アスリートと凡人と、超越した何かと。

さて東京オリンピックが開催間近となりました。え、本当にやるのかって?
わたしゃ何も知らないし、今回ばかりは興味もないし、チケットは運良く全部外れたし、なんなら中止にするべきだと思ってるのを、先に断っておく。

オリンピック代表で一躍超有名サクセスストーリーになった、有名水泳選手がいる。
いや、本当にあのほっそい身体で戻ってきてくれた。とてもすごいと思う。

だが一方で、私は彼女の言動で、おもいっきり絶望させられてしまった。あまりの辛さにテレビを切ってしまい、途中までしか見られていないので、そこまでの話ということでご勘弁いただきたい。

彼女は白血病から見事に復帰した、超有名アスリートだ。彼女の声かけでドナー登録した人間も少なからずいるらしい。
でも、彼女がもし無名アスリートだとしたら、いやアスリートですらない水泳愛好者だとしたら、どれほどの人間がドナー登録したのだろう。
そして彼女がそのクソすぎる事実にいつ気がつくのだろう。まあ、一生気が付かない方がいいと思うし、気がついてほしいわけでもないからそっとしておく。

私は上記の中のどれに該当するか、無論水泳愛好者だろう。最近全然泳いでないけどさ。
私は何も持ってない普通の人間だった。
ことスポーツに関しては普通以下だ。

そういう人間は、そもそもアスリート的な努力する環境を探すこと自体難しい。選手育成コースはコーチの許可がまず降りず、その前に体力ももたない可能性すらある。
さらにいくら本人がやる気だろうと、家族が協力しなければ続けることすら難しい。
明らかに芽が出ない、と全力で感じてしまうものを応援するのって本当に至難の業だったりするので、皆さん想像して欲しい。

元水泳選手の私は、今日から田中理恵さんのような、体操選手目指します!応援よろしく!!と言ったら、誰もが止めるだろう。そんな感じだ。

そんなわけで、努力する土俵すら立つことができないまま、中学生になり、部活はイジメに遭い退部。仕方なく入った次の運動部は、肥溜めみたいな環境だったので割愛。そもそもイジメ後に入った部活の顧問は、私に会うこともなく入部を拒んだ。
私は黙ってコテンパンにされたら良かったのだろうか。自殺すればよかった?さすがにそうではないと信じたいが。

結局、私はスポーツを楽しむことなく、たいして応援もされることもなく(執拗なダメ出しと、しごきはあったけどさ)青春が終わった。色々もがいてみたけれど、30過ぎてもまだ猛烈に悔しい。汗かいてワイワイ部活。仲間との絆。やり切って引退。全部やってみたかった。
未だに切実に思うくらいなのだ。

でも某水泳選手は違う。
その肉体でもってアスリート街道を突っ走ってる。

彼女はスポンサーであろう化粧品会社のCMで、
「センターレーンは私のものだった」
と、静かな口調で語った。

水泳をやっていた者ならば、誰でも瞬時にその意味を理解するだろう。
それは、そのレースにおいてトップをとることが予想されるので、そこで泳ぐことができるという仕組みだからだ。
つまり彼女は、自ら選ばれし者だと語ったに等しい。と、私は思ってる。

何にせよ、日本の大会ではセンターレーンは彼女のものだったのだろう。
それが得られなくなった時、彼女に真っ黒な気持ちが襲い、練習に身が入らなかったらしい。

そうだよね。突然の病でどうしようもないし、きっと初めて挫折したんだもんね。
それがたとえ、類稀なる奇跡の回復だったとしても。

私なんて物心ついた時にはすでに挫折を経験したし(ピアノ教師からグループレッスン時に1人だけ無視。課題曲すらまともに弾けなくなったため、その後退会)華々しい成功体験はない。
けれど、真っ黒な気持ちになって練習に身が入らないことは、ない。そこまでの情熱がないんでしょ?と言われたらそれまでだけど。

凡人の方なら理解されると思うから、書く。
凡人は、そんなことで練習すら身が入らなかったら何もできない成せない。努力した事あるものならば、底辺は底辺なりに己の鍛錬の仕方を身につけている。トップアスリートのそれとは、なにもかも違うかもしれないが。

ただ己の身体能力向上に努めるのみ。上を見つめても始まらないから、自らの能力に見合った目標を定め練習あるのみ。これが凡人の真っ当な生き方だろう。そして運良く良い指導者にあたればかなり良い分類に入る。

彼女はきっと、己の身体能力と努力、それから経済状況によって最高の環境を手に入れた。
何度もいうが、スポーツ、特にジュニアスポーツの場合、凡人だと練習環境すら与えられない。
あとは経済状況がモノを言う。
どのような人間でも、経済的にゆとりがあれば環境を整えることはできるだろう。ジュニアの先は知らないが。

そんな至れり尽くせりなモノを持ちながら
「努力は裏切らない」などと言われても、全く響かないし虚しくなる。
むしろダルビッシュ選手の
「正しくない努力は平気で裏切る」
の方が、グッときた。
もう数え切れないくらい裏切られてきた。
それを必然だったと肯定してくれたのは、素直にありがたかった。

私が在籍したスポーツ界では、できない人というのは、すべて自分のせいにするべきとされ、実際にされた。
指導者が悪い場合も、そこに優秀な者が1人でもいれば、教え子が悪いと思い学習を怠るので、負の連鎖ばよえーんとなる。教えを乞う立場からしたら本当にどうしようもない。

ちょうどそんな事を吐き出していた頃、みんなが勝利を讃えた大坂なおみ選手がラケットを叩き割っていた。(少々タイムラグありますが、これ書いたのが、ひと月ほど前だったのでご了承ください)
さすがにヨネックスも苦言。
当たり前だよね、そんなこと。
恵まれた環境というのは大切なものも奪っていくらしい。(その後、彼女が鬱をわずらっていると知りました。治療に専念してほしい)

ただね、少なくとも大坂なおみ選手よ、我々の肉体と入れ替わったら、たとえ鬱だとしても健康だとしても、なんぼラケットあっても足りんで。
センターレーンも無論ない。
特別な自分もいなければ勝利の女神も一向に微笑まない。でも私たちは生きている。黙々とその肉体で人生をプレーする他ない。

こうして考えると、トップアスリートのメンタルって案外弱いのかもしれない。
我々一般人は、雑草のように踏まれに踏まれ、ガッチガチになった地面でもなんとか根を張り生きている。
高く伸びることもないし、美しい花が咲くわけでもないけど、我々は意外と強くたくましいのだろうと信じてみたい。

私としては、某水泳選手には、サラブレッドは血で走るを体現して欲しい。
内柴氏とかいう悲惨な例も見ているので、アスリートに内面の良さなど全く求めていない。
ただその圧倒的な強さを持って、最高の舞台で自分らしく戦って欲しい。それだけだ。
それだけで、民衆は熱くワクワクするものだ。スポーツってすごい。

私の尊敬する、井村雅代コーチはこう話された。(中日スポーツ 6月7日の記事より引用)

スポーツは実際にやる人だけではなく見て下さる方、応援して下さる方と感動を共有できることが素晴らしさなので観客は入ってほしいが、かなわなくても映像を通じて私たちのひたむきさ、人は人が一生懸命な姿に感動するし勇気づけられるので、そういうのは伝えられると思う」


本当に仰る通りだ。
また彼女の引き連れる日本チームは乾選手を筆頭に、ひたむきだろう。それ以外の言葉は要らない。彼女たちの練習を見ればそう思うだろう。そう慮って井村コーチも話されたに違いない。井村コーチの鋭すぎる視線の先には、アスリート然とした彼女たちがいる。

井村コーチはコーチだけでなく、アスリートを自分色に染め上げるアーティストでもあるのだろう。最後は井村コーチのこの言葉で締めさせていただく。
私はもう、前述した通り今年のオリンピックはやめて欲しいし、オリンピック自体もう興醒めなエゴイストなイベントだと思っているけど、彼女のこの言葉には深く同意し、活力を得た。
こういう人に、私はなりたい。

(東京スポーツ 6月7日の記事より引用)


「日本にはこんなに楽しい素敵なお祭りがあるんだよって表現したかったが、今は私自身の中での意味合いが変わってきた。コロナ禍でたくさんのお祭りが中止になっている。こんなお祭りがもう一度できる日が必ず来るから、頑張ろうというメッセージを送りたい。お祭りが日本中で再び開催される日が来ると信じているので、みんなこの場に戻ってきましょうっていうメッセージを送りたい」


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