担任の水谷先生
今でもたまに思い出す。
私が小学5、6年生だったときの担任の水谷先生。
とってもユーモアがあって、必要なことをしっかり教えてくれた。そして怒るとめちゃ怖い!笑
阪神タイガースの大ファンで、教室には阪神の旗やミニバットが飾られていた。
奥さんが洗濯物を畳まないからいつも取り込んだ山の中から使う物を探すらしく、みんなは将来洗濯物をたたむ奥さんを見つけなさい!なんて笑いながら言っていたのを思い出す。
学期末のお楽しみ大会では抽選の小さいガラガラやちょっとしたお菓子が入ったパーティーグッツなどをどこからか出してきてすごくワクワクした記憶がある。(今の時代だったら問題になるだろうなぁ…)
こんな楽しいグッツ先生はどこで見つけてくるのかと子供ながらにみんな思っていたけど、今ならドンキとか東急ハンズで売ってそうだなとすぐわかる。
ある日は漢字ができない私に挑発してきた。ムキになり次の漢字テストで満点を取った私に先生は、
「へへ〜ん!まんまと引っかかったね!これで君はやればできるのに今までやらなかったことを証明しちゃったね!」
と…!それから漢字のテストには気合が入った。
ある日は「うんこ製造器になるな」と言っていた。(これも今の時代なら問題になるかな…笑)
クソみたいな適当生活の時に思い出しては染みた。
「今まさに…」笑
先生がどんな意味で言ってたかわかってなかったけど「何か考えて感じられる生き方をしろ」ってことだと今の私は勝手に解釈してる!
こんなエピソード色々とよく覚えてるな、と思うけど水谷先生のおしゃべりはどれも面白かった。
その中でも特に印象に残ってることがひとつ。
『シンショーという言葉について』
小学生の私たちにとって悪口で使われていた、身体障害者の略。
小学生だしきっと何も考えずに使っていたし、私もそんな言葉を耳にしても特別に悪い言葉だとは思ってなかった。
そんな『シンショー』を聞いて、先生が激怒した。
言っていた人たちだけではなく、それを聞いて何も思わなかった私たちも全員怒られた。
先生がその言葉がどんな言葉なのかを教えてくれてみんな泣いたのを覚えてる。
言葉の重みなんて小学生にはわからないけど、今もこうして思い出すってことはすごく意味のある授業だった。
学年末には鶏肋集という私たちの1年間の作文集を実費で本にして配ってくれた。
気になる文には先生の解説コメント付き!(大人になってから読むとこのコメントもまた面白い…笑)
小学生のときは深く考えなかったけど、今思うとかなりのお金と労力がかかってる…!
勉強も大事だけど、それ以外も大事。
いろんなことを教えてくれる本当に粋な先生だったなぁ。
まだ先生してるのかな…?
あのとき30歳過ぎだったからもう50歳くらいか。
変わらず元気にしてるといいなぁ。
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