見出し画像

ゆめの終わりに。

自分が4年間目指してきたものが、ついに終わった。
それも、自分が思い描いていた結果ではなかった。

それはまるでぷつんと切れるようだった。
あまりにあっけない終わり方で、実感もいまだにそんなにない。
(実感を持つと苦しいから、実感を持たないように自分が動いているのかもしれない。)
長い長いOFFにいるような感覚だ。

それでも、というか、だから、というか、自分が想像していたよりは落ち込まなかった。
そんな自分に驚いた。
悔いがないように過ごしてきたつもりではあったけれど、まったく悔いがない、と言ったら嘘になる。
もっとこんな風に動けばよかった、声を上げればよかった、と思うことはいくつもある。

それでも、悔いがあるならじゃあやり切れていないかというと、そんなことはない。
もう十分やりきった、という想いもあるし、そのほかさまざまなことが渦巻いているのが
ゆめが終わって3週間経った、現在のわたしのいるところで
せっかくなので、いま考えていることや、4年間で考えたことなどを書き留めておきたいな、と思う。

4年間楽しかったか、と聞かれると、わたしはいまは素直に頷くことはできない。
正直いろいろあった。
一言で言うなら、苦しかったなあ、がぴったりかもしれない。
でもその苦しさも、終わりを迎えたいまは少し整理ができている気がする。

終わってみて初めて、見えたものがあった。
4年間追い求めた結果は手に入らなかったけれど、4年間探していた答えがうっすらと見えている。
そうだ、苦しかった、という苦い想い出だけではなくて、終わりを迎えたからこそ感じられたことがたしかにここにあって
それを感じられている〈いま〉がなんとなく幸せだなあと思ったりもするのだ。

苦しかったけれど幸せだったなあ、がいちばんぴったりなのかもしれない。

大学スポーツという現場にスタッフという形でかかわり、追い求めていたもの・さがしていたもの・見つけたもの。
そして、これから大学スポーツという舞台から少し離れて見えてくるだろうもの。

そのようなものたちをここに大切に残しておきたいなと想う。


楓 ( *ˊᵕˋ)✩︎‧₊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?