コワーキングスペースで働きながらこれまた居場所について考えてみる
【居場所】最近のテーマである。【居場所】について書きたいnoteのテーマが実は3個くらいある。毎朝これらのテーマたちに実は話しかけている。
今日noteに登場してみる?って。
三者三様な反応をされる。「俺はまだ煮詰まっていない」と腕組みして難しい顔して動かない人。「まだ恥ずかしいよぉ~」って赤面して隠れちゃう恥ずかしがり屋さん。「…Zzz」と我、関せずで寝てる人。
まだ違うらしいので、いったん彼らはおいて、今日の出来事を書こうとした。コワーキングスペース初体験中なのだ。そして、にやっとした。
これもまた居場所の話やん。気づかなった四人目居場所くんの物語だった。
家で仕事ができないのは家が居場所として居心地よく感じられないから
「家で仕事ができません。なのでオフィスに行きます。」
ここ半年くらいずっとそう言って、オフィスに行き続けている。チームで仕事をしてはいるもののチームメンバーは誰一人オフィスにおらず皆リモートなのにもかかわらず、だ。
ただ私にとっての「仕事ができません。」は単純に仕事という意味だけではない。家だとベッドやらゲームやらスマホやらの誘惑が強すぎて仕事にならない瞬間も一応ある。
ただそれ以上に家だと、食欲が抑えきれないのだ。無限に冷蔵庫やパントリーにあるものを食べたくなってしまう。顎や胃が疲れるまで無限に詰め込んでしまうくらい私の食欲はこの半年バグっている。
食欲についてはまたいつか書くとして、そんな感じの状況にあるので、食べ物から物理的に距離を取るためにも私はオフィスへ行く。そちらの方が食べ過ぎたああと悩んだり、食べたい…という衝動から離れられて、精神衛生上良いからだ。
だがしかし、問題もある。通勤時間が発生する。1時間強の通勤時間が発生するのだが、東京のどまんなかを走るオレンジ色の電車にながーく乗っていたり、物理的に限界が来るまで詰め込まれ人が乗り切れない地下鉄に乗ったりしながら会社へ向かう。
ラッシュを避けるために早朝に行く選択肢もなくはないが、いずれにせよ早起きが発生するので、早く行こうが満員電車に乗ろうが、つく頃にはへばっている。
そしてこれが帰り道にも発生する。往復約2.5時間。起きている時間の15%くらいを【超絶不快】の中で過ごしていることになる。
しんどすぎるので一人暮らしも考えてはいるが、微妙に利便性のいい場所に住んでいるし、家族が掃除してくれるし、家賃かからないし、とずるずる親元にい続けている。
ワークライフバランスを整える、コワーキングスペースという選択肢
這うようにオフィスに行き、ぐったりとオフィスから帰る毎日を続けてきたが、ワークライフバランスのためにはもはや限界を感じ始めていた。仕事の前後でコーチングがしたい、ランニングもしたい。そうなると2時間超の通勤時間は邪魔だ。
だが家にいるわけにはいかない。家は私にとって快適な居場所ではない。遠い快適な居場所=オフィスに行くか、近場の危ない居場所=家にいるか。そんな2択をずっと取り続けていたがふと気が付いた。
コワーキングスペースに行けばいいんじゃないか?
以前も検討はしていた。しかし高いなと思ってやめていた。平日毎日いけるプランを選択すると月に1-2万円かかってしまう。オフィスだったらタダなのに。
そう思ってけちってやめていた。それは私がコワーキングスペースをオフィスと家という”場所の価格”で比較していたから。
でも気が付いてしまった。比較すべきは”場所”の価値だけではなかった。【ワークライフバランス】全体で比較した時、見方に転換が生まれた。
今の私が大事にしたいことは、「コーチングをする時間」であったり「時間を分かち合いたい人との関係性」だったり、「ランニングをする時間」だ。場所に対しては重要視していない。
居場所としての場所を求めていた私が場所を手放した結果、場所に縛られない居場所が心地よくなった
半年前の私は、居場所としての場所を心から強く願っていた。自分だけの場所・空間・部屋を作りたい、そう思い一人暮らしをしたいと憧れていた。しかし親の反対や金銭的に踏ん切りがつかなかったから先送りにしてきた。
半年先送りにした今感じるのは、もはや居場所としての場所に意味を見出さなくなっている自分。今の自分にとって心理的安全性を感じるための場所はいらなくなってしまった。
どこにいるか?よりも誰といたいか?をこの半年重視してきたようにも感じるし、最近居場所について考えている中でも私の居場所は固定された場所ではないと言っている。(空飛ぶいそぎんちゃくもその一つ)
むしろ好きな時に好きな場所に行けて好きなようにできること、それこそが今私が心地よく感じている居場所だった。そういう意味でこのコワーキングスペースはとても心地がいい。ヤドカリみたいに動いていける居場所、それが心地よいのだ。
私だけのための場所ではないけれど、私がいていい場所という縛られない居場所の快適さ
今日わたしがいる場所は、私の場所ではない。ほかのだれかの場所でもない。でも今私はここにいて、仕事ができる。その必要最低限さが自分にとても心地よいのだ。
家だと自分のものや家族のものに囲まれる。自分に囲まれすぎて、自分の時間にも空間にも無頓着になっていく。
でも外ではあるけれど、でも自分がここでとどまっていていい=お金を払っている場所はあいまいさがいい。落ち着いて仕事もできるし、余計なことも気にならずに済む。いつも以上にクリエイティブにもなれる感じがある。
カフェだと得られない感覚だなと思う。
カフェはみんなのための場所だ。仕事をしてもいいかもしれないけれど、お話をする人もいれば、コーヒーを飲むために来ている人もいて、自分がずっとそこにいていい保証はない。
混んでいたらいくら飲み物を買ったからといってそこにい続けていい証明にはならない。カフェで支払うお金の対価は飲み物だから。場所はおまけのようなものだから。
コワーキングスペースは誰のための場所でもないものにお金を払い、自分が今そこにいていい対価を得ている。この潔さが心地よい。
場所に縛られない居場所、まさしく今私が欲しいもの
コワーキングスペースの価値を何と比べるのか?でこの月額1-2万円を高いと感じるか、安いと感じるかは変わるだろう。
無料で使える親元やオフィスと比べた場所の価値で言えば高いかもしれない。
カフェでの居場所と比べると、カフェのほうが安いかもしれないけれど自分がい続けていい安心感は得られない。
自分一人のための居場所として独り暮らしをした場合、比べられないほどの家賃と家事の負担が増える。
と思うと意外とありかもと思うのだ。集中できて綺麗で居心地の良いこの場所が、一時的な居場所だとしても逆に一時性が縛られなくて心地よいとも思うのだ。
もう少しだけ価格は安くしてほしいけれど。
いつもサポートありがとうございます!自分のスキを探しに、本の世界やカメラの世界などなどへの旅費にしてまたnoteに記録します。これからもよろしくお願いします!