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繊細な私、これから仕事での夢をつらつら考える

私は仕事が忙しくなって適応障害になり休職中のワーママ(3歳娘あり)。

休職の経緯はこちら。

具合の方は、悪くなったり良くなったりを行ったり来たりしながら、出口に向かってる感じだ。
完全回復したと確信を持てるにはまだもうちょっと時間がいりそう。

これからどうしていこうか、つらつら、ふわふわと考えたりもする。あんまり考えすぎると療養にならんので、あくまで薄目でぼんやりと見やる感じで。コーヒーを飲んだあとはそうなりやすい。コーヒーはいわゆるアッパー系の飲み物だからか、よくも悪くも頭のスイッチを入れてくれる。

今まで仕事=やりがいとしてがんばってきたけど、まぁ体力が続かなくなってきたっぽいし、生計をたてる仕事は私のキャパの範囲でほどほどにするとして、やりがいは仕事以外のなにかに見いだそうかしらと考えいる。
もともとシステム開発を定年までやるつもりはなかった。私の体力的に年取ってからは無理。45歳を目処に次の仕事を考えようとしてた。ちょっと早いけれど、これも運命(おおげさ?)というやつかもしれない。

せっかく短い人生。やりがいを探すなら、なるたけ私らしいものがいい。

方向性はもうぼんやりとある。
私はけっこう感動しいだ。
茶道で茶室に入れば感動し、iPodでクラシックを聴けば陶酔する。映画館で予告編で感動できるタイプの人間だ。
それを活かして、感動したことを、なにか形にできたら楽しいだろうなと思う。

もうちょっとはっきり書くと、茶道周りの工芸品、空間設計を日常に取り入れるにはどうしたらいいか考えて、アウトプットしていきたいのだ。
あるいはすでに和を日常とうまく融和させてる製品を推してもいいかも。
日本は政治経済は雲行きが怪しいけれど、いいところもいっぱいある。あるよ!って言いたい。
推し活、愛好会みたいなって言えばいいだろうか。そのうち同人誌を出すなんて考えても、楽しい。

でも、そんな風に楽しく想像するかたわら、不安なことがある。
それは、私の感動なんて、アウトプットする価値がないんじゃないかということ。
最近HSPという単語をよく聞き、私もそうなのかなと思ったりしている。で、HSPの特徴に芸術への感度的なものもあるとか。
となると、私が感動するのは、私の体質みたいなもので、他の人には理解しづらくて実際にはたいした価値なんてないかもしれない。
それがちょっと怖くて。

と書きつつ、
体質だからこそ、「訳がわからないけどなんか惹かれる」ものもできたりしないかなぁ、と夢想する。

私は学生時代に油絵を描いていて、うっそうとした森を書いてる途中、あんまり親しくはなかった友達が、「この先がどうなるか見てみたい」と言ってくれて、製作を時々見に来てくれたことがあった。
あとは、仕事で私に低評価をつけた人に、逆に意見を求められることがある。私はパワーで押しきれない弱点があるけれど、でも洞察力はあるのかもしれない。
そういう思い出を集めて、勇気をだそうとしている。

まぁ究極、それが他の人からどうみられても特に問題はないよね。というか見られもしないだろうしね。
そんなことより、私は私の感性に潜っていって掘り起こすのに集中したほうがいい。砂場で遊ぶみーちゃんみたいに。
人生一度きりだからね。