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ハチとトマ #2

弱肉強食という言葉を、僕は信じていない。
例えばライオンは百獣の王と言われているが、ライオンを北極に連れていけば、たちまち凍え死んでしまう。逆に、北極で一番強いのはホッキョクグマだが、そいつをサバンナに連れて行ったら、暑さでぐったりしてしまうだろう。
つまりこの世で一番強い者は、「どんな環境でも適応できる者」なんだと思う。
そんなことを考えながら、僕は今日も布団の上に横たわっていた。布団、それは、誰にでも適応可能な楽園。布団、それは、社会というサバンナに適応できなかった者の唯一の拠り所。
 僕は目まぐるしく変わる環境に耐えられない者だった。
 そして、いつもそうだ。なんだか僕が鳴きそうになると、あいつがやってくる。
「あれ、今日は一段と調子悪そうね」
 ハチはいつもと変わらない能天気な声をかけながら、僕に近づいた。ベッドに腰かけて、二リットルのコーラをラッパ飲みしている。
「……お前がうらやましいよ」
 何か返さなくては、と思って僕がひねり出した言葉は、図らずとも自分の敗北を認めてしまう言葉だった。
「あれれ、プライドだけは誰よりも高いトマさんらしくない言葉だな」
「うるせえ、今僕も喋った後で負けを認めてしまったと思ってるんだよ。そこには触れないでくれ」
「……なんか、あった?」
 そうなのだ。こういうやつなのだ。普段はふざけ倒しているくせに、こちらが本当に追い込まれていると、真剣な顔をしてこう聞いてくるんだよ。女の子からモテまくっているのもよく分かる。
「いや、たまにさ、やっぱり俺は落ちこぼれなのかなーって考えちゃうときがあるんだよね」
「日本の最高学府に通っているヤツがなにイヤミなこと言ってるんだよ」
「違う違う。そうじゃなくて、社会の落ちこぼれってことだよ」
 僕は自分で言って落ち込んだ。自分で自分を貶めようとしてしまうのは、僕の趣味であり、癖である。つらくなることは百も承知なのに、自分を貶めることで悲劇のヒロインを演じてしまうのである。
 さぁ、ハチよ。こんな僕を慰めてくれ。救ってくれ。太陽の下に僕を連れ出してくれないか。
「そうかい。トマは自分のことをそう思ってるんだ」
 そう言って、ハチは我関せずという雰囲気で机の上の炭酸ジュースを飲んだ。ハチのそっけない態度に、僕は思わず「え?」と言ってしまった。ハチはそんな僕に、呆れた顔でこう返した。
「自分で自分をいじめているうちは、救いようがないんだよ」
 僕は黙ってしまった。黙るしかなかった。僕が自分で自分に一番思っていて、そして他人からは決して言われたくない言葉を言われてしまったからだ。
「……なんて言葉を、トマは求めていないことは分かっているよ。でも、誰かからの励ましや承認だけがエネルギー源だと、あとで必ず立ち止まらざるを得ない日が来ると思うんだ。人はどうして他人からの承認を求めたがるのか。それは“承認されている自分”を手にすることができるからだ。つまり、承認されてないと、自分で自分を認めることができない。そんなのさ、他人に求めるって過程がひとつ、無駄なんだよ。さっさと自分で自分を認めちまった方がいい」
 ハチは僕の方を一瞥もせずに、炭酸ジュースを飲みながら淡々と話す。こんなハチを見たのは初めてだ。
「……ごめん。なんか、ごめん」
 僕はその場で俯くことしかできなかった。
「……って言っといてなんだけどさ、自分で自分のこと認めるなんてそんな難しいことできねぇよなぁ~」
 ハチはさっきとは打って変わって子どものような無邪気な笑顔をしながら、冷蔵庫にアイスを取りに行った。
 こういう奴なのだ、鉢屋泰輔という男は。

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