する日々だった。

そのような状況下でも、友達は畳み掛けてくる。ランナーは満塁。私が操る「たかの」は早くも汗だく。限界だ。そこで友達は代打に「おう」を出す。謎の代打おう。タイムスリップして蘇ったおう。もしかしたら、後にヤクルトで選手兼任監督をしていた古田の得意技「代打オレ」のルーツなのかもしれない。.301に40HR。野球を知らない人でも満塁ホームランという単語は浮かぶだろう。
私のチームのブルペンには、ロクな投手がいない。「あらき」も「あい」も背番号1には敵わない。ただ、その中に一人だけ通用するであろう投手がいた。

私は、そのピッチャーの現役時代を知らない。全盛期なんて尚更。引退したばかりの人と思っていた。しかし、彼の左下手から投げる変化球は「魔球」そのものだった。世界の本塁打王をホームゲッツーに抑えるぐらいだった。しかし、1イニングがやっとのスタミナしか持ち合わせていなかったが。
彼はどんな強打者にも通用した。今で云うチートな存在だ。「ばあす」「かけふ」「おかだ」「きよはら」「おちあい」にも。ついでに言うなら「ぱつく」など対象外だった。「ぴの」が3塁にでもいない限り。

そんな彼をゲームの外でも知ったのは、偶然テレビで放送していたアニメ映画だった。
主役はタブチくん。田淵幸一。山本浩二や今は亡き星野監督と一緒にカレーを作っていた人と言えば、そこそこ分かるだろう。YouTubeで検索すれば、綺麗なホームランを放つスラッガー・田淵の映像が山ほど出て来る。
「ミスタータイガース」と呼ばれた男が、当時は秘境だった埼玉所沢に球場を構える新球団・西武ライオンズにトレードされた後の活躍…というか奮闘っぷりをコメディにしたアニメだ。田淵が6大学野球のスター捕手であり、ハンサムだからキャッチャーマスクを外して一塁手にさせようという逸話程度の情報しか手に入らなかった当時の私には、デフォルメされている太めで愛嬌のある野球選手は、田淵選手ではなく「タブチくん」だった。

その横で茶々を入れるのが、ゲームで大打者をキリキリ舞いさせていた彼だった。彼も6大学野球のスターであり、大学4年間で27個のデッドボールをタブチくんにぶつけた名投手だった。田淵は法政の、彼は早稲田のスターだった。
映画の中でも彼は「技巧派」であり、常に新魔球を考案しては広岡監督や大矢捕手に呆れられていた。デフォルメされたその姿は、ダルビッシュから速球と身長と顔付きを引いたようなキャラクターだった。
2人はそれぞれを「ペンギンカボチャ」「ブタマンカボチャ」と揶揄していた。子供心にもベストネーミングに感じた。

30年経った野球小僧が、今朝いつもどおり目を覚ました時。
これもまたいつものようにスマホでYahooニュースを見ていたら、ペンギンカボチャと呼ばれていたチートな技巧派投手の訃報が並んでいた。胃がんだったそうだ。そして、その訃報の全てにソフトバンクの王会長のコメントが掲載されている。彼は実世界でも「おう」に強かったのだ。

元ヤクルトスワローズ投手、安田猛。サイドスローの技巧派左腕。
実働10年。93勝80敗。1972年新人王。1972・1973年最優秀防御率。
現役時代は残っている映像でしか知らないが、ファミスタの中では「おう」と同じく「謎のリリーフピッチャー・やすだ」だったのだ。

【参考文献】
ファミコンマスター「プロ野球ファミリースタジアム選手一覧表」
Wikipedia「安田猛(野球)」

※本日は内容を変更して書き落としました。