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オーストラリアでのシェアハウスのお話🏠🇦🇺③

またまた②から更新が遅れました
現在37連勤目なので多めに見てください、、、
連勤だと思っても20日過ぎたら数えなくなるんですね〜。今数えてみて、思ったより連勤してなくてビックリしました。

さてさて、
前回から引き続きオーストラリアのシェアハウスについてお話ししたいと思います。
といっても、今回はシェアハウスではなく、居候のお話。

そうなのです。
私は一時、家がなくなったのです。あれま〜〜
家族がオーストラリアに遊びに来ている頃、前回②で紹介したお家のオーナーから、『〇〇日に出ていくでしょ』と連絡があり、伝えていた日程と違っていることが発覚。
ちょっと待ってよ〜と交渉してみたものの、私が出るその日に新しい人が入ってくるらしく、強制的に出なければ行けない状況。
さらには、行く予定だったファームにも行けなくなり、お先真っ暗!
家無し、職なし、これがまさにお先真っ暗!

せっかく家族と旅行中なのに、移動する先を探したり、、、
『家』という場所がどれだけ人生において大事なのか、安心材料になるのかを実感し、旅行先から家に帰るまでトラムの中で号泣。
さらに、その日雨が降っていてとても寒かったのですが、それが街に帰ってくること自体歓迎されていない気分で、余計虚しさを感じましたね。

家に帰る途中、当時働いていた韓国料理屋さんに給料をもらいに寄った際、社長に『家も、行く予定だったファームの仕事も無くなっちゃったよ〜』と話したら、『(娘さんたちがちょうど韓国に帰っているようで、その間)うちにおいで』と言ってくれたんです。
生、『우리 집으로 와(ウリチブロワ)』ですね。あードラマでよく聞くこのフレーズが、こんな温かい言葉だったなんて、、、知りもしませんでした。

ありがたい事に一週間ほど泊めさせてもらい、更には既に辞めたにも関わらず、数日韓国料理屋で働かせていただきました。

そうなんです、私『お仕事とお志事』の記事で書いた仕事とは別に、ホンデポチャという韓国料理屋で働いていたのです笑
このお店で働けたきっかけは、友達が常連ということと、私が韓国語を話せるということで、レジュメの提出なしで働けました。

そこで社長とシェフたちと仲良くなれたのは、シフトにたくさん入れてもらえたのは、韓国語が話せたから。
私が家も仕事もなくなって落ち込んだタイミングで、声をたくさんかけてくれたのは、このポチャで出会った人たち。 
ローカルのお店だと"英語"になるのだけど、ここでは韓国語を勉強して、この人たちと会えてよかったなと思えました。

『社長のお家』というだけあって、ホテルに併設されている部屋なんですね。
お邪魔した時は、ロビーからパクソジュンが出てくるんじゃないかと思ったほどです。
前のシェアハウスは21階、新しい居候先は36階。
お部屋から見える夜景を見ている間だけ、不安が少し和らいだ感じがしました。
社長が作ってくれた韓国式朝ごはんも忘れられません。
『急に目玉焼きが食べたくなったわ〜』って目玉焼きを作ってご飯に乗せてくれるんです。
タダで泊めさせてもらい、ご飯も食べていいよと言ってくれて、本当に感謝しきれません。

日本では、上司の家に居候だなんて考えられないけど、こうして手を差し伸べてくれる上司、社長がいるのも海外生活ならではなのかなと思ったり。

あっという間に娘さんたちが帰ってくる日が近づいてきて、私は中々ファームジョブが見つからず、次の居候先へと行くのでした。

続きはまた今度。

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