綺麗になんか生きなくてもよいと気づいた日
若かりしあの日。
私はずっと苦しかった。
解決しようと頑張っても頑張っても次々に問題は起きた。
それは、ある時は会社でプロジェクト中に抱え込んだ嫌らしいエラーだったり、私生活でのいざこざだったりした。
胃痛は消えてくれなかった。
いつも、
「これさえなければ私は幸せになれるはずなのに」と思っていた。
なんでこんなにいつまでも問題ばかりなんだろう、不幸は消えてくれないんだろう。
けれどもある時、
ふと思ったのだ。
「よくよく考えると、
生きるって、苦しかったり問題を抱えてて
普通なんでは?」
「本当なら何事もなく平穏でいられるはず、
っていうのが思い込みなのでは?」
もし私が動物だったら、
次の瞬間喰われてしまう危険と隣り合わせだろう。明日も無事でいられる保証はない。
緊張のなかでずっとおり、
でもたまには、
自由に野を駆けられる喜びを感じたりすることもあるかもしれない。
その程度の話なんじゃないか。人生の幸せなんて。
自分の人生から不幸を追放しないと幸せになれないなんて、ハードルあげすぎだったんじゃなかろうか。私。
痛みと同居しながら、
それでもたまに「コアラのマーチは美味しいな」って思えたら。
そういう幸せがこの世のなかにあるってことを知れたなら。
それだけで人生勝ったようなもんなんじゃなかろうか。
だって、サケなんてあーんなに卵一杯産むのに、ほとんどの卵は生きることすらできず終わるんだから。
人生は苦しく、でもたまーに美味しいってこと。
それすら知らずに地球から退場しなくちゃいけないんだから。
綺麗に生きる必要なんか、ないんだ。
苦しくたって、
生き続けるってだけで、
生き物として限界に挑戦できてるってことだ。
慌てる必要なんかない。
この世はサバンナ。生きてるだけで上等だ。
その瞬間、ものすごく気が楽になった。
ネガティブなんだかポジティブなんだか、
自分でもよく分からない。
臆病で慎重な私なりの、一周まわったポジティブかもしれない。
それまでが完璧主義すぎだとか、
真面目すぎるよとか白黒つけたがりとか、
一言で片付けようとすればそうも言える。
いやーでも、そんな簡単な話じゃない、実際。こんがらがった自分と話し合いのすえ、ようやく折り合えた。
そんな過程も含めて、私は私のままでいい。
ーーー
苦しい状況から楽になるために行動するのは、とてもいいこと。我慢は体によくない。
でもやったからといっていつでも報われるとは限らない。思ったように楽にならない時だってある。
そんなとき「楽にならない現実」だけを見つめすぎると、コアラのマーチの味にも気づけなくなっちゃう。
それってもったいないですねっていう、そういう気付きでした。