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ウィル・スミス平手打ち事件で見える日米文化の違い

 今年度のアカデミー賞授賞式で、俳優のウィル・スミスが、1540万人の視聴者の前で、コメディアンのクリス・ロックを平手打ちしFワードを連発した事件から見えてくる、いくつかの日米の文化的違いについて書いてみたいと思います。この事件への反応の違いを知ると、日本と北米の暴力や女性の地位、そして権力に対する考え方の違いが理解できるかもしれません。


暴力は家族のためなら許されるのか


 妻ジェイダの剃り上げた頭髪のことでクリスにおちょくられたことに腹を立て平手打ちをしたウィルの、 「人は愛する人のためにばかなことをしてしまう」という言葉に同情する意見が日本では多くみられます。これは、正しいことのためなら多少の暴力は許されても良いと考える日本人が多く存在することを意味します。

 一方、北米では、社会、職場や家庭での暴力にはたいへん敏感で、言葉でなく暴力に訴えたウィルに対してすぐに非難の声があがりました。そして、ウィルは今後10年間アカデミー賞に出席することは禁じられ、新しい映画作品も封切りが先延ばしされています。分別があるはずの大人が暴力を振るうことは恥ずべき行為という認識が、北米での現代の一般的な考え方です。少しの接触でもダメで、私のカナダの職場では、女性社員の意に反して腕を触った男性社員が、即刻アウトで解雇されたことがあります。

 昭和の学園ものドラマで、非行に走った生徒を熱血教師が殴って更生させるというストーリーが当時流行りました。昔の価値観で作られたドラマを今の価値観で裁く気はありませんが、日本では、特に運動部には、今でも暴力を許容する文化が残っているように思います。

男が女の代弁をすべきか


 「最後の決闘裁判」という映画は、14世紀の中世ヨーロッパで起きた実話を基に作られています。騎士の妻が夫のライバルである騎士に強姦され、レイプした騎士は罪を否認しているため、どちらの証言が正しいのかを神に決めてもらおうと夫が決闘を申し込みます。もし夫が負ければ妻も偽証罪で火あぶりの刑に処されるのにです。当時の女性は夫の所有物であり、妻は、怒りに任せ虚栄心のために妻の命をも危険にさらす夫をなじります。

 妻が侮辱されたから平手打ちをしたという行為には、妻は女であるから男が代弁して守らなければいけないという、妻の意見を聞くステップをすっ飛ばした間違った男らしさが匂ってきます。私は夫に意見を代弁してほしくないですし、自分がもし何らかの被害に遭ったと思ったら、相手を訴えることもできます。どう行動するかは自分で決めたいと思います。北米では、男性に守ってほしい、自分の代わりに夫に意見を言って欲しいと考える女性は少数派でしょう。

 余談ですが、「最後の決闘裁判」は、リドリー・スコット、マッド・デイモン、ベン・アフレックという錚々たる監督や俳優が関わって制作された映画で、#MeToo運動の中世版とも言えます。私は、この映画は、ハリウッドで起きていたセクハラやパワハラに対して見て見ぬ振りをしていた映画人の「贖罪」の意味があるのではないかと思っています。
 

日本のコメディアンは権力批判をしない


 北米のコメディアンは、政治家や金と権力のある人をイジルことが多く、政治批判は彼らの役目と捉えています。庶民は権力に対するジョークを聞いて憂さを晴らし、政治や社会問題に関心を持ちます。ただ、弱いもの苛めのジョークはほとんど聞いたことはありません。今回、カデミー賞の司会に抜擢されたクリス・ロックは毒舌で有名で、彼がジェイダの脱毛症を知っていたかどうかはわかりませんが、アカデミーや視聴者もクリスの毒舌に期待していたはずです。金も名声もある大物俳優たちは、自分をコケにするジョークでも笑って許せることがクールとされていたのに、突然の平手打ちが返ってきたことで慌てたのはアメリカのコメディアンたちです。

 ツイッターで彼らは呟きます。「我々はコメディクラブや劇場で第2のウィル・スミスに出くわさないか心配しなくてはならなくなった。」「『あ、まずいジョークを言っちゃった。ウィル・スミスがここにいませんように』コメディクラブに出演するすべてのコメディアンは今後こんな心配をし続けなくてはならない。」。。。この状況が進むと今の日本のテレビ界で起こっていることと同じ現象が現れることになります。日本のメディアは政治家に忖度ばかりして、局の意に反して政治家に厳しい質問をしたニュースキャスターがクビになったり左遷されたりしています。

 昭和の日本では政治家を風刺する漫才師などがいたように記憶していますが、今ではほとんど見当たらず、コメディアンの村本大輔さん1人が、政治や社会問題を扱ったネタで気炎を上げています。日本のコメディアンは権力者には従順なのに、イジリの矛先を先輩芸人に逆らえない後輩芸人に向け、身体的に痛めつけて笑いを取る年末の恒例番組などは、北米では受け入れられないでしょう。
 
 最後に、私は俳優としてのウィル・スミスは大好きです。彼は過ちを認めクリスに対して謝罪しましたが、クリスはまだそれを受け入れる気持ちにはなっていないようです。暴力を受けた人間が相手を許せないという気持ちは、十分に理解されるべきだと思います。

この記事はカナダ日本語情報誌『TORJA』連載コラム『カエデの多言語はぐくみ通信』2022年9月号に寄稿したものです。 ☞ https://torja.ca/kaede-trilingual-31/

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