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メンタル休職ワーママ、復職ドキドキの乗り越えかた

私はメンタル休職(適応障害)から復帰して1ヶ月のワーママ。

復職が近くなると、せっかく回復してた調子がちょっと悪くなるケースがあるとか。私もそういう不調に見舞われた。

こういうとき、「また悪くなったらどうしよう(゚ー゚*)」とあわてると逆効果だそう。なのでできる範囲で心頭滅却するよう努めた。


関係者へこまめな報連相

「調子悪くなっちゃったどうしよう汗」となったとき、隠さず主治医や保健師に相談。自分が恥ずかしくて隠したくなったけど、結局は相談してよかったと思う。

「あぁ、そういうのってよくあるんですよねー」

とさらりと言われたことで、「へ?そうなの?」と落ち着くことができた。

ただ何日も不調が続くときには、体が「まだそのときじゃねぇ!」と警告してるから、お休み継続することになる。診察や面談では気になったことはとりあえず報告していけば、その辺りの判断を一人で抱えなくてよくなって、精神的にも楽。   

不眠にまつわるルーティーン

睡眠が乱れがちで、どうにかならんかなーとこちら読んだところ、大変参考になった。

この本のいいところは実践的現実的なアドバイスが多いこと。「睡眠ルーティーンをつくりすぎない」「自然な体のリズムを整えて悩んでても眠っちゃう状態にする」「眠れなかったら翌日寝ればいい」という、「こうすれば眠れるよ!」というキラキラアドバイスにとどまらない泥くささ、リアリティーがよかった。

  • 眠れなくても朝起きる、昼間寝ない

  • 夕方の10回スクワットで体内深部の温度をあげとく

このあたりを参考に、淡々とやってみた。

マインドフルネス

特になんだか不安な気分が止まらないとき、マインドフルネスにはとてもお世話になった。

マインドフルネスをやると、やる前は気持ちのこ振り子が大きくゆれてたのが、だんだん、振れ幅か小さくなっていった。振れ幅が小さくなると、自然に不安が遠くにいってしまう。それで、不安な気持ちが止まらないのは、私が意気地無しなんじゃなくて、ただ神経が高ぶってただけなんだなと気づいた。
一度適応障害になるまで追い詰められてしまうと、体の警戒モードが簡単にオンになってしまう仕様になるみたい。そこに罪悪感を感じる必要はない。太古から人間が持ってるプログラムだから。  

こちらの本についてる瞑想CDを鬼リピした。

ひとつ注意点がある。
布団に入って眠れなくなってからマインドフルネスしても、あんまり効果が期待できない。というのも、人間は眠くなるためには「副交感神経へのスイッチ」と「体温の低下」の両方が必要だから。
マインドフルネスで時間をかければ副交感神経はスイッチできる。でも体温の低下はできない。
オススメはお風呂に入る前か、入りながらマインドフルネスをすること。すると副交感神経に切り替わってからお風呂から出てゆっくり体温低下し眠くなる。ストレッチをして体をほぐすとなおよし。

それでも眠れない夜は、それだけ緊張してる証。
「ちびかえで」がぷるぷるしてる図を思い浮かべ、あぁわたし頑張ってんなー一生懸命だなぁとくすつとしたら、そんな日もあるさと粛々と布団から出てマンガを読んだ。で、翌朝時間通りに布団から出て、昼間は仮眠程度で眠りきらずに、一駅歩いてカラオケに行き、夕方10回スクワット。マインドフルネスと風呂とストレッチのルーティーン。お守りに睡眠薬を持ちつつ、「これで眠れないなら休暇延長か、それもいいな」と思ったまま寝た。

「わたしはまな板の鯉だー」

心構えの話。
復職に関することを、自分の心構えでどうにかしようとするのをやめた。「また具合悪くなったらどうしよう」と心配になると、ちょっとした不調にやたらあわあわしてしまい、それが悪循環になる。
しかしよく考えてみれば、具合が悪くなるのは「私」のせいではない。「肉体」のせい。私が干渉できないところにある疲労メーターのせい。
私が心配しようがしまいが、疲労メーターがまだレッドゾーンにいるのなら勝手に具合は悪くなる。ジタバタしても仕方ない。私の知らないところで、勝負はもうついている。
これまでの心療内科の見地を使って、疲労メーターのリサーチを淡々としてきた。外出の回数を増やし、通勤訓練をし、その様子を医療関係者にあますところなく開示してきた。その結果、復職許可がおりたわけで。もし具合が悪くなったって、医療関係者に分からないものが私にわかるはずないじゃないね。
ええいままよ!まな板の鯉だ!どうにでもなれ!

とヤケクソの境地で過ごした。

「復職できなかったらお金どうしよう…」これもけっこう考えに浮かんだけれど、どうしようも何も、生涯年収で考えれば、ここで適応障害になったことも含めて私自身の稼げる範囲。「適応障害にならなかったらこれだけお金があったかも」なんていうのは想像であって現実じゃない。適応障害になって失うものなんてのは、ない。ただ私のありのままが、いつだってそこにあるだけ。と思って、深く考えないようにした。カラオケに行きまくった。


流れに身を任せることを教えてくれた病

私は適応障害を、ディズニーランドの「イッツア・スモールワールド」のようだと思ってる。始まったらただボートに連れていかれるまま、身を任せるしかない。自由がないかわりに、ボートは私に、今までの生活では見聞きしないものをみせてくれた。
これを乗り越えた暁には、他の人には見えないところで、ちょっとタフになった自分に出会えるのだ。