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私がママでも働く理由v2.0

苦しい時もあるのになぜ私がまだワーママを辞めようとしないか。"ほかの誰がでなくて私だからやれること、やりたいことがある"って、心がそう叫んでるからだ。

ここに至る経緯

ここ数日、とても苦しい思いを抱えていた。
仕事で難しい判断を迫られたからだ。
システム開発の提案と導入は、そういうひやっとするような苦しい時間がつきもの。だけれど、昔とは違う。昔なら終業時間後に先輩に飲みに連れていってもらって、ぽつりぽつりと胸のうちを吐き出すことができた。
今はPCをシャットダウンしたら慌ただしくお迎えの準備をして保育園に向かう。帰ってきたら娘を風呂にいれて、ご飯をつくって、食べて、食べさせて、お父さんが帰ってきてほっとしてーとにかく、苦しい胸のうちと向き合う時間や、対策を練る時間が、ない。それがつらい。夜中に目を覚まして悶々としてしまった。(ジャーナリングで落ち着けた)

出産前に見えていた職場復帰後の壁は、「どうやって少ない時間でタスクを片付けるかだ。」それは試行錯誤してある程度形になってきた。
周囲の助けがあってこそとは思うけれど、我ながら出産前に思ってたより仕事のスピードはあがった。我ながらほんとによく頑張った。
だから別にものすごく残業してるわけではない。量的には問題ない。なのに、こんな問題が立ちはだかるなんてー。

言うなれば、決断するストレスとどう付き合うか。これは業務の効率化では解決できない。

苦しくて、寝かしつけてからお父さんに弱音を吐いた。いつかSEじゃなくなる日がくるかもしれない。お父さんは「SEじゃなくなっても、かえではかえでだよ」と言ってくれた。
ばあばにも「ちょっと聞いてくれない?」と引き留めて吐き出した。「会社で私の代わりなんていくらでもいるのに、こんな苦しそうに仕事を続けるなんて、端からみたらおかしいよね」「女性は軽やかでしなやかでいるのが本来だって書いてあるサイトもあったりする。今の私、全然そんな風じゃない。おかしいのかな。恥ずかしい」涙がぽろり頬をつたった。

涙をぽろりしたら、ちょっとすっきりした。
ちょっと、休もう。心を、休めよう。
そう思った。

めったにないことに、娘はその日穏やかに1人遊びをしてくれた。いつもは泣いて「構って!」コールをしてくるのに。
気を遣わせてしまっているーそれに気づける余裕もその時の私にはなく、ただありがたやと思いながら、のんびり過ごすことにした。noteも書きためない。ころころ転がってくる娘のふわふわなお腹をくすぐりながら、折をみて録りためたアニメを見たり、出ているのに気づかなかった新刊の漫画を読んだりした。家事もがんばるのやめよう。「私寝不足で疲れてるから今日の晩御飯は副菜なしのシンプル版です」そうお父さんに宣言した。
時にはこれからどうしたらいいか知りたくてネットサーフィンした。「仕事 胆力」そんな言葉を検索窓に入れて、ビジネスの先輩方が重い決断で痛む心とどう向き合ったんだろうと、記事を興味深く読んだりした。

神妙な気持ちになった。なにかを掴めそうな気がした。

その日は、とてもよく眠れた。

そして朝起きてコーヒーを飲んで一息ついてー
冒頭の台詞に戻ってくるのだった。

わたしが仕事を続ける理由をアップデートします

昔こういうnoteを書いた。

これはこれで間違いないのだけれど、どうやらもうちょっと、根元的な想いがあるようだ。
今回の経験でそれがわかった。

だから根元的な想いをこうして形にして、私をアップデートしようと思う。

私が何をいままで拠り所にして仕事を続けてきたか。
それが冒頭の言葉。

私にしかできないことがある

なんだかとっても大それた言葉で申し訳ない。でもいまのありのままを書いていこうと思う。

私はマーク・ザッカーバーグではないし、ビル・ゲイツでももちろんない。しかも理系ですらない。私は文系哲学専攻だった。IT畑の人間ですらなかった。
私より巧みに、うまくシステムを作るをこなす人はいる。もちろん。

でもそんなの、どうだってよい。
他の人の評価なんか、知らない。
私が、このシステムエンジニアリングの世界でやり残したことがある。
それだけなんだ。

"システムを作る"
 そこをゴールにするのではなくて、
"システムとエンドユーザーが調和する"
そこをゴールにした仕事をできるように
なりたい。

それは、システムをエンドユーザーに合わせ過ぎるのとは違う。一番効率よくシステムが使えるのはカスタマイズではなくデフォルトだ。
しかしてエンドユーザーをシステムに合わせ過ぎようとするのも失敗のもとだ。今のエンドユーザーの運用を無視した設計は、システムへのネガティブな感情となってシステムの長所を消してしまう。
これは10年かかって私が現場で体験してきたこと。反省も大いにして、必要だと思ったスキルや知見を積み重ねてきた。少しずつ私が目指すシステム屋の姿に少しずつ近づけてる気がする。

だからなんだか悔しい。
いまこの舞台から降りてしまうのが。
もったいない気がするんだ。
あとちょっとで真理みたいなものに触れられそうな気もしなくもないのに。

ごめんなさい。
私はもしかして時には女性らしくしていないかもしれない。
怖い顔をして、仕事をしてるかもしれない。

でも、これがいまの私だ。
一番嘘がない私だ。
だって転職サイトより先に「先人はどうやってこの苦難を乗り越えてるんやろ…」て検索しちゃってたじゃないか。
その時点でもう、手遅れなんだ。
色々と。

それが分かって晴れ晴れした顔をしてたかもしれない。
今日は娘が思いっきり「構って」コール「抱っこ抱っこ」コールを連発してきた。ので、謝罪も込めて思いっきり公園で遊んできた。
深く眠る娘のそばで私は、これを一気に書き上げた。

私の心から真っ赤な血がぽとり大地に滴り落ちて、今立っているこの場所を鮮やかに際立たせた。振り返ってみると後ろにぽとりぽとりと血が点々と連なっていて、私がどこから来たのかを教えてくれた。
こういうのを「心血を注いだ」っていうんだな。きっと。
だから血の連なりが指す空白の明日へ、私はもう一度向き直ります。自分の意志で。

この想いが、どうかこれからの私を支えてくれますように。

けれどこの想いに囚われすぎず、
その時はその時でいちばん新鮮な気持ちに、
正直に生きていけますように。