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ハチとトマ #1

青空は時に、僕の「生」を嘲笑うようで残酷だ。
洗濯物の間から顔を出す太陽を、僕はベッドに横たわってぼんやり見ていた。身体は腹に大きな鉛の玉を乗せられているかのように重い。無理矢理動かす気力もない。今の僕はただただ、布団の上で空を眺めることしかできない。
コップは水滴を垂らし、そこに水たまりを作っている。傍らに置かれた「うつ病」と書かれた診断書の角が濡れ始めている。
この無気力はきっと今に始まったことではなく、幼いころから感じてきた理想と現実のギャップ、自分の思い通りに進まない人生への苛立ちなどが積み重なって引き起こされたのだと思う。それがたまたま今、ぶわっと出てきただけに過ぎない。
そんな僕を、誰も分かってはくれない。
はぁ、とひとつ溜め息をつく。中学生の頃に通っていた塾の先生には「溜め息をつくと幸せが逃げるよ!」とよく注意されていた。ただ、溜め息や貧乏ゆすりは実は我慢しない方がストレスを溜めないと証明されているとテレビでやっていたので、僕はそちらを採用している。少し、「幸せ、逃げているな」と思いながらも。
でも、穴の中に籠っていた方が、心地いい時だってあるんだ。
そんなことをぼんやり考えていると、チャイムが鳴った。
「おう。今日も暑いね」
ハチはそう言いながらTシャツの襟をパタパタし、大きなビニール袋を机の上にドカンと置いた。
この男、ハチは僕の大学の同級生である。黒髪でやせ型、後ろ向きな性格の僕に対して、ハチは「ブリーチしないで行ける限界の金髪」。筋トレをしているので細マッチョ、そして晴天のようにカラッとした性格である。
そんな僕と絶対に相いれないであろうこの男は、病的にお人よしなのか、なんだかよく分からないが、部屋に引きこもりがちの僕の部屋を毎日訪ねてくるのだ。
「調子はどうだい」
「別に。ずっと布団で横になっているから、大して変わらないよ」
「ふーん、そうなんだ。ねぇ、ドイツ語の宿題写させて」
「お前もう二十歳だろ。大人だろ。そんな小学生みたいなことやってプライドとかないのかよ」
「プライドを捨てるより単位を捨てる方がつらい!」
まぁそんな堅苦しいこと言わずに、と、ハチは僕の本棚から夏休みの課題として出された、ドイツ語のドリルを抜き取った。
「トマってほんと字が綺麗だよね」
「褒めたからって僕がいい気になると思うなよ」
「違うよ。本当に綺麗だよ」
まじまじとドリルを見つめられると、まぁなんだ、悪い気はしないものである。
僕は今日初めて布団から身体を起こし、二人分の麦茶をコップに注いだ。

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