9日間自分発見の旅、4健康の感情について書こう

4日目は「感情の健康」について思いつくものを書くワークです。

たくさんの悲しい人や出来事に遭遇しましたが、最もつらかった3回はすべて子供や生活に関連しています。

2002年、私は米国コンサルティングファームでようやく達成感をつかめた3年目に、頻繁に出張が必要でした。その時に妊娠していました。4ヶ月目に突然出血し、慌てて病院に行き、検査をした結果、医者から私が「稽留流産」と告げられ、胎児がすでにお腹の中で亡くなったと告げられました。

その時、私は自分の世界が崩壊したと感じ、すぐに手術が必要で車椅子に乗せられて病室に運ばれ、この事実を受け入れることができませんでした。手術後、自宅療養の1週間、昼も夜泣き続け、目が覚めたら泣き、泣き疲れて寝る、ベットから起きれませんでした。

「なんて自分がこんなに運が悪いのか?」そして、仕事に全力疾走するあまりに、胎児の命を絶つことにすら気づかなかった自分を責めていました。死を最も身近に感じる一週間が一生のように長く感じました。

その後、中国四川の実家に戻り、4ヶ月間病気療養で滞在し、その後現在の企業グループにお声がけされ、転職し、環境を変えてリセット、再スタートしました。

2007年、私は娘を産み、北京に1年半滞在した後、日本に戻って仕事に復帰しました。何もできず、上司の名前さえ覚えていませんでした。「自分が馬鹿」になった感じで日々辛い日がすごし、当然、仕事の評価が下がり、元々どの国の支店に行って、歓迎される輝くグローバルブランディング戦略プランナーが、約3年間の妊娠、出産と育児休暇を経て、一転して、日本での生活も仕事も、何もかも分からない、娘と家族以外、「役立たず」と言われる人間になってしまいました。

記憶力と意識が飛んでいくこともしばしば起こり、自転車で買い物に出かけたら、車にぶつかりそうになったこともありました。時短勤務で、人より遅く出社し、バリバリ営業パーソンで仲いい同僚のディスクを通るとき、「おはよう」と言えなくなったし、人より早く4時退社したとき、こっそり抜け出して、「お先に失礼します。」と言えませんでした。

外資系コンサルファームをなぜ日本大企業の契約社員に転職し、そしてまたがむしゃらに頑張った三年目に妊娠して、出産、育休を経て、またグループ関連会社に紹介され、契約社員でた。その時、私はすでに37歳で、子供は2歳で、まったく異なる仕事をまた一からリセット、再スタートしました。

2022年、私は再び職場の移動に直面しました。しかも、業界の頂点に上ったかに見える数多くの実績と賞を取り、みんなが憧れる成功を手にした私が11年間奮闘した北京を離れ、日本に戻り、また全然違う仕事をゼロから始めました。

よく人に「娘が長女、次男は会社」というほど、中国の会社を自分の子供のように少しずつ育てました。お客さん、社員、パートナーに対し、心を込めて、身心とも投入して、お付き合いさせていただきました。最初からは5年~7年で次期社長を育てると言い、ちょうど7年目に次期社長も育てました。

これまで苦労して作った成果、高給、ドライバー付き車、高級マンションなどを放棄するのに迷いはなかったですが、同居する義理の両親、娘、主人、動揺する家族まで巻き込んでしまった自分のわがままをしばらく責め続けました。それでも、十何年暮らしていた日本なら、大丈夫だろうと安易に思っていたら、コロナで大きく変化した日本の生活に適応できなくなった自分がいました。それでも、一からリセット、再スタートしました。

娘が日本語できないのに、半年で日本語で高校受験しないといけないし、更年期と思春期のぶつかり合いもあり。娘が受験などの緊張で偏頭痛がよく起こり、私も偏頭痛と便秘の繰り返しが続きました。

11年日本語をビジネスで使っていなかったので、メールを書くのに2日間もかかり、何をどうしたらいいか、さっぱり分からない中、「大変だね」、「かわいそう」と言われたくなかったので、「きっと、また昔のようにやり直せる」と信じていました。

しかし、「体がついてこれなくなった」ことに気づかされたのは来日半年後でした。帽子で出かけたのに、帰ってきたころに帽子がなくなり、傘もそうだった、ガスの火を消し忘れたことが何度あっただろう。朝起きたら、前の晩に鍵を閉め忘れたことに気づき、ドッキとしたこと1,2度だけでなかったです。

先輩のお勧めで、脳ドックを受け、脳神経クリニックで検査を受けました。脳には問題ないが、自律神経失調症、「言語障害の課題」、「適応障害」などなど、色々自分と無縁と思っていた言葉が並んでいました。

「耐えられない」、「何もかも捨てて、無人島に逃げたい」、何度思ったことか、娘には見せたくないけど、やはり一緒に暮らす娘が敏感に感じ取れていました。

色んな本を読み、自律神経失調症に効く音楽を聴き、オンラインで親とつなげ、瞑想音楽を聴きながら、早寝、食事、睡眠、運動、環境改善、あるとあらゆる方法を試して、娘の高校受験とも重なる時期に、最初1か月、その後3か月、休職をしました。親子ともに、一番つらい3か月でした。

その間、三食自炊、毎日歩き、「脳と神経と腸」に関する生活研究をし、中国語と日本語で、様々なSNSで大量に投稿していました。自己表現というより、「言語障害」を克服するために、元々表現する楽しさを取り戻したいからです。

特に、娘の都立国際受験に、親子協力して、1か月で30個の論文を書き、運よく合格した奇跡を作りました。面接の先生からも「半年しか日本語を勉強していなかったの?」とびっくりされたほど、短期集中で成果を出したことに、改めて、在京外国人として来日1年目、親子ともに、大きいな自信につながりました。

当然、つらいことがまだまだあります。苦しみに直面するたび、私はまず自覚を選び、自分が不快に感じる環境から逃れ、一定の距離を保ち、そして自分が本当に何を望んでいるのかを観察します。私は何度も自分を受け入れ、距離を保ち、正向きに調整します。なぜなら、私は人生の幸せは自分の選択にあると知っているからです。

2022年、日本に来ることを決定した4月に、私は中国の経済コラムでエッセーを書きました。「もし命があと181日しかなかったら、あなたが何をしますか?」死に向かって生きる、今を大切にする。これは私の生活に対する思考であり、自分自身に対する期待でもあります。

また困難に遭遇するかもしれませんが、昔ほど、体力がないが、生活を選び、心のままに生く知恵が増えました。なぜなら、これは私の人生であり、環境を変えてリセット、再スタートすることは、挑戦であり、楽しみでもあります。 

【Work4】
あなたにとって、健康な感情とはなんでしょうか?
すべてポジティブ人生なんてありえない、苦しくても、自分をありのままに受け入れ、愛することができますか?
あなたが嬉しさも辛さも共有できるパートナーがいますか?

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