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幸せになることが怖いことに向き合うと一人ぼっちの寂しさを思い出した

幸せになってはいけない、なぜかそう信じている自分がいる。そんな呪いのような思い込みがあることに気がついて1ヶ月。

何でその想いがあるのかに向き合ってしまったら自分がバラバラになってしまう気がして、避けてきたけれど覚悟を持って覗いてみることにした。

幸せになってはならない、そんな似た感情を持っている人に向けて、そしてこれからこの気持ちと向き合っていく自分の記録として残していきたい

こんな人に向けて書いてます
・幸せになることが怖い人
・目標を達成するとその次どうしたらいいのかわからなくなる人
・自分がやりたいことが見えなくなっている人
・コーチングの中での変容を知ってみたい人
(まだ第1回なので今後どうなっていくか、これらの方々に何かメッセージになるかは今後にご期待ください)
この記事の立て付け
The Coach Academyのプロコースの受講の中で、ガチコーチングというプログラムがあります。一緒に学ぶコーチから隔週でコーチングを5か月に渡って受けていく。その過程での変化や気づきを記録しています。私のコーチはりーちゃん。私たちのセッションをぜひご覧ください!
ガチコーチングを通して掲げているテーマは、真に自分がなりたい自分を見つけていく。今回はその1回目です。

幸せになってしまったら満足してそれ以上の歩みができなくなりそうな感覚がある


何で幸せになってはならないと思うのか?という問いに対する答えは、それ以上の成長が無くなると思うから。幸せな自分は、自分自身に満足している状態だと感じる。だからもっともっとと上を目指せなくなることに漠然と怖さを感じる。

もちろん頭では理解している。幸せになったからと言ってそれで終わりにせずに別の目標を立てたり、違うことを始めたりすることだってある。

だけど先が見えない時に終わりにしてしまうことが怖いと躊躇してしまうのだ。

思えば色々と"終わらせないように"努力してきたことがあった。お気に入りのゲームや本は終わりが迫るとわざと先延ばしにしていた。

次の目標や競い合う相手がいなくなることが怖いので、常に何かに向かい合っている状態にしたい


終わりにするかしないかだけではないなと思った。それは周りから競い合う人がいなくなることも恐れているなと気がついた。

集団から抜け出して、周りに競う人がいなくなったことに気がついた時、これ以上頑張るモチベーションがなくなってしまったと抜け殻のようになってしまう感覚があった。

誰かと競っていないと頑張れない、そんな感覚。

だから常に自分が集団の中の上の下あたりになることを望んでいた。上の上になって、周りにライバルがいなくなると燃え尽きてしまいそうで、集団の上の方にいたいと思っている自分がいた。

常に自分の改善点を抱えて生きていたい…そんな思いから優れた人に囲まれた環境でハングリー精神を持って生きていたいと思っている。


ライバルでずっと横にいた幼馴染がいなくなった喪失感をずっと抱え続けて生きてきた


生まれてから小学生の時まで私の横には常に"あの子"がいた。生まれた時からずっと一緒で習い事も一緒。まさしく双子の姉妹のように育ってきた"あの子"。

いつも一緒に遊んでいて、仲良しで、大好きで。でもどこかで負けたくない気持ちを抱いていた。勝ったり負けたりを繰り返して高め合って育ってきた。

でも小学生になった頃、"あの子"は私の横にはいなくなってしまった。小学校が別になり、別々の習い事も始めた。その時に抱いた力の拮抗したライバルがいなくなって1人になってしまった喪失感

それが自分が終わりや集団から抜けたくなくて逃げている感情の一部だなと感じた。"あの子"がいなくなって感じた強い喪失感をもう味わわないために、ずっと同じ環境にい続けたいと願っている。

夕暮れの田舎の一本道の向こう側にこっちを向いて立っている"あの子"がいる


"あの子"の存在が自分の中に大きくあることに気がついた時、"あの子"が一本道の遠い向こう側に1人立っている様子が思い浮かんだ。

夕暮れ時で逆光の中、こっちを向いて1人ぽつんと立っている"あの子"。表情は全く見えないけれど、姿はくっきりと見えている。


この道の向こうに"あの子"がいる


そして、自分が何かを終わらせたり、満足したりするくらい前進すればするほど、"あの子"との距離は開いていってしまう、そんな気がした。

だから"あの子"との距離を広げないために前には進みたくないと思った。"あの子"を一人ぼっちにしたくないと感じていた。

姿が見えていて気になってしまう"あの子"を消したいか?という気持ちは不思議と湧いてこなかった。おかえりと言って自分の中に迎えてあげたいと思った。

まるでゲド戦記の主人公アレンとその影の関係性みたいだなと思った。"あの子"は背格好も髪型と私とおんなじだった。


"あの子"を自分の中に迎えて入れてあげたいと思ったけれど、今"あの子"はどんな表情なのかがわからなかった。泣いているのか、怒っているのか、憎んでいるのか、それとも笑っているのか。

だから接し方がわからなかった。どうやって話しかけたらいいのかがわからない。何で声をかけてあげたらいいのかがわからない。

"あの子"が逆光の中にいるから表情がわからなくて困る。そして距離が遠いことも困る。でもどうしたら、逆光を回避したり、近寄ったりできるのかもわからない。

わからないことだらけだけど、何となく感じるのは自分が何かを極めれば極めるほど"あの子"が遠くなってしまいそうで、とことんやりきって"あの子"をひとりぼっちにすることが怖かった。

どうしたら状況が変わるかがわからないのであれば、やり切ってみるのも手なのかもしれない


どうしたらいいのだろう?自問自答しても全然答えは見えてこなかった。距離を詰めたくても顔を見たくても全然状況が変わらない。


そんな悶々とした悩みを抱え込んだ時、ふと内なるまーさんの声と顔が浮かんできた。

「楓さんさぁ、一回満足するまでやり切っちゃえばいいんじゃない?うん、そうしたらいいと思うよ。」

やたらとリアルな質感溢れるまーさんだった。コーチングを受けさせてもらった時と同じように私を信じて向き合っているまーさんの強さと優しさと温かさを感じた。

そしてその後ろでこっちゃんが『てきとーでいいのよー!』って大きく足を上げて適当にチアダンスを踊っている様子までありありと浮かんできて、思わず笑みがこぼれた。

ああ、そっか。自分が今願っているのは、とにかくやり切ってやり抜いて全力で走り切って。その結果本当に”あの子”が遠くなってしまうのかどうかを知りたいと思っている。そして心のどこかでやり切ることこそが”あの子”に近づく道だと思っている。

挑戦を途中で力を抜いている自分が嫌で、全力で打ちのめされるくらい走り抜けてみたくて、そんなエネルギーが内なる二人の声によって湧いてきて止まらなくなった。


幸せになりたくない理由はまだわからない、でも自分が今やりたいことは周りを気にせずやり切ってみることだった


顔の見えない”あの子”にどうアプローチしたらいいのかわからない。どうやったら”あの子”をひとりぼっちにしないで済むのかし、どう向き合えばいいかわからない。

いつかは”あの子”とも向き合いたいと思っている。でも今はその方法が分からない。わからないけどやってみたいことは”あの子”を置いていってしまうからという気持ちは一旦手放してとことんやり切ってみたい

周りの目やライバルとの勝負が気になってしまう部分もあるけれど、自分は自分と切り分けて、今の自分が興味を向けたところにとことんやり切ってその結果何が起こるのかを知りたくなった。

多分無意識に抑圧していた、”こうしたほうがいい”とか”こうでなければいけない”自分は置いておいて、不格好でもいいからとにかくやってみよう。そんな決意が湧いた一時間だった。

次回2週間後のガチコーチング2回目までの挑戦は、とにかくやってみてやり切ること。そしてその結果、”あの子”との何かが変わるのかが見てみたい。


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ここまでお読みいただいてありがとうございました。

今日の内容は私が実際にコーチングを一度受けて感じたこと、そしてネクストアクションとして出てきたことについてです。

ネクストアクションのやり切るの第一弾は、stand.fmで恰好を気にせずにとにかく配信してみる。その結果、全然完ぺきではないけれどピアノを配信するという思ってもいない配信が生まれました。

こんな感じで私のネクストアクションの実施状況はTwitterstand.fmで配信予定なのでぜひ見守ってみてください。

いつもサポートありがとうございます!自分のスキを探しに、本の世界やカメラの世界などなどへの旅費にしてまたnoteに記録します。これからもよろしくお願いします!