見出し画像

子育ては「人材育成」ではない

どんな子に育てたいのか?
親として、自分自身に聞いてみたら、
心身健康で、
自立して、
幸せに生きる子、
欲を言えば、
人を笑顔にしたり、感動させたりする子。
あとは自由に自分に正直に生きてほしいと。

私は、ぶーを、そう育てることができているのだろうか?
丁寧に、よく観察して、子育てしたいと思うが、日々の忙しさで忘れてしまうことは多いのが事実。ただの言い訳‥。

ぶーの学校には、木がたくさん生えている。
ぶーがこの学校を第一志望校にした理由の1つが、森みたいな学校だから。
学校の木には、その木の名前や種類などの説明が記載されたプレートがついている。
一本一本見ていくと、幹の太さも、高さも、枝ぶりも、葉の形も、色も、何もかも、それぞれ違う。それぞれ趣きがあり、自然の木はのびのびしていて、そこに生き物がとまったり、巣を作ったり、実を食べたり。何というか生き生きしている。きっと、木や森の妖精、もしかしたら神様も宿っているのかも、と思う。
ぶーも、この学校で、自由にのびのび育ち、生き生きと過ごしてほしい、この木たちのように。

そんなことを考えていると、ふと、おおたとしまささんの「学校に染まるな」という本の内容が頭に浮かぶ。教育と人材育成は違う、と。人材とは、木材のようなものだ、と。

木を、木材にするために、枝葉を切り落とし、市場で高値で売れるように、味も素気もない、他の木材用の木と同じ大きさ、同じ形に、育てる。
何だか、子育ても、そんなふうにしてないだろうか。立派な会社員にするために、無駄を省き、型にはめて、教育という名目で、市場で価値ある人材になるように育ててないだろうか。

「高いお給料がもらえる人材に育てる」

子育てのゴールは、そこにあるのか?
もちろん、自立してほしい、経済的にも困らないようになってほしい、花まる学習塾の高濱先生がおっしゃるように、稼げる大人に、やはりなってもらいたい。

でも、しかし、それはぶーが選んだ道の先、もしくはその途中の結果でしかない、と思う。
子育てで、私の子育てなんかで、ぶーの人生は決まらない、そう思う。ただ、ぶーが面白いと思うこと、この世界にあるたくさんのことの中から見つける、その手助けはしておきたい。
あっちにもこっちにも枝葉を自由にいっぱい伸ばして、不恰好だけど、生い茂った暑苦しい木に育てておこう、それが私の子育て、それでいい。その先はぶー自身が決めればいい。
少しずるいかもしれないけど、私は人材育成したいわけじゃない、ぶーという生き物を育てたいのだから。
といいつつ、「宿題もったのー?」と朝から声をかけてしまう私、私もまだまだ母修行中(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?