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愛しい肉まんくん

赤ちゃんは肉まんに似ている。

あたたかくフカフカで、中身が詰まっていて正しく肉まんである。
抱きしめる肉まん。汗だくな肉まん。
抱っこしているとこちらまで幸せの肉汁がうつってくる。

ちなみにまだ歩かず、ようやく寝返りができるくらいの、丸々に肥えた赤ちゃんはいもむし(短め)にも似ていると思うのだが、これは夫に
「そりゃないだろう」
と、言われてしまった。

最近の肉まんぷんぷくりん丸は、おしゃべりができるようになりつつあるのだが、それが愛おしく切ない。
あとどれくらい、あのたどたどしい日本語が聞けるのだろう。喃語と日本語の間で、優しい時間が流れている。

赤ちゃんでいる時間は意外と短い。
彼らが大きくなるにつれ、昔の記憶は流れてゆく。そして新しい記憶に更新されてゆくのだけれど、その度に私は何かを失っていく気がする。

肉まんぷんぷくりん丸は2人目の子で、1人目がいるからこそ何を失うのかが分かるから、いまからもうすでに記憶を寒天にしたくなる。
もうかなり早い段階から、私はこうだった。

1人目の子の喪失は一瞬だった。
ぐっすり寝ている我が子の、すらりと伸びはじめた足を見て、あぁこの子は赤ちゃんから子どもになったのだと実感した。
もう少しだけでいい。
もう少しだけでいいから、赤ちゃんでいておくれとずっと願ってやまないのが、その健やかな成長をだれよりも願っているのは我々親なのだ。

非常にたくさんの方が話題にされているので今更だが、この歌は世界中の親に響く。
親になってよかったことに、この歌を噛み締めながら聴けること、というのがあるくらいなので、時間がある方は、ぜひ聴いてほしい。

ちなみに肉まんぷんぷくりん丸は大変寝付きが悪いのだが、偉大な彼女の子守唄を聞けば寝るのだろうかと、今日もぼんやり考えている。

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