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北進論より南進論へ ~小笠原諸島紀行①

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物理的な旅が難しい今、腦內旅行に勤しんでゐる。腦內旅行の一環として、過去の旅の囘想を位置づける。旅は、囘想することで、違つた趣向で再び味はふことができる。そして、その最も效果的な囘想方法は、文章にしてみることであらう。そんな輕薄な思ひで書いてみたい。

今は昔。先々月のこと。都知事により、世に「不要不急の外出自粛要請」が出される前。私は樂天的に、出國しようと機會を窺つてゐた。といふのも、旣にビザを取得してゐたからである。

行先は、ロシア邊境の某州(と伏せておかう。深い意味はないが、暫く後に詳しく書いてみたい)。幸ひ、2月の段階では、ロシアの新型コロナウイルス感染者は、僅かに2名であつた。その後も暫く、この人數は變はらなかつた。ロシアの强權的隔離政策が功を奏したのかと、賞讚の念を覺えたのも事實である(しかし、5月5日の時點では、感染者數は15萬5千人を超え、世界有數の大感染地帶になつてゐる。事態の急展開には、ただただ驚くばかり)。

かうした狀況であつたから、當時ロシアへ行くこと自體で感染するといふ恐れはなかつた。寧ろ、日本人がロシアへ行くことで、嫌惡感を與へてしまふのではといふ恐れの方が强かつた。事態は、徐々に變化した。韓國で感染者が急增した結果、韓國ーロシアの便が運航停止となつた。更に、北海道で感染者が增え、非常事態宣言が出た。それを受けて、北海道經由の者のロシア入國が不可能となつた。これで、想定してゐた韓國あるいは北海道經由も使へなくなつた。

これでも、ロシアへの日本人の入國制限はなかつた。このことによつて迷ひが生じたのは事實だが、決斷は急がなければならない。海外旅行者の感染が問題視され出すのはもう少し後のことではあつたが、豫兆のやうなものはあつた。その結果、ロシア渡航は豫定日の10日前に諦めた。ビザを取得して入國を諦めたことは、人生初のことであつた。

それでは、どこに向かふべきか。日本國內で、できるだけ遠く、異國情緖が味はへ、自己の見聞を擴げてくれる所はどこか。更に、神道上の新しい知見を得られる所がいい。できれば、珍味も食べたい。さうして思ひ至つたのは、日本の領土としてはかなり特異な歷史を持つ小笠原諸島であつた。

旅の行先は、北進論より南進論へ、昭和前期の國策の大轉換のやうに、180度の急轉換を遂げた。因みに、國策の轉換を誘導した要因の一つはコミンテルンであつたが、私の場合、それに當たるものはコロナウイルスであつた。

船には、かなりの乘客がゐた。海外旅行を控へた人達が、流れ込んでゐるやうであつた。この時、それがまだ批判されてゐなかった上に、現地では訪問を歡迎されるぐらゐであつたが、今となつては離島への移動に自肅要請が出てゐる。事態の急變に驚くが、事態を常に把握する重要性を痛感する。

小笠原行きのフェリーである「おがさわら丸」では、乘船時に檢溫があり、マスクの配布があつた。船は11時に出發し、翌11時に父島に到着する。乘船時間は、24時間。出航してから3時間は、東京灣の風景を樂しむことができる。

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富士山と羽田を出入りする飛行機(この時期、飛行機はかなりの數發着してゐた)の組み合はせは想像もしなかつた光景であつた。但し、東京灣を拔けると後はただただ海ばかり。しかも、寒い。時々散步して、海を見て、それから長い船旅に備へて持つて來た大量の本を讀み漁らう。と思つてゐたら、日頃の寢不足がたたり、直ぐに眠つてしまつた。

目が覺めると、途轍もない搖れが續く。日沒前で、夕日を見る絕好の時間帶であつたが、少し步くと直ぐに氣分が惡くなる。私は乘り物醉ひは殆どないと思つてゐたが、船はとにかく搖れ、立つてゐると醉ふ。まあ、日沒は歸りの船でも見られるから、今は餘り動かない方がいい。さう思ひ、見事に日沒を逃す(後で聞いた話では、この日の日沒は最高に美しかつたらしい)。

夕食の時間になつた。食べ物を持參してゐないから、船の食堂で食べなければならない。食堂の閉店時間が迫る。どれだけ搖れてゐようが、何が起こらうが、食堂へ行かなければならない。足元をふらふらさせ、食堂へ行き、注文した食べ物をテーブルに運ぶ際には搖れでひつくり返しさうになりながら、食べた。私の隣の人は、船醉ひでテーブルに伏せてをり、同行者に介抱されてゐた。それを見て、更に醉ひが惡化した。食事を一口食べ、伏せて氣を落ち着かせ、また一口食べを繰り返した。相當な時間をかけたが、食事を殘すことだけは意地でもしなかつた。

10年以上前、タイの離島でダイビングをしてゐた時、船は暴風雨に遭ひ、左右に45度近く搖れ續けるといふ、人生最大の船醉ひを經驗した。そんな記憶がよみがへつて來た。しかし、夜は長い。小笠原や海洋關係の事前學習も兼ねて、讀書に沒頭したかつた。しかし、椅子で讀んでも、俯せで讀んでも、仰向けで讀んでも、とにかく氣持ちが惡い。長い乘船時間で、豫定してゐた十分の一程度しか讀めなかつた。もう寢るしかなかつた。

翌朝、早起きして朝日を見た。雲は多かつたが、360度海といふ場所で見る太陽は、やはり神々しい。氣分は格段に良くなつた。

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朝9時に聟島列島を眺めると、船旅の旅情を堪能する餘裕が生まれた。11時、父島着。この日は、12時發の母島行きフェリーに乘る。1時間の乘り換へ時間で、父島の中心的神社に大急ぎで參拜してきた(神社に關しては、後ほど述べたい)。

母島行きフェリーである「ははじま丸」に乘つた。この船は、「ホエールライナー」といふ別名を持つやうに、よく鯨に遭遇することで知られてゐる。そして、實際に何頭もの鯨に遭遇したのだが、このことも後で述べたい。船では、ガイドが鯨について解說してくれるだけでなく、鯨が出れば直ぐその場所を示してくれる。

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父島より、乘船時間は2時間。東京より父島まで、船で24時間。そこから更に2時間かけて、漸く母島に到着。

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嗚呼、母島が見える。

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