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【住宅と建築】03_1960-70年代「住宅」は都市から撤退する

何故「住宅」をわざわざ都市と断絶するという言い方をしたかというと、60年代から70年代にかけてはメタボリズムが流行していたことが挙げられる。その時代の建築家の関心は専ら「都市」に向いていた。

「住宅」VS都市

磯崎新氏が「都市から撤退する」と言ったのは、「住宅は建築ではない」と考えていたことと関係している。

集合住宅においても、「都市への関心」は強く、その頃から再開発によるニュータウンは各地で進められた。

住戸の開口を全て南向きにした並行配棟を基本形とし、日当たりの良い南向きこそ正義であるとした。

南向きが正義だという思想は、今も継続しており、都心のタワーマンションを除いて、そのほとんどが南向きに多くの住戸を配置している。「方角がわからなくなったら、マンションのバルコニーを見ろ」と言われる程、南向き住戸は当たり前になっている。

一方で「住宅」 を「都市との断絶させる」という考え方は激しさを増していき、60年代から70年代に作られた多くの住宅に特徴として現れている。

菊竹清訓氏の「スカイハウス」は都市と繋がる1階は持ち上げて、2階だけの住宅内で豊かな環境を作ろうとしている。

東孝光氏の「塔の家」は最も顕著で、「都市は雑多で良くないけど、都市のように住みたい」をコンセプトに細かなスキップフロアとし、各層に住宅の機能を入れ込んでいる。打ち放しコンクリートの狭小住宅の先駆けとして歴史に残る名作である。

1970年代に入り、今や巨匠となった建築家の安藤忠雄氏の「住吉の長屋」は、都市から閉じて住宅内で外を感じられるようにした住宅として有名である。

更に伊東豊雄氏は、「都市はカオスだから、住宅は都市に対して閉じた方が良い」とした。初期の頃の代表作である「中野本町の家/White U」では、外部に窓を一切無くして、トップライトと内に開いた中庭を採用している。

思想を実現することに勤しんだ建築家の「住宅」に対して、「住宅」を商品化することに成功したハウスメーカーは、時代を読み、民衆にウケるカスタマイズ住宅を次々と提案していった。

建築家VSハウスメーカー

建築に携わる者であれば、平面図を見ただけで、どういう空間であるか理解出来るが、思想を元にして作られた住宅は個人を対象にするのであればまだしも、大衆にはウケない。大衆が住宅を購入する上で重要視することは、平面構成や空間構成の素晴らしさよりも「何ができる家なのか」ということだった。

ましてや国民全員が「庭付き一戸建て」を作れるような時代ではないから、工業化したことでコストや工期を短縮した「商品住宅」は、安価で購入することが可能ということもあり、飛ぶように売れていった。

しかし、70年代に起きた「オイルショック」によって押せ押せムードだった住宅業界は、戦後初めての減少傾向を辿ることになる。

そして「商品住宅」を巡る住宅産業は、「どうやったら売れるのか」というマーケティングでの差別化が始まる。

「断熱性能の良い家」や「お風呂付きの家」、夢の住まいである「庭付き一戸建ての家」、家族間でのプライバシーも考慮した「2階建ての家」(1階は団欒、2階は個人のプライバシーを確保した部屋)。「住宅」というカタログは他者との競争によって、進化しページ数は日に日に増え続けていった。

こうして70年代の「住宅」おいて、都市と断絶するという思想の元に進められた「建築家の小住宅」と「どうやったら売れるのか」というマーケティングの差別化に走った「ハウスメーカーの商品住宅」の方向性の違いは、更に加速し始めていったのだ。もう相入れない関係へと発展してしまったのである。

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