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今気が付けば、私は産後ウツだったのかも

カナダに住んで二人の子供を授かり、息子と娘は素直な優しい子に育っています。
しかし、私はいいお母さんではなかったと、昔の自分を思うと胸が苦しくなってしまう時があります。
それは、二人目、長女が生まれた後でした。

一人目も二人目も、産後は特にツライ

日本では出産後、5~6日の入院期間があります。
しかし、カナダでは病院で出産の場合、長期入院はなく退院できます。

一人目の時は、私の産後の回復が遅くて一泊しました。
今回の話は、二人目、長女です。

長女の体重は、2490g。とっても元気。でも体重が少ないので、細い腕と足でした。ガリガリで赤ちゃんお尻はしわしわです。


カナダでは低体重が2500g以下。わずか10g足りず、24時間病院に滞在することになりました。

赤ちゃんとの格闘の日々が始まる


病室では、お母さんと赤ちゃんは同室。そう、休む暇はありません。赤ちゃんが泣けば起きて、授乳、おむつ替えが待っています。家にいるのと同じ状況です。

ちなみに、看護婦さんの巡回はほぼなし。
自分で布おむつをとりに行きました。さらに、授乳の時にカーテンを閉めていたので、夕食の配膳がなく朝まで空腹でした。

とにかく、私は二人目だから心配ない。上手に赤ちゃんと過ごせると思っていたのですが。やはり、2年前のことはすっかり忘れていました。

上手に授乳できず、時間がかかる。娘が小さいからか、飲む量が少なく、すぐ起きる。その繰り返し。そんなことをしていると、翌朝になり、退院となりました。

主人は仕事が忙しく育休は一週間。短い、本当に短いです。

あっという間に主人の育休が終わると、想像もつかない日々が待っていました。

二人の子供の世話にてんてこまい


長男(2歳)と長女の世話、食事、洗濯。夜は授乳などで寝られず、昼間は息子の相手で寝られず。だんだん眠たいのか、わからなくなってきました。


階段を下りる時に、最後の二段を踏み外したり、自分がコントロールできなくなっている気がしました。

私の両親は、日本でガンの闘病中(なぜかほぼ同時にガンを発見)
迷惑はかけられないので、電話もできず。

主人の母は、産後などの手伝いはしない、というモットー。さらに主人は仕事で疲れて手伝う気はなし。

ワンオペ育児です。

いつの間にか、いつもイライラ。息子に本を読むことをしなくなり、遊んであげることもなく、テレビだけを見せているようになっていました。

いつしか私は怒鳴っていた

ある日のこと、二人の子供のお風呂が終わったあとで上手にパジャマのズボンがはけない息子に、

「自分ではきなさい!さっさと寝なさい!」

そう叫んで、息子の部屋のドアを閉めてしまいました。
一人でできないのを知っていながら、私は叫んでいたのです。

息子の泣く声はしません。
日頃からおとなしい子。イヤイヤもしない。
私が怖くておとなしかったのかもしれません。

しばらくたって部屋の中を見ると、指を吸って寝ていました。
その息子を見て、泣いてしまいました。

なんて、ひどいんだろう。

そう思っていたのに、息子に服を着る手伝いをしなかったり、寝かしつけなかったりを何度かしていました。

日本へ帰国することに

そして長女が4ヶ月の頃。日本から電話がありました。父が危篤だと。

急いで日本へ帰る準備をして、実家に戻った時には父はすでに骨になっていました。

私に心配かけたくなくて、父が亡くなってから連絡をしたと聞きました。

今まで育児で忙しかったこと、25時間以上かけて一人で二人の子供を連れカナダから帰った疲れからか、悲しいのかどうかわからなかったのを覚えています。

今思うと、父が「日本へ帰っておいで」と言っていたのかもしれません。

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ふと見ると在宅医療をしているガンの母が、息子と遊んだり、娘を寝かしつけてくれていました。

その母の様子を見て、私は何をしているんだろう。
いいお母さんだっただろうかと、自分を振り返ることができました。

今も息子にしたことを思うと、胸がギューとします。
なんてひどいことをしたんだろうと、後悔しています。

だから、毎日子供達をハグして「大好きだよ」と伝えています。

あの時怒鳴っていた私は、産後ウツだったのかもしれない。
産後2か月間は記憶があまり残っていません。
疲れすぎていたのでしょう。

誰でも産後は、どんな状況になるか予想もつかない。
だって、人を育てるのは本当に大変だから。

でも、大変だから、楽しい。今はそう言える。
過去には戻れない。だから、今、この瞬間を大切にしたい。

そして、父と母に感謝しています。


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