互いにストレスの少ない方法ではダメなのか?
私は今すごく悩んでいるし、落ち込んでいる。
理由は職種が変わったことで、また一からマニュアルにない名もなき仕事への対応がうまくできないからだ。
職種が変わって間もなく2年。
仕事は大筋でわかってきたので、未熟ながらもなんとかこなせるようになってきたと思う。わからないことがあっても、何がわからなくてどう聞いていいかがわからないなんてことはない。
問題は、本筋の仕事とは別の部分だ。
例えば、気付いた人がやる掃除やゴミ捨て。
掃除当番が決まっていたり、掃除する日が決まっていればできるのだが、そういうのはなくて、いわゆる下の者が率先してやるスタイル。
そういうことになっているという説明を受けていれば、初めからできたと思うが、数ヶ月経って早く来なくてもいいから掃除はしてねと言われて、初めて気付いた。
ゴミも溜まったら捨ててたけど、「もう少しいけるか」と思ったラインが違って、ゴミもまとめないやつだと思われたり。
こういうところをかなり不快不満に思われていることはわかってるし、そういうところを察せられない自分が悪いのもわかっている。
ただ、本当にイラついていると思われる人からは直接言われることがないところをみると、おそらく「いい大人なんだから言われる前に気付け」ということだろうし、「なんでいちいち言わないといけないんだ」とも思っていることは想像に固くない。
ごもっとも。
わかってるんです。
全然わかってないと思われてるだろうけど、わかってる。
ただ、どう対応していいかわからない。
これと思った選択が間違うケースばかりで、苛つかせて本当に申し訳ないと思っている。
聞くタイミングも内容も的外れになりがちで、何を聞いたらいいのか、怒られないのか、もうわからなくて。
できる人にとっては当たり前のことができないやつは、死ぬほど腹が立つだろう。
でも、できない人もいるのも事実で。
若ければまだ良いのだろうが、いい中年のおばさんが常識と思われることができないなら、もう手に負えない。
そう思うよね、きっと。
でも、できる人もいればできない人もいるのは事実なわけで。
この話の件で言えば、直接言ってくれればストレスも減ると思うんだけど、言うことすらストレスなんだよね、きっと。
難しい。
難しい。
多様性って、互いを尊重しあっていくことで、お互いストレスはあっても少なくすることができると思う。
基本は私が悪いんです。
でも、できない私を少しだけでも理解してくれたら。
現状では、何をしても結局、苛立たせることしかできない。
多様性の社会だから、も、きっとわがままだと言われかねない。
少数派には生きづらい。
#多様性を考える
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