見出し画像

【旅行】初めてのお遍路 Part.3

お遍路シリーズ最終章です。

四国から帰ってきてから、色々と考察を巡らせ(たつもり)、少しお遍路文化について理解できたような気になっています。

それこそ過去には弘法大師・空海のお弟子さんにあたる方々の修行のための巡礼道だったものが、現世においてはどのような役割を果たしているのか、即ちなぜ人はOhenroするのか。を考えてみました。

仏教わかんなくてもいい

画像1

お遍路出発前に旅ネット四国様のサイトで勉強しようとしたら、こんな方にお遍路オススメ!が出てきました。

心を癒したい人 悟りを開きたい人 88の煩悩を消し去りたい人 自分を見つめ直したい人 今までの人生に懺悔したい人 生きる目標を見出したい人 これからの生き方を考えたい人 いろいろな供養をしたい人 水子供養をしたい人 人生に挫折した人 心を清めたい人 先祖供養をしたい人 仕事に行き詰まった人 生きる喜びを見出したい人 ストレス解消をしたい人 病気に打ち勝ちたい人 今の苦しみを取り除きたい人 いろいろな祈願をしたい人

当てはまらない人いますか。私は17個くらい当てはまります。

このように、お遍路は仏教徒の方のためだけの修行道ではなく、現代でも民衆の中に、極めて身近にあっていい存在であるとされているようです。誰でもYou're so welcomed to Ohenro!ということです。

個人的には私は全く仏教信者ではありません。むしろ母親が佐世保出身なもので、半分カトリックの教育を受けてきました(クリスマスというのは教会にミサに行く日であり、サンタさんとかプレゼントの存在をはぐらかされて育ちました)。それでも、行っていいのですお遍路に。

でも、参拝や巡礼のマナーだけしっかりしましょうね!ちゃんとできなくてもいい、ちゃんとしようとすればいいと思います。参拝方法について前回書きましたので、よかったら。

行ってみたければ、の話です。別に行きたくない人には一生関係のない場所です。だからでしょうか。四国霊場八十八ヶ所巡礼もまた『お大師さまに呼ばれた人しか周れない』と云われているそう。

内観の足音

私はヨガをするのですが(ライセンスまでとったのに半年に一回しかしない)、お遍路で山・森の中を歩く行為は、瞑想にかなり近いと感じました。

画像2

私の完全な偏見ですが、意識高い系のビジネス書にありそうな

瞑想と同じような効果をもたらすであろう高尚な趣味=散歩・釣り・登山・ソロキャン・家庭菜園・ガーデニング・自転車・クロスカントリー・水泳・ヨガ など

に、近い効果をお遍路はもたらしてくれるのだと思います。要は、

・第二者(and more)との会話がなくなる時間
・著しい肉体的負荷
・五感が自然を認識している状態

これらを同時に体験し、且つ解放された時に瞑想状態に突入するのではないかと考えました。

ちなみにヨガでは、一定時間 肉体的な負荷をかけた後にシャバーサナという屍のポーズで全身の力を抜いていきます。一般的にヨガと呼ばれるアーサナ(ポーズの連続)とは、より良い瞑想状態に入るための準備運動に過ぎないと認識しています。

更に、寺によっては解放後にえぐい達成感を与えてくるところもあります。

画像3

山道を歩いていると下半身の筋肉が悲鳴を上げ、更に空気が薄いのか単に体力がないからなのか息が上がってしまいます。その時に思考は、普段ぐるぐると途方もなく考えまくっている、くだらない悩みや小さな不安の粒などが微塵もなく、

暑い(寒い)しんどい脚痛いどっか座りたい喉乾いたここどこだよ

だけの状態になります。これが、大切なんだと思います。その状態で寺にたどり着き、建物の造形の美しさに頭を垂れ 背中に伝う汗を感じながら本堂に手を合わせる訳です。ほら涅槃。

鳥の鳴き声しか聴こえない。

スーパースター空海

日本に根付くお大師信仰について、他のお寺をあまり知らないので多くは語りませんが、四国八十八か所にはほぼ全て(全部だったらごめんなさい)弘法大師像があります。

画像4

各所に書かれた同行二人というのも、自分と、お大師さまということなんだそう。たとえ一人で巡礼の旅をしていても、常に弘法大師がついてるぜ!ってところでしょうか。

日本に密教を持ち帰り、真言宗の開祖である空海はもちろん初めからスーパースターだったわけではなくて。帰国後に彼の出会った人やとった行動によって、民衆に慕われていったのではないかと思います。

画像7

あまりの人望と字の上手さとカリスマ性によって、とにかくすごい人になった。

どれくらいすごいかというと、1200年経って、まだ高野山で我々民衆のために毎日祈りを捧げるほどすごい。普通にすごい。1200年経って、考えられない数の寺に自身の石像があり人が信仰の対象としている、実在の人物。すごいまじすごい。

画像5

そんなことを、寺まで歩きながら考えるわけです。

いろんな人が人間関係に悩んでいるかもしれません。悩んではなくても、他者に対して憧れたり、羨んだり。好きすぎて、憎らしくなったり。私も、歩きながら考えました。

どんなにすごいあの人も、空海よりはすごくない。

どんなに可哀想なあの人(私)も、ファンティーヌよりはまだマシ。

酸素が薄くなり息を上げて歩きながらもそんなことが考えられるほどには、人間の脳は忙しい臓器なんだと思います。

まとめられない

1000年を超える歴史を有する巡礼を基礎とした文化であるとして、世界遺産認定を希望しているお遍路ですが、なかなか苦戦しているようです。

だって、バリアフリーの概念があんまりない。車椅子の人・足腰弱い人・ベビーカーの人とか、万人がそんな気軽には行けない。

でも個人的に、バリアフリーにするために美しい階段を壊すくらいなら、今のままでいてほしいとも思いました。

画像6

大量に発生する苔までもが、作品の一部。

単純な感想として、山の中の寺の方が圧倒的に古くて静かで荘厳な気がして、なぜだと思って調べると

戦国時代の長宗我部元親による四国平定の戦(1578年頃より)から豊臣秀吉軍による四国攻め(1585年)までの一連の戦で、阿波の札所16箇寺、伊予の札所8箇寺、讃岐の札所14箇寺が壊滅的な影響を受けたことが伝えられ、それから、数十年後に訪れた澄禅が承応2年(1653年)に巡拝した記録『四國辺路日記』に、徳島の数箇所において、復興が遅れ「礎のみ残り」「小さな草堂」と表現される寺院でも札所であることから、戦国時代以前から札所として選ばれていたと思われる。

ということなので、徳島・愛媛・香川の、おそらく山というよりはほとんど街中にあったお寺が被害を受けたようで、もうこれに関しては も〜・・秀吉もぉ〜 と、残念で仕方ないわけです。

とはいえ、建屋は老朽化も進むし場所によっては地震対策工事が必要になったり、変革というのは自ずと訪れるものなのでしょう。

画像12

お遍路人口から見ても、日本人のお遍路さんは減少、外国人の歩き・自転車遍路は増加し続けているようです。寺、Wi-fiある。

画像11

仏教に信仰の中心を置いている人ではなくても、現代では内観・癒しの旅として、お遍路を選択する人も今後増えてくる気がします。

画像9

感染対策もバッチリ。

どこにいても、いいんですけどね。本当は。

どこにいたって同行二人なのだろうし、だって本堂まで行けないなら山門まででもいいし、山門まで行けないなら駐車場まで、四国まで、日本まで、てゆーか地球にいればよくね?て思うけど(お家で写経巡拝という画期的なものまで)、

行かないと感じられないものというのは、明らかに存在しました。

たとえば参道を歩いていると、お地蔵さんだと思って見たら『いつのだ』という墓石を見つけることが多々あります。まじで文化何年とか彫ってあるのです。俗名とか彫ってあるのです。その人の本当の名前はもうたぶん誰も知らないけど、それが何なんでしょう。令和の世で確実に私はその人がそこで弔われた事実を認識しました。

画像10

こんなところで、お遍路noteを終了したいと思います。長いことおつきあいいただき、ありがとうございました。

ちなみに恐ろしいことにお遍路には四国別格二十霊場など、別シーズンが何通りも用意されており、奥が深すぎて引いています。今後の人生の中で、もしかしたらまたお邪魔することがあるかもしれません。

くゎっ!

画像12


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?