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新米ママは失敗だらけ

今から1年前、私は新米ママになった。

産気づいたときは梅雨の晴れ間だったと思う。
実は私は、そうと知らすえっちらおっちら病院へ歩いて行ったのだ。診察してくださった先生は何事もないかのうに告げる。
「これ破水ね、このまま入院です」
「え、え、え?」
訪れる思考停止タイム。平静な先生と看護師さん。どうやらここでは、これが日常らしい。
その後は心臓破りのジエットコースターに乗せられたよう。まさにしっちゃかめっちゃかだった。

翌日。
しとしととまた降り始めた雨音をかきわけるかのように、元気な女の子が産まれた。

それは私の怒涛の失敗ラッシュの始まりでもあった。

病院から退院するまで5日間。
私は看護師さんから赤ちゃんのお世話を教わることになったのだが。。

失敗その一。
ふやふやな身体が壊れそうで怖くて、赤ちゃん抱っこするのにえらくもたつく。

失敗その二。
授乳の姿勢が定まらず何度も赤ちゃんに「浅いからもう一回ね?」と言ってやり直ししてもらう。
(最後は看護師さんに助けを求める) 

失敗その三。
おむつを交換しに行ったのにおむつを部屋に忘れてくる。

失敗その四。

きりがないのでこれくらいにしておこう。

とにかく、娘はもちろんほやほや生まれたてだったが、「ママ」としての私も同じくらいほっかほかの生まれたてだったということだ。

ある日。
私は看護師さんに呼び止められた。

「お母さん、もうちょっと赤ちゃんと向き合ってあげて」

新生児室には穏やかなオルゴールが流れていた。病院では赤ちゃんをお世話する時間割りは決まっていて、その時間になると赤ちゃんを迎えに来たママたちで賑やかになる。ちょうどその時はお世話の時間から少したった頃で、人の姿はまばらだった。
看護師さんはおだやかに、しかし発破をかけるように言った。
私は目をぱちくりした。
何のことか分からなかった。
お世話の時間になる前には、自分の個室からでてきて新生児室に到着している。
もたもたしながらだけどお世話もこなしている。

「ふれあう時間を沢山つくってね」
「いっぱい抱っこしてあげて」

そこまで言われてようやく私は、どうやら看護師さんに危なっかしいと思われるくらい赤ちゃんのお世話が板についてないらしいと気がついた。
正直、ちょっとむっとした。

今にして思う。
そりぁそうだ。
心配されるはずだ。
端からみれば、私は赤ちゃんと前のめりに関係を築こうとしていなかった。むしろへっぴり腰。
お世話の時間には緊張しすぎて、30分のことなのにどっと疲れが押し寄せた。個室に帰るとベッドに倒れこんで英気を養っていた。
“産後の傷も癒えていないしね”
“帰ったら休めないから今のうちに休んどこう”
そうして必須であるお世話の時間以外は個室でひとりでいた。
他のお母さんがせっせと個室に赤ちゃんを連れ帰って二人の時間を作っている時に。

「あ、おかわりですか?間に合ってまーす(にこっ)」

そんな私の心がお世話するときに滲み出ていたんだと思う。
この人は退院した後ちゃんと母親としてお世話できるのか。看護師さんは病院のなかでしか手助けできない分、赤ちゃんと新米ママの行く末を心配してくれたのだ。

むっとはしたものの、指摘されたからには改善が必要だろうと思い直した。
看護師さんの言うことには、どうやら決まったお世話の時間以外も個室に連れて帰って、赤ちゃんと二人の時間をつくったほうがいいらしい。実は、私は怖くてまだ連れて帰ったことがなかった。新生児室は分からないことがあればすぐ看護師さんに聞ける。個室だってナースコールはあるけれど、人の姿があるのはそれだけで心強かったのだ。
とにかく一度、やってみよう。
私は赤ちゃんを落とさないようおっかなびっくりしながら個室に戻った。

個室に到着はしたものの、正直どう接するのが正解か分からなかった。
とりあえず色々話しかけたことは覚えている。
そうでないと緊張で間が持たなかったのだ。いつ泣き出すかひやひやする。泣かれたらおむつ、着替え、授乳をするのよと教わったが、咄嗟にぱぱっとできるほど熟練してない。

「感染症で世の中大変みたいだよ。」

「雨、まだ降ってるねぇ。」


「抱かれ心地はいかがですか。まだまだお母さんも慣れてないのですが。」
ふぇ、えぇ。

「不手際があったらごめんね。お母さんも上手くなれるようがんばるからね。」
すーすー。

マザリーズという赤ちゃんが聞きやすい話し方があることすら、当時の私は知らなかった。なので普通に大人に喋りかけるように話していた。

赤ちゃんは腕のなかで眠っている。時々ぴくぴく動く。ちょっとドキドキする。

なんだか“いのち”ってかんじだなぁ。

カチコチの肩がなだらかになっていく。
しんとした部屋に私の声と赤ちゃんの寝息。時々、あ、あぁぁという泣き声。

そうしてはじめて二人きりで30分を過ごした。それは、本当の意味で「新米ママ」が誕生した瞬間だったのかもしれない。

それからお世話も個室でするようになり、夜も一緒に過ごすことを経験し、30分、1時間、3時間…と二人きりの時間は増えていった。
新米ママにも自信がうまれた。

あのとき厳しい声をかけてくださった看護師さんは、後にとても私を褒めてくれた。「見違えるくらい上達したね、頑張ったね。」看護師さんはアメとムチが上手い。

出産しただけでいきなりママには変身できなかった。私はもとの私のまま、目の前の赤ちゃんにうろたえるしかできなかった。
失敗こそが新米ママそのものだったし、それを横で支えてくれる人達のお陰で、そこから立ち上がって「ママ」になれたんだと思う。

沢山ハラハラさせて、すみません。

けれともお陰で赤ちゃんはぐーんと大きくなりました。新米ママも、もう赤ちゃんと一緒にいることに戸惑ったりしません。いっそ腰巾着です。

それを伝えたい人はあの建物の中にいる。

そこでは今日もきっと沢山の新米ママが生まれていて、彼女たちが戸惑いながら一歩を踏み出している。
それを色んな人が横でハラハラしながら支えているのだ。