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ネットで「感動しました」って言う時、実際はやや低めの「感動」でも「感動しました」って表現してしまう為「感動の質」自体を貶める負の感動スパイラルに陥っている

・ネットで「感動しました!」って言う時に確かに感動自体はしているんですが、実世界での感動よりやや感動ランクとしては劣ってしまう事であっても「感動した」と言ってしまう気がするので、感動したと伝えた相手にとっては現実世界の「感動した」と同じくらい感動をもたらしたと勘違いさせてしまい結果的に相互に「感動」レベルが徐々に下降してしまい「感動までもうちょっと」くらいの出来事でさえ「感動しました!」と言ってしまう敏感感動世界を作ってしまっている気がする。

・敏感感動世界って何?

・同じ言葉をたくさん出せば面白いだろう、という浅薄な考えの具現化です。笑えよ。笑ってくれよ…。

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・フリー素材で「感動」と調べたらこんな素材が出てきた。昨日今日で「感動」の言葉の意味変わった?

・すっごい色々気になるな。

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・ここなんでぼやけてんの?被写体の方がヤバい心霊写真みたいになっている。裸の上に皮ジャンも気になる。幽霊も出るに出れない気持ちもわかる。大変だな。

図2

・どうしよう。見れば見るほど気になってきちゃった。もっと、もっと突っ込んでとサングラスの奥に潜む眼で諭される。どうすれば、どうすれば…

図3

あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ

・フリー素材ってマジで最高だな。

・フリー素材のモデルの方って、こんな使われ方しているの見たらどんな気持ちになるんだろうか。そもそもこの素材ができた時に恐らく納品データをもらって確認しているだろうから、あーこれはダンディズム的な広告とかに使われるかな、とか予想はするだろうな。

・その結果がこれか?俺はこんな突っ込まれて、素材としては何の意味のない使われ方の為だけに生まれてきたんじゃない。もっと、意味のある、例えば海に行くことを訴求したり、裸に革ジャンを着ることの啓蒙になったり、そんな、意味のある消費をされたかった…。

・襟足、切るか…。

fin

また明日。

さようなら。

ここのコメントでセンスいい人好き