「育休1年も取らせてくれるなんて、ええ会社やな」の違和感と、会社決定論について。

そもそも育児休業制度を、個別の会社が定めている制度と勘違いしている人は多い。しかし、これは国が定めているものだ。勤続年数や勤務日数などによって若干の制約はあるが、ほとんどの場合、正社員なら誰でも取れる。そして企業は制度上、拒否できないし、不当な扱いをすることは禁じられている。

つまり、取らせてくれるのが、当たり前なのだ。

では、なぜ育休を取れる会社は、「ええ会社」なのだろうか?

その理由は、『会社決定論』にあると僕は睨んでいる。全ての運命は、所属する会社によって決定される、という考え方のことだ。(僕が名付けた)

会社決定論者によれば、育休を取れるかどうかは、会社が決める。本当は我々の手に決定権が委ねられているというのに。ちなみに、僕の会社、設立から20年以上たって、男で育休を取ったのは僕が初めてらしい。取れる雰囲気ではないと、誰もが感じていたのだろう。でも取れる。「取りたい」と言えば。

会社決定論者によれば、残業をするかどうかも、会社が決める。工夫をして効率をあげることもできるし、帰りたければ、帰れるというのに。現に僕の会社、全社員の月平均残業時間は恐らく60時間くらいだが、僕は5時間未満だ。僕は効率化のための仕事道具にも有料システムにも、それなりの身銭を切って、工夫している。さらに、朝は30分早く出社するし、昼休みも一切取らないし、外でサボらない。サボりの口実になるタバコもやめて、翌日のパフォーマンスに影響が出る飲み会もやめて、頭がぼーっとしないように昼飯も食わなくなって、時間あたりの生産性を追求した結果、残業しなくなった。周りには空気が読めないと思われているかもしれないが。

会社決定論者によれば、収入が上がるかどうかも、能力に関係なく、会社が決める。偉い人に「わたしは優秀な人間です」とアピールして、気に入ってもらえるかどうかで決まる。全ての仕事はアピールのためにある。そう考えれば、真面目にスキルアップを図るなんてばかばかしい。忘年会でビールを注いで回った方がよっぽどいいということになる(もちろん、ラベルを上に向けることを忘れずに)。そりゃあ先進国一、大人が勉強しない国になるわけだ。

これは会社の評価制度に影響されるが、基本的に優秀な人がたくさんお金がもらえるという原則は変わらないはず。勉強して、優秀な人間になれば、収入は増えていくと考えるべきだ。だが会社決定論者は、収入が多いかどうかは「美味しい椅子に座っているかどうか」で決まると思っている。ティール組織の分類でいえば、アンバー的な世界観に近いかもしれない。

ここまでの特徴をまとめると、会社決定論に従えば、自分の人生を、自分で作っているという手触りがなくなるということがわかった。本当は自分で作ることができるのに、だ。「ええ会社」かどうかは別として、あなたにも育休は取れる。

1回でもサポートしてくれれば「ホモ・ネーモはワシが育てた」って言っていいよ!