田中泯さんの『名付けようのない踊り』を見ながら、自我とアートについて考えたこと(その3:ダンスと空間)
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一つ前の話はこちら(アート オブ コミュニケーション)
私は実際に生で田中泯さんの踊りを見たことがないので、映画で映像を見ても、現場の空気を想像することしかできないのですけれど。
”映像では映らない。現場の踊りと映像は別のもの。”
っていうのはとてもよくわかる。だから、きっと映画や映像を見ただけでは、田中さんの本当の踊りは体験できない。
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40代になってから、ひょんなことからフラを始めたのですけれど、それまであまり踊りを見ることに興味はなかったのですが、じっくりとステージで人の踊りを観察することに。
自分が習い始めると、他の人がステージで踊っているのを見ても、その違いが如実にわかるようになりました(あくまでも私尺度ですけど^^;)。私が、わ〜違うなぁって思うのは、空気を動かす人と動かせない人の違い。
どんなに綺麗に同じ動きをしていたり、スタイルや表情がどんなに美しくても、空気を動かす人と動かせない人に分かれるように見える。空気を動かす人の動きには作為性がなく、振り付けだから手を伸ばしているのではなく、まとっている空気ごと、自然にただ手がそこに行くべくして動いている感じがする。空間が一緒に動いているというか。それに対して、空気を動かせない人の踊りは、その人の体(境界線の中)にだけ動きがある感じ。周りの空間が一緒に動いておらず、体が空間を横切っていくので、ちょっとした不調和がみえる。
そして、私が幸運にも教えていただいている世界的なフラダンサーであるMahealani Mika先生となると、まとっている周りの空気だけじゃなくて、大きな会場全体の空気の色が変わり、どんなに離れていてもこっちまでダイレクトに何かが届いて、頭では涙が出る理由が理解できないままに、ただただ涙が出ちゃう。
多分、これを実際の現場で感じるのと映像とでは全然その質も違うし、空気の色や質が変わったところまで映像では伝わらないと思うのですよね。
この空気を動かす・動かさないだったり、空気感が変わる・変わらないだったり、何かがダイレクトに伝わってくる・こないの如実な差を見たときに、これは単なる練習によって習得するやつじゃないな、と瞬時にわかりまして。根本的に体のエネルギーの通し方が違うので、それを習得しないままに踊りの動きを一生懸命トレーニング的に練習すればするほど、かえって空気を動かすことはできなくなる感じがする(私が子供の時から習っていたピアノで陥った穴のように、、、またこの話は後日書きたい)。
そこで門を叩いたのがアレクサンダー・テクニーク。音楽をやっている人は結構馴染みがあると思うのですが、一言で言うと、体の本来の可能性を引き出すためのコンディショニング的な何か(いやもっと色々ありそうだけど、とりあえず)。数十年前にフルートの先生がその効果を実感して勧めてくれて、私も本を読んだりセッションを受けたんだけど、当時はワケワカメだったやつ(笑)。
改めてダンスを得意とするアレクサンダー・テクニークの先生のレッスンを受けましたら、これがすごくてですね。一度受けただけで、力みが8割取れて、筋肉痛とは永遠にサヨウナラ(フラは見た目と違って、スポーツ並みに膝や腰やあちこち故障する人がいるぐらい実はハード)、そして到底できそうになかったバックベンドが軽々できるようになってしまったという脅威のレッスン。これはアレクサンダー・テクニークどうこうというより、先生の技術だと思うんですよね。。。興味のある方はこちら。
その効果が凄すぎたので、その後もフラやピアノで出来ないことがあるたびに、幸子先生〜助けて〜とレッスンに行っていたのですが、そこであるとき、この空間を伝わってやってくる「何か」で涙が出る話について質問をしました。何をどうやって出しているんだろう?
「何かを出すんじゃないのよ。空間を共有して繋がるだけなの。」
空間を共有して繋がる・・・。思い出すのはキャリアカウンセラーの試験官のあの空気感。そしてNVCのトレーニングでも、空間を共有するトレーニングをやったことはやった(いろんな練習の中でも私が最も不得意だったやつ!)。
幸子先生からも、NVCのトレーニングで教えられたのと似たような方法のエクササイズを教えてもらい、ワタシ苦手なんですけど〜と思いながらも、もう一人の生徒の方とペアでやってみまして。空間を共有しないバージョンと、共有したバージョンでそれぞれ会話をするのですが、共有された時には何でもない相手の言葉から伝わってくるものが温かすぎて、思わず涙(空間に入ったときに受け取る能力の方はある)。側から見てたら催眠か!?って感じなんですけど、本当に。
私のこれまでの観察&いろんなボディーワークから学んだことを総合すると、ダンサー(に限らないけど)から伝わってくる「何か」の大きさと質には、幾つかの違う要素が関わっていると思う(全くの仮説の状態なんだけど)。まず第1に、アウターマッスルじゃなくてインナーマッスルが使えていて体のエネルギーの流れがスムーズな人は、体の周りの空気・空間とぶつからずに空気を動かせるっていうこと。第2に、空間を共有できる範囲が大きい人は、会場の空気を変えられるということ(声の大きい人が多い気がする・・・多分普段から自分の意識の影響の届く範囲が大きいのではないかしら)。第3に、伝わるものの質の深さ(涙が出ちゃうとか、揺さぶられるとか)は、やっぱり「ワタシ」のレイヤーより深いところのどこに意識があるかということで決まるんじゃないかしらということ。
田中泯さんの踊りは、映像でだけで感じるところで言うと、1番目のエネルギーの通り方とかは、体のその瞬間瞬間の蠢きを忠実にそのまま表現している感じなので、正直なところよくわからない。2番目の共有空間の大きさは、映像を通してもわかる存在感、っていう形で出ていると思う。3番目は確実に深いレイヤーにアクセスしている感じなので、その場にいたらすごいんじゃないかと思う。ここのところがね、生でみないときっと体験できないところなんじゃないかなぁ。
驚くことに、まだ続く・・・
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