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【え9】ご機嫌斜めの複合機

私が某企業で新入社員の教育担当をしていた頃の話。
履歴書に「新人教育の経験あり」なんて書いたものだから、中途入社から1年も経たない間に大役を仰せ付かってしまった。本当に世の中は分からないことだらけだ。

以前に所属していた会社では、簡単なオリエンテーションの後、いきなり現場研修をしてもらうスタイルだった。初日はひたすら業務の様子を見てもらい、2日目は簡単な業務をこなしてもらって、3日目は通しで業務を行ってもらう。そのうちスキルと共に、業務スピードも徐々に上がっていく。
新人教育は簡単そうに見えるが、根気のいる仕事だ。ベテランであれば5分で出来る業務を、新人さんは当然ながら10分も20分もかけて行う。余程の事でない限りは手を出せない。手を出すと新人さんは勉強にならない。そんな歯がゆい思いをしながら行う仕事、それが新人教育だ。人を育てるのは難しい。

途中入社の会社では、オリエンテーションが長めだった。
業務の説明はもちろんだか、挨拶の仕方から名刺の渡し方、エレベータや車に乗った際の位置取りといった「ビジネスマナー」も指導のカリキュラムに入っていた。
しかし、今の新人さんは立派だ。業務内容は社のWebサイトで概ね頭に入っている上、ビジネスマナーも完璧だ。上席が運転する車の中で爆睡していた新人時代の私とは比べ物にならない。
デジタルデバイスにも詳しい。詳しすぎる。PCやスマホの扱い方なんて教えるまでもない。こっちが教えてほしいぐらいだ。「弊社のネットワークのセキュリティは万全ですか?」などという質問が飛ぶぐらいだ。質問を受けた際は、私が担当の席に飛んで行った。
各自に業務用のスマホを渡した時は、さすがに参った。手こずった。
自分が持つスマホより一世代古い機種だと知った者は「チッ…」という表情をしていた。悪かったな、古い機種で。渡された直後にタスクやToDoの管理アプリをダウンロードする者もいた。ちょっと待て、君にはまだミッションを与えていない。おいおい、いくら社外の人間が見ないとはいえ壁紙をマイメロディに変えるのだけは止めてくれ。

そんだこんだで、私が汗を垂らしながら大役をこなしている時のこと。
オリエンテーション中の会議室に、社長がいらっしゃった。
新入社員面接では絶対に顔を見せない事で知られていた社長。
Webの画像ではなく生で見る社長のご尊顔に、新人たちの顔は明らかに引きつっていた。最初からその顔を私に見せてほしかった。

社長は簡単な挨拶をした後、新人たちに質問を投げかけた。
「会社で仕事をする上で、必要な力は何だと思うか」
どの会社の面接にも出て来そうな質問だが、この会社の面接では出て来ないものだ。しかし、そこは現代っ子。想定問答集で見た通りの答えを次々と声に出していた。

「語学力です」
「違う!うちはグローバル企業を目指していない。国内で、地に足をしっかりと付けた会社として存在し続ける方が大事だ!」

「プレゼンテーション力です」
「違う!いくら立て板に水の勢いで提案をしても、顧客が最後に言うのは『で、おいくらですか?』だ。夢を叶えるための資金は、うちにも相手にも無尽蔵にない!」

「将来を見通す力です」
「違う!そんなものは場数を踏んだ奴の方が上だ。それに、明日地震が来るか来ないかなんて分かる訳がない!」

お立場を利用したパワハラだ。いや、社長は指導とパワハラのラインをぎりぎりで渡っていらっしゃる。新人の親が弁護士だとしたら一発で訴訟沙汰だ。幸い、親が司法に携わる新人は一人もいなかったが。

誰一人として社長を満足させる答えが出なかった中、一人だけ正解を出した新人がいた。採用試験でトップの成績をとった人物だ。最後に答えを出すところがニクい。場馴れし過ぎていて、ニクい。

「相手の要求に応える力です」
「その通りだ。しかし、言うは易く行うは難しだ」
そう言うと社長は、新人たちを連れて一つの部署のオフィスに向かった。
社長は、その部署の上席と何やら話をした上で「こっちへ来なさい」と手招きした。そこには一台のオフィス用複合機があった。

そして社長は、給紙トレーからA4の紙をおもむろに取り出し、そこら辺にあったミスプリントの紙を原稿にして、適当に手差しでコピーを始めた。
手差しコピーは危険な作業だ。給紙トレーから吸い出されるものでさえ、時々紙詰まりが起きる。手差しなら尚更だ。いくら最新鋭の複合機だとしても、雑に扱えば事故は免れない。案の定、複合機は紙詰まりエラーを出した。
その直後に、社長は新人たちに言った。

「誰か、この状況をすぐに解決できる者はいるか?いなければ、コピー屋に来てもらってトラブルを解消してもらわなきゃならない。トラブルが解消されれば、当然ながらコピー屋から請求書を渡される。経費が発生する。社の利益は減るよな?」

至極当然のことだ。いくら会社の複合機がトラブル対応込みのリースだとはいえ、紙詰まりエラーはトラブル対応外だ。出張対応となれば、そこそこのお値段を払う必要がある。『複合機の紙詰まりトラブル』までは、想定問答集にも業界研究の類にも書かれていない。
突然の社長の言葉に、ただただ立ち尽くす者もいた。ある者はメーカー名をチェックしてGoogleで答えを出そうとする者もいた。ある者はコピー機に備え付けの取説を見ようと試みたが、社長が行く手を阻んだ。仮に学生時代にコンビニでバイト経験があったとしても、コピー機のトラブルに出くわす事は滅多にないだろう。仮にあったとしても、メーカーが異なれば対応も若干ながら異なる。
多くが頭を抱えていた時、一人の新人が社長の問いに対してこう答えた。

「減った利益は、簡単に穴埋めできます!」

威勢のいい声は、前述で答えを出した者からだった。社長に向かって啖呵を切ったのだ。若いって素晴らしい。「若い内はやりたいこと何でも出来るのさ」とはヒデキも良く言ったものだ。YMCA。
しかし、そこは百戦錬磨の社長。強気の新人に対して理詰めで攻めていく。

「利益を上げる手立ては?策を立てるまでの経費は?時間はどれぐらい掛かる?その策で補てん出来る可能性は100%か?それより、修理代がいくらかかっているのか分かった上での話か?」
「・・・」

さっきまでの威勢はどこへやら。
社長が発する因縁に近い言葉攻めに、新人は二の句が出なかった。
自分の給料から修理代を引いたら、手取り10万しか残らない可能性も否定できない。新人には穴埋め策なんて無茶だし、仮に仲間の手助けがあったとしても時間だけが無情に経過する。残業をしたところで夜になれば照明も必要。時期によっては空調も使う。会社にだって光熱費は存在する。
それ以上に、残業ともなれば時間外手当が発生する。それを払わなかった場合は、いかなる理由でも労働基準を監督する人達が会社に乗り込んでくる。結果として「私が悪かった。やっぱり給料から差し引いてもらう」となったら、お前に託した時間は?となる。次に何か起こった時、簡単にはサポートしてくれない。「大丈夫。それが仲間ってもんだろう?」とは行かない。彼らにだって通常業務は存在する。それを疎かにしてもらっては困る。
苦悶の表情を浮かべる新人に向かって社長は語った。

「そういう事だ。相手の要求は自己実現のチャンスではなく『相手が本当に求めている事』を把握し、解決する事だ。しかも『カネ』を使わずに」

そして社長は複合機のカバーを開け、給紙ユニットに詰まっていた紙を取り出した。
「これをソツなく出来る人間は重宝される。顔と名前を覚えてくれる。小さなきっかけだが、必ずチャンスは来る」
新人たちは一斉にメモを取っていた。ちょっと覗き見した誰かのメモには「チャンスは紙詰まり」と書いてあった。だとすれば年季の入った複合機を使っている会社は、毎日が新人にとってボーナスステージだ。
そんな社長のご託宣を、遠くから上席が笑顔で見つめていた。

そうこう言っている時、今度は複合機からトナーのインク切れメッセージが出た。偶然とは恐ろしい。一難去ってまた一難だ。誰かの意図的な犯行も考えられない事はないが、エラーが出ているのは事実だ。
当然ながら、社長は再びこう言った。

「誰か、この状況をすぐに解決できる者はいるか?」

新人たちにとってみれば、恐ろしい事この上ない質問だ。繰り返される非日常的事態にビビリ上がっている。「チャンスは紙詰まり」とメモしていた新人には、トナーエラーはチャンスの対象外だ。しかし、ビビってばかりはいられない。一休さんに例えれば『桔梗屋さん』や『将軍様』のような社長が出す至上命令に答えなければならない。スマホをフリックする速さも上がる。
その様子を、上席はまた微笑みながら見つめていた。虫も殺さぬ顔をしていたが、悪魔のように黒く地獄のように熱いブラックコーヒーを飲んでいた。恐らく彼の犯行に違いない。
(引用:シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール)

話を戻そう。
その中に、もう一度コピー機に備え付けの取説に手を出そうとする新人がいた。今度は社長は阻まなかった。ダメ元でトライした新人の度胸には、改めて敬意を評したい。
彼は取説を一読して、複合機の正面にあるキャビネットに目を向けた。お目当ての物は存在する。彼の目には神々しく見えたであろう。
迷うことなく新しいトナーに手を掛けようとした彼を見た時、社長は言い放った。

「そのトナー、値段はいくらか知ってるか?」
「・・・」
「新しいトナーを使えば、トラブルは解決する。私が求めていることは解決する。ただ、トナーを1つ買い足すカネは『経費』という名前に変わるわなぁ」
「・・・」
「たかだかトナー1つと思っても馬鹿にならんよ。トナー1つ分の経費で会社が潰れたり、誰かの首を切ったり、事によっては税務署のガサが入るかもしれんぞ。極端な話だが」
「・・・」

確かに極端な話だ。
トナー1つの経費で潰れる会社は、とっくのとうに潰れている。純正品のトナーでも1つ1万するかしないかだ。それでリストラを検討するほど、この会社は内部留保に困っていない。それに、1万円という金額をどう操れば税務署がやって来るのか。

そう言うと、社長は再び複合機のカバーを開けてエラーを吐いているトナーを取り出すと、左右にシャカシャカと振り始めた。ある程度振った後にもう一度セットすると、エラーは消えた。
複合機のカバーを閉じた後、社長は言った。

「こういう事だ。見た目は惨め極まりないが、取り急ぎ無駄な経費を使わず解決した。私が若い頃にお世話になった会社で教えてもらったことだ。その頃は複合機なんて物はなく『ファクシミリの紙詰まり』『ゼロックスのエラー』と言っていたが」

新人たちは、再びメモを取っていた。その表情は真剣かつ真摯だった。例の新人のメモを見ると、今度はまともな事を書いていた。「チャンスはゼロックスのエラー」とは書いていなかった。
そして、新人たちは交付された辞令の部署へと散っていった。私の仕事は一段落した。「コーヒー飲む?」とブラックコーヒーを『共犯者』から渡された。

社長が若い頃に働いていた会社は、常に学生の人気就職先の上位に名を連ねている。資本金2000億。売上高10兆。純利益5000億。そのような超大企業でも、社長は若い頃にトナーを振っていたのだ。
「仕事ができる人間はケチ臭い」
上司から下駄に乗っける寿司を食わせてもらいながら、若かりし頃の社長はその言葉を聞いたらしい。

グローバル企業が悲鳴を上げている現在、国内で地に足をしっかりと付けた企業は、四半期決算でクロを出したらしい。当時の仲間に話を聞くと、社員が自宅からZoomで商談をした後、会長と社長が各々で顧客回りをしていたそうだ。ちなみに当時の社長は会長職に退き、共犯者だった上席は社長に昇格したそうだ。ネット上でクローズした商談の後、会長と社長がトヨタ・プロボックスに乗って仕上げに来る。あの2人がやりそうな事だと妙に納得した。

事情があって何年も勤めていなかった会社だったが、社長の話は耳に残っている。私もそこでワラジを脱いだ時、それを教わった。
その時も社長は、紙詰まりエラーとトナーエラーを解決していた。