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短編を作ってみよう①登場人物の数と書きたい関係性を決める(ネタバレ度:★)

こんにちは。
もう一ヶ月も前になるのですが、私が参加したお酒をテーマにしたアンソロジー『ほろよい読書 おかわり』が発売されました。たくさんんの方に買っていただけているようで、早々に重版が決定したようです。

そもそもこの『ほろよい読書』 シリーズ、一冊目からしてかなり好評だったのです。


なんと現在10刷で6万部を超えているそうです。本の価値は部数では決まらないけれど、お酒を一杯買うような感覚で書店から持ち帰っている読者の方が多いのではないでしょうか。

さてさてそんな人気シリーズになりつつあるこの『ほろよい読書』に参加するきっかけになったのは、編集者さんが「わた定にお酒のシーンがよく出てくるので書けると思った」と声をかけてくれたことでした。
こんなふうにテーマをもらって短編を書くのって、私の場合、ありそうでないことです。

なので今回は、短編をどうやって作っていくかの過程を記録してみようと思いました。けっこう長くなと思うので、何回かに分けて書きますが、ネタバレが嫌いな人のためにネタバレ度がどの程度かを、各記事のタイトルに明示していきますね。

ですます調で書くのってけっこう疲れるので、ここからは朱野の頭の中で言っていることとして、ぶっきらぼう調でいきますね。

まずは企画から。

「お酒×朱野帰子」というテーマで何を書くかを考えてみる

与えられた条件は「お酒や食事が出てくる」こと。
お酒が飲めない設定でもいいそうだ。女性作家によるアンソロジーだからメインターゲットは成人女性読者を想定しているだろう。タイトルを裏切らない、リラックスした読後感が大事だと推測される。

そしてアンソロジーとは読者との出会いの場でもある。とくに同じテーマで競作する場合は著者の個性が際立つ。アンソロジー全体を盛り上げつつ、これぞ朱野作品という一編にしたい。他の作家さんたちも、どんな小さな仕事でもフルスイングしてくる方たちだとお見受けしたので、私が足を引っ張ってはならない。

最初に思いついたのは「酔った上司たちを介護する役割を押しつけられた人たち」という設定だ。会社員時代の私がそうだった。脳がアンコントロールになるのが嫌いなので、私はシラフのままでいることが多い。飲み会の会話を全部覚えているので嫌がられるが、介護役として重宝されたりする。
「朱野さんは酔っ払いに優しいらしい」というだけで入社したばかりの会社で居場所ができたこともある。その立場を利用して上司の弱みを握り、社内政治で勝ち上がるという人生もあったかもしれない。
……てな感じのコミカルなお話はどうでしょう? と編集者さんに提案してみたところ「いいですよー!」との返事だった。

編集者さんのオーケーが出た設定を泳がせてみる

ざっくりとした設定が決まったら頭のなかで泳がせておく。
「酔った上司たちを介護する役割を押しつけられた人たち」という設定を頭の片隅において、他の仕事をしたり、生活をしたり、世間話をしたりする。そのうち脳が物語の材料を拾いはじめる。キャラクターやらストーリーやらの原型みたいなものを作り出す。(これが無意識にできるようになったのは中堅になってからで、新人時代はもっと意識的にやってた)
物語の核にしたいのは「関係性」だ。登場人物たちの間に生まれる関係性はできれば名前のついていないものがいい。「あの関係っていいよね」と例に引かれるような関係性を発明できるともっといい。

だが、「酔った上司たちを介護する役割を押しつけられた人たち」という設定を泳がせてみても、そういう「関係性」は浮かんでこない。介護役を引き受けてきた先輩社員と、それを引き継ぐことになった後輩社員、という関係性を考えてみたが、二人の酒席を思い浮かべてもいまいちワクワクしない。あくまで矢印は介護される上司や同僚にむいてしまう。

詰まってしまった。「ほろ酔い」というテーマに戻ってみる。お酒を飲むと人は心のガードが緩む。アルコールの力を借りて、鎧を脱いで話すことで「この人はそんなことを考えていたのか」と気づくこともある。

設定を変更する!!! 最初のアイディアは没にする

最初のアイディアは没にしたほうがいいという経験則が私にはある。
誰でも考えつきそうだったり、無意識的に書くのが楽そうなアイディアを選択してしまっていることが多いからだ。編集者さんに通った設定ではあるが、思い切って没にしてしまおう。

最初の設定が行き詰まった原因。そこを掘っていくことで真に書きたいものが見つかることも多い。私が書きたい「関係性」とは? ……を考えていたある日、他社の編集者さんに「朱野さんが、つかこうへいが好きだなんで意外です」と言われた。

つかこうへい作品に出会ったのは子供の頃だ。父に連れられて行った映画『幕末純情伝』だった。互いに惹かれながら「坂本龍馬を斬るか」どうかで対立する土方と沖田。土方を演じていたのは杉本哲太、沖田は牧瀬里穂。(この物語では沖田が女性なのです)相手を激しく求める気持ちと、相容れない生き方。互角の力で壮絶に斬り合う二人の間には、他人には理解できない愛がある。ついに土方の刃が沖田の肩に食いこんだとき、牧瀬里穂が恍惚とした表情を浮かべるあのシーンが、子供だった私に与えた影響ははかりしれない。おかげで相容れない者たちの関係性が好きになってしまった。

彼らの間にある障壁は、性別や、生死や、所属する共同体などではない。それらの要因が全てなくなったとしても彼らは相容れない。恋愛の障壁は彼ら自身なのだ。
そういえば『わたし、定時で帰ります。』の結衣と晃太郎、『科学オタがマイナスイオンの部署に異動しました』に出てくる羽嶋姉弟、『対岸の家事』の詩穂と中谷にもそういう関係を無意識に背負わせているかもしれない。
彼らは生き方の極と極にいて、永遠に対立しあう。だからこそ互いをどこまでも理解している。そんな関係性が私は好きだ。

そんなことを考えていたら、書評家・三宅夏帆さんの『名場面でわかる 刺さる小説の技術』の「名場面1 ライバル そのふたりにしか理解できないことを書く」という節に、まさにそういう関係性をどう書けばいいかの解説があった。

そう、同じゴールを目指しているだけでは、ライバルにならない。そうじゃなくて「ふたりは対等ですよ」と作品内で表現することが必要になってくるのだ。
 ではなにがふたりを対等にさせるのか。努力の量? 姿勢? 思想の深さ? たぶん違う。
 対等さとは「相手のことを理解できているかどうか」という点に存在するのである。
 理解、つまり、相手のことを理解できているのは自分だけだ、という一点において、ふたりのライバル関係は存在する。
 他人への理解は、その他人と同じレベルにいないとできない。相手のことが見えていなくて、自分のことしか見えていない場合、理解は存在していないからだ。

『名場面でわかる 刺さる小説の技術』三宅香帆

「相手のことを理解できているのは自分だけだ」と互いに思いあう者たちが殺し合う。潰し合う。いやそこまでさせなくてもいいんだけど、熱い……熱いよね……。

だが、今回書くのは『ほろよい読書』だ。「今回はそういう熱(あつ)苦しい対立はさせないほうがいいだろうな」と私は考え、最初の企画を出したのだと思う。「似た者同士」の設定の方がリラックスできていいじゃないか、と。
でもやっぱり「相容れない者同士」を書くのが私は好きなのだ。書きすぎて読者からしたらマンネリ気味かなーと思っていたけれど、本音ではまだ書き足りないのだ。自分の「好き」を一旦離れてみて、また戻ってくることはよくあることだ。一旦離れたことで、戻ってきたときには前よりもヴァージョンアップしたりもする。

それでは、今回の「相容れない者同士の間に生まれる関係性」はどう作っていけばいいだろう。

「登場人物が少ない」「初対面」は執筆を楽にする。

関係性は決まったが、検討することは他にもある。
登場人物は何人にするか。
三谷幸喜のそのエッセイ『ありふれた生活』によると、登場人物が増えれば増えるほど執筆の負荷は上がるという。

僕にとってもっとも書きやすいのは二人芝居である。Aさんが喋っている間、基本的にBさんは、それを聞いている。僕はAさんの台詞を書きながら、同時にそれを聞いているBさんの心情を想像する。そしてそこから次のBさんの台詞が生まれる。
これが三人に増えたら、いきなり複雑になる。Aさんが喋っている間、Bさんに加え、Cさんの心情も考えなければならない。しかも二人芝居だと、Aさんが喋り終わると、次に喋るのはBさんしかいないが、三人になると、Bさんかもしれない。Cさんかもしれない。そしてBさんだった場合は、なぜCさんは黙っていたのか、その理由も考えなければならない。飛躍的にややこしさが増す。登場人物が増えれば増えるほど、書くのに労力を要するのだ。

『三谷幸喜のありふれた生活14 いくさ上手』(三谷幸喜)

三谷作品といえば『12人の優しい日本人』を筆頭に登場人物が多いドラマを得意とすることで有名でだ。その三谷氏でも二人が一番楽だという。

今回は短編だし、枚数も多くないし、メインキャラクターは最初から最後まで二人にしておくか。相容れない二人が酒を飲む物語にしよう。

次に考えておかなければならないことが「彼らは初対面なのかどうか」ということである。
これも三谷幸喜に訊いてみよう。

二人芝居を作る時に、いつも最初に考えるのは、その二人は顔なじみなのか、それとも、この物語の中で出会うのか、ということ。これは物語を左右する、大事な要素だ。
書く方としては後者の方が圧倒的に書きやすい。二人が知り合いの場合は、彼らがどういう関係なのか、知り合って何年目なのか、仲はいいのか悪いのか、悪いけどそれを隠しているのか、社会的な上下関係はあるのか、精神的な上限関係は? といったことを予め考えておかなくてはならないし、しかもそれを会話のなかでさりげなく(全部とは言わないにしても)、観客に提示しなくてはならない。間違っても「そういえば、お前と知り合ってもう二年になるなあ」みたいな陳腐な説明台詞は書くわけにいかない。だから頭を使う。
物語の中で知り合う場合は、そんな苦労をする必要はない。「すみません、それ、僕の靴なんですけど」といった魅力的な冒頭のセリフさえ思いつけば、後は筆の赴くままに書き進められる。

『三谷幸喜のありふれた生活14 いくさ上手』(三谷幸喜)

よし、物語の中で出会わせることにしよう!
……といきたいところだが、「待てよ」ともう一人の私が言う。お前が書きたいのは「相容れない者同士」だろ? 出会ったばかりの二人にした場合、一回酒を飲んだだけで「相容れない」ってとこまでいくだろうか? 

じゃあ、「リアルでは初対面」っていうのはどうだろう。
オンラインでは繋がっているが、リアルで会うのは初めて。「マッチングアプリで知り合った」となるとラブコメになってしまう。ラブコメは優れた過去作品が多く、天才レベルの書き手が続々と登場するゆえ、レッドオーシャンである。飛びこむのはやめておこう。……と、ここまで考えて思いついた。

「SNSを相互フォローしている」ことにしたらどうだろ?

Twitterに費やした11年を活かす 会う前から対立する二人にする

 相互フォローしているなら互いのツイートを見ているはず。意識的にせよ無意識的にせよ内面まで曝け出すこともしているはず。いきなり踏みこんだ会話だってさせられる。原稿用紙50〜80枚で、対立するところまで持っていける気がする。

といって、趣味仲間の世界を書くのはやはりレッドオーシャン。「推し」を描く作品は現在、供給過多である。
それに、できれば実名アカウントだと、自己紹介の手間が省けていい。ビジネス使用している設定にするか。だんだん朱野の「いつもの」ぽくなってきた気がする。ビジネス使用ならbioには所属する会社まで書いてあるはず。アイコンにも本人写真を使うはず。

SNSで対立させたいならTwitterだろう。青い鳥が鳴いているあの場所には「相容れない関係性」がいっぱいだ。リアルで会う前から一戦やらかしてるという血生ぐさい設定にだってできそうだ。

「ほろ酔い読書」のリラックス感からどんどん離れてる気がするが、こうなったらいくところまでいってしまおう。他人に引かれるんじゃないかというくらい「好き」を極めるくらいがちょうどいいのだ。

相容れない二人がなぜ飲みにいくことに?

ここで私は自分が過去にしたこんなツイートのことを思い出した。「それがいかに大嫌いな人だったとしても、牡蠣は牡蠣好きと食べにいくものだ」
なぜなら牡蠣を好きな人は案外少ないからだ。とくに生牡蠣空きはいそうでいない。1ピース食べたいという人はいても、同行した相手が「15ピースはいきたいですよね」と言い出したらドン引きだそう。しかし牡蠣好きはそれくらい食べるのだ。
登場人物たちが両方とも牡蠣好きならば、Twitterで揉めた相手だったとしても、しかたなく一緒に飲みに行くということもありえるんじゃないだろうか?

それでいこう。

Twitterで揉めた者同士が牡蠣を食べにいく。理由は「真牡蠣のシーズンが終わってしまうから」。一生のうちで生牡蠣を食べられる回数はそれほど多くないので生牡蠣好きには重大な問題だ。たとえリアルでは初対面の人と会うというリスクを冒しても食べにいくのではないか。

ここまでで対立する二人がともに牡蠣を食べるまでの流れができた。
・ふたりはTwitterの相互フォロワー
・過去に揉めたことがあり、対立関係にある
・だが牡蠣は牡蠣好きと食べなければならないため会うことに
・リアルでは初対面

よしよし。

しかし大事な問題が残っている。二人はなぜTwitterで揉めたのか。なにをめぐって対立したのか?
これはキャラクター造形と絡んでくる問題なので、まずそっちから詰めていくことにする。

長くなってしまったので次に続く。

※ここまでですでに「読みたい」ってなった方は小説の方を先に読んでから続きに進んでください。そのほうがネタバレが少なくてすむかも。
書店さんにもまだあると思うよ!